510 Tatsuro and Sumiko Yamamoto 山本達郎・山本澄子
BRIEF BIOGRAPHY
山本達郎(1910-2001) 山本達郎は、1934年、東方文化学院東京研究所に入所し、1942年東京帝国大学助教授、1949年から1971年まで東京大学教授として研究教育活動を行った。国際基督教大学においては、1972年4月から1981年3月まで、同大学教授として、大学院比較文化研究科、湯浅八郎記念博物館の創設に関わり、研究と教育の充実に貢献した。 山本達郎は、過去現在未来にわたる人類歴史のあり方とそのあるべき方向を問い続け、異なる領域や文化との連関を重視しつつ様々な研究活動を行った。幅広い視野を持ち、確実な手法を用いて歴史学の論考を展開したことが、その研究教育活動の特色である。研究領域は、東京帝国大学文学部史学科の卒業論文『鄭和の西征』(1934、東洋学報)に始まる東南アジア史および南海交通史、『安南史研究Ⅰ』(1951山川出版社)、『ベトナム中国関係史』(1975、山川出版社)などのベトナム史、中国唐代から宋代の均田制の考察に代表される中国史、『デリー - デリー諸王朝時代の建造物の研究 -』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、(1967、1969、1970、東京大学東洋文化研究所)などのインド史、さらに『歴史の見方』(1957、三省堂)、『世界史概説』(1949、山川出版社)など、人類の活動の全てに関わるものとしての世界史・歴史学全般の考察に及ぶものであった。 また、国際的な学術活動としては、国際哲学人文科学協議会(CIPSH)会長、国際学士院連合(UAI)副会長、国際オリエント・アジア研究連合(UIEOA)会長、国際アジア歴史家会議(IAHA)副会長、国際アジア・北アフリカ研究会議(ICANAS)会長など、極めて多岐に亘るとともに、国内の学術活動も幅広く、学術界のあり方にも多くの提言を行なった。 1951年文学博士。1952年学士院賞受賞。1967年日本学士院会員。1986年文化功労者。1998年文化勲章受章。 山本澄子(1914-1997) 女子学習院高等科を卒業後1936年に山本達郎と結婚。1945年早稲田大学文学部史学科修了。国際文化振興会勤務を経て、1949年津田塾専門学校講師となる。1948年には、国際基督教大学研修所研究生となり、1950-52年には、達郎と共にハーバード大学で勉学。1953年、国際基督教大学講師、助教授を経て準教授となり、1967年まで中国史を担当する。この間、1960年文学博士(早稲田大学)となり、1962-63年にはエール大学、コーネル大学に客員教授として招かれた達郎に同行し、研究調査活動を深めた。 1967年ICU準教授辞任後は、研究に力を注ぎ、1972年には『中国基督教史研究—プロテスタンティズムの土着化—』を東京大学出版会より刊行する。その後、1972年から92年まではICU講師および聖心女子大学講師をつとめる。その間さらに研究を発展させ、1972年発行の著書の増補改訂版「中国基督教史研究」(2006年山川出版社)とその英文『History of Protestantism in China – The Indigenization of Christianity』(2000年、東方学会)の原稿を同時に完成させた後に1997年に急逝した。没後に刊行された英文の著書は、世界の主たる専門の研究施設に保管されることとなった。 達郎・澄子は、ともに東ヶ﨑潔氏の薫陶を受けていたことを想起し、国際基督教大学の東ヶ﨑潔記念ダイアログハウスの開設にあたり、研究者寮の一室にその名前を冠し、二人を記念することとする。 平成23年(2011年)3月26日 |
DONORS
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PHOTO
(左)山本澄子 (left) Sumiko Yamamoto (右)山本達郎 (right) Tatsuro Yamamoto |