定住インドシナ難民若者層の生活史と生活世界
1.論文構成
序章
第1節 研究課題
第2節 先行研究の検討
第3節 研究方法
第4節 本論文の構成
第1章 インドシナ難民の歴史と日本社会
第1節 祖国脱出から来日まで
第2節 来日後の生活
第3節 ニューカマーの子どもの教育施策
第4章 本章のまとめ
第2章 定住インドシナ難民若者層のライフヒストリー
第1節 幼少期の家庭生活
第2節 小・中学校時代
第3節 10代後半から現在
第4節 本章のまとめ
第3章 定住インドシナ難民若者層の日常と展望
第1節 美容師として働く若者
第2節 公的組織で働く若者
第3節 貿易会社で働く若者
第4節 フリーターとして働く若者
第5節 本章のまとめ
終章
第1節 本研究のまとめ
第2節 二極化する若者層の背景
第3節 今後の課題
参考文献
2.研究課題
本研究の課題は、定住インドシナ難民の若者たちを対象にして、かれらの語りから、「過去」「現在」「未来」における生活世界を描くことにある。そこで、明らかにしたいことは、かれらが、どのような経緯で来日し、日本社会においてどのような経験をしてきたか(過去)、それをどのように意味づけ(現在)、その後の人生を構築していこうとしているのか(未来)ということである。
かれらの親世代は、1975年から80年代にかけて急進的な社会主義体制やその体制下での政治的圧力や迫害から逃れてきた人々である。日本政府も1978年からインドシナ三国(ベトナム、カンボジア、ラオス)からの受け入れを決定し、現在ではおよそ1万人の人々が日本に定住している。このようなインドシナ難民の流入は「第2の黒舟」[1]と呼ばれ、日本政府は早急な対応が迫られ、マスコミでも大きく取り上げられた。この30年にわたる時間の流れの中で、今やインドシナ難民家族は、親世代から子世代へと世代交代の時期へと入っていると指摘されている[2]。
現在、「多文化共生社会」「多文化教育」の下、「文化の違い」を尊重しあうことの重要性がさまざまなところで強調されているが、そうした文化状況の背後には、社会的、経済的、政治的な種々の不平等が存在し、その結果として異文化間に力関係や格差・序列があることは否めない。そうした社会の不平等な力関係は、インドシナ難民家族の暮らしや本論文の対象者である2世の生活世界に大きな影響を与えている。とはいえ、その複雑な力関係から個人は完全に自由にはなれないものの、個々人が日常生活の中で、主体的に選択し、将来を切り開こうとしていることも事実であり、そうした事実に焦点をあて、インドシナ難民の若者層のライフヒストリーとその生活世界を描き、考察することが本論文の課題である。
3.研究方法
調査対象
本研究の調査対象者は、難民事業部の担当者による紹介や調査を通じて筆者が面識を持った20代前半のインドシナ系の若者たちである。対象者の絞込みは、両親が難民として来日した経験をもつこと、または両親と一緒に幼少期に来日した難民1.5世、2世であること、そして自己について十分に語ることができる年齢を考慮し、20才以上であることである。
調査対象家族の居住地は、東京都1件を除き、他の8件がすべて神奈川県であり、Y市が1件、S市が4件、H市が2件、A市が1件となっている。住居は、県営住宅が7件である。(2年前まで県営住宅に暮らしていた1件)これは、公営住宅の家賃が、間取りや築年数の点で民間の賃貸住宅よりも低水準であることが理由である。とくにインドシナ難民が多数居住する神奈川県では、インドシナ難民に対する県営住宅入居用件の緩和措置がとられていることも影響している。
現在の父親の職業は、旅行会社経営、準公務員の2件を除き、ほとんどが中小の工場で機械、部品組み立ての仕事に従事している。母親は、パートとして工場に勤務する者が大半であるが、専業主婦、通訳として働いている。2人の収入により生計を立てている家庭がほとんどで、全体的に生活状況はよくないと思われ、それが子どもの進路先にも影響している。
難民として来日した対象者家族にとって、生活基盤は将来にわたり日本にある傾向がある。帰化したのは、4人、日本国籍がもともと会った1人、帰化しない・帰化申請がおりない4人である。しかし、帰国する目処を明確に立てている家族はおらず、両親とともに「里帰り」をするにとどまっている。
データ収集の手続き
2006年7月から9月にかけて、9名の調査対象者へのインタビューを行った。
インタビュー内容について、幼少期の家庭生活、学校経験、友人関係、親との葛藤、就職・進学など基本的な質問事項を用意するほかは比較的自由に語ってもらう形式をとった。インタビュー時間は、1回、約60分から90分程度、対象者1人につき2回行い、数人には3回目のインタビューをお願いすることになった。インタビューの録音は1人を除く8人が快く応じてくれた。インタビューデータは、すべて聞き起こしをし、トランスクリプト、またはメモを作成し、2回目のインタビュー時に対象者に目を通してもらうようにした。本論文においては、インタビュー対象者、その家族のプライバシーの保護のため、すべて仮名を用いてデータを公表することにする。調査の限界として、対象者が少なく、また女性に大きく偏っている点、直接的なコミュニケーションによるデータのみで、解釈や分析が一人よがりになってしまう可能性が高い。
インタビュー対象者のリスト
|
性別 |
年齢 |
出身国 |
来日年齢 |
来日経緯 |
両親の仕事 |
帰化 |
現在の職業 |
Aさん |
男性 |
21 |
V |
2世 |
留学生の父。呼び寄せ |
父:会社経営 母:主婦 |
中学3年生 |
美容師 |
Bさん |
女性 |
21 |
C |
3才 |
難民キャンプを経て日本へ来日。 |
父・母 食品工場勤務 |
20才のとき |
医療事務 |
Cさん |
男性 |
20 |
V |
2世 |
ボートピープル。 |
父:自動車部品工場勤務 母:主婦 |
帰化しない |
大学3年生 来年、教員採用試験を受験予定。 |
Dさん |
女性 |
22 |
L |
10才 |
タイの難民キャンプで生まれ、 家族で来日。 |
父・母:自動車部品工場勤務 |
20才のとき |
中卒。自動車部品工場勤務。 |
Eさん |
女性 |
22 |
V |
2世 |
父が留学生。母方の祖母が日本人で呼び寄せ。 |
父:準公務員 母:主婦 |
|
大学卒業後、アルバイト生活。 |
Fさん |
女性 |
22 |
C |
0才 |
タイの難民キャンプを経て来日。 |
父・母 工場勤務 |
帰化しない |
フリーター |
Gさん |
女性 |
25 |
C |
2才 |
帰化しない |
ネイルアート |
||
Hさん |
女性 |
22 |
C |
7才 |
タイのキャンプを経て来日。 |
父・母 工場勤務。 |
帰化しない |
フリーター |
Iさん |
女性 |
22 |
V |
2世 |
ボートピープル。 |
父:スクラップ工場 母:市役所の通訳 |
帰化しない |
大学4年生 |
第1章 インドシナ難民の歴史と日本社会
Ø 祖国脱出から来日までについて
1975年のはじめにインドシナ半島では、相次いで社会主義体制に移行し、政治的社会的混乱が続いた。約144万人がアメリカ、オーストラリア、カナダ、日本へと難民として定住することになる。当初、消極的であった日本政府は、世論の後押しもあり、1982年に難民の受け入れを決定し、難民の収容施設も設立された。来日した難民たちは、まず収容施設で、数ヶ月の日本語・適応訓練を受け、その後日本での新生活がスタートした。そして、1.5世、2世の誕生と成長も背景にあり、多くのインドシナ難民家族は生活戦略として、「定住者」から「永住者」の道を選択している。
政府や地方行政がインドシナ難民に対する政策の基本は、「同化政策」であったと指摘されている。例えば、アメリカ等の難民対策を参考にし、それは難民を少人数に分け広範囲に分散させて定住化を図るという対応政策は、インドシナ難民を集団化させないで日本社会に同化させようとする同化政策であったと指摘されている。[3]一方で、インドシナ難民に対して、日本語教育を含む生活適応訓練を提供してきた。しかし、この場合、4ヶ月間と短く、日本社会で生活する上で十分な訓練とは言えなかった。このような方針は、かれらを「安価な労働力」としか見なかった行政の姿勢の表れである。
Ø 90年代からのニューカマーの子どもたちに対する教育施策について
インドシナ難民の来日を皮切りに1990年代以降多くの外国籍児童・生徒が学校に入学し始める。それまで、国際社会に生きる日本人の育成」の側面に力を入れてきた文部省が取り組む国際化では対応できない事態であった。90年代初頭から文部省、自治体、学校現場は、それぞれマニュアルもなく、コミュニケーション手段である言語もわからない、まさに手探り状態の中で対応が始まっているが、十分な対応の確立に至らず今に至っている。
第2章 定住インドシナ難民若者層のライフヒストリー
対象者9名のインタビューから語られたライフヒストリーを「幼少期」「小・中学校」「10代後半から現在まで」の3つの段階に分け、詳細に描いた。かれらのライフヒストリーの特徴は以下の通りである。
Ø 「周囲と異なる存在」という自己認識
対象者は、肌の色、カタカナの名前、洋服や持ち物などから周囲との差異を認識し、「周囲とは異なる存在」と自己を否定的に捉えるようになっていく。そして、個人差はあるもののなんとなくの孤独感や不安感を抱きながら過ごしている対象者もいる。
Ø 学校からの離反
親の日本語能力の低さ、学校教育への不理解、日本社会への不適応などの理由から家庭からの具体的なサポートを受けることはほとんどない。学校では、長期の日本滞在、会話能力があることから、対象者に対する個別のサポートの必要性への認識は薄く、放って置かれる傾向にある。また対象者自身も日本人と同じように扱われることを強調しているため、特別なサポートを求めることはしない。したがって、徐々に対象者は、学習意欲が低下し、低学力になっていく。このような中で、地域のボランティアや担任教師の熱心な働きかけによって、具体的な学習サポートやエスニシティの肯定感や「居場所」を与えられ、高校受験を積極的に考えるようになった対象者はごくわずかである。ほとんどの場合、学校の中で、友人関係や部活といった成績ではないところに自分の価値を見出していき、自己評価維持をしているが、最終的には、学業上の成功からはずれ、高校の情報や高卒後の就職事情を考慮に入れずに中・低程度の高校へ進学する傾向にある。
Ø 高校後の進路の多様性
対象者に特徴的なのは、中・低程度レベルの公立高校に4年制大学進学から周囲の日本人生徒と同じような進路を選択する者まで様々であることだ。低辺に位置づけられた日本の高校に通う日本人高校生の場合、自分の通っている学校の仲間や先輩の影響を受け、社会的地位を獲得しない特定の進路を形成していくと指摘されている。Fさん、Gさん、Hさんのように友人や家族の言葉に流されるように正規雇用ではなく、フリーターを選択している。彼女たちの日本人、インドシナ系問わず、高校時代の周囲に同じようなフリーターが多く存在し、フリーター的な生活スタイルは、身近であり、否定的に捉えていないことがわかる。しかし、学校の仲間や先輩だけに影響を受けているのではなく、少数ではあるが、祖国や海外のインドシナ系社会とのつながりをもち、そこへの帰属感が、進路形成に強く影響しているケースも確認できる。
第3章 定住インドシナ難民若者層の日常と将来展望
対象者9名の現在と将来に焦点を当てた。日本で暮らす対象者たちが、どのような日常を送り、自己をどう捉え、将来展望を描いているのかについて、それぞれの職業・職種ごとに見ていった。
社会への参加姿勢の分類として、「独立型」「安定型」「生活維持型」を用いることにする。「独立型」は、親世代よりも経済的社会的に上昇するために起業・独立を目指す参加姿勢である。「安定型」は、資格取得を重視し、親世代よりも経済的社会的に上昇・安定を目指している。「生活維持型」は、明確な目標や上昇志向を持たずに現状の生活を維持する姿勢を表す。
対象者の日常生活と将来展望
|
雇用・職業 |
参加姿勢 |
社会での不公平感 |
祖国との距離・思い |
自己認識 |
将来展望 |
|||||||||||||
A |
正社員 |
美容師 |
独立 |
なし |
遠/利用 |
日本人 |
日本社会/個人的 成功 |
|
|||||||||||
B C |
公的組織 病院/学校 |
安定 |
あり |
遠/愛着 |
在日インドシナ系 |
日本社会/在日 外国人 |
|
||||||||||||
I |
貿易会社 (事務) |
独立 |
あり |
生活密着 |
インドシナ系 |
海外への移住/ 個人的 成功 |
|
||||||||||||
D |
非接客業 (工場) |
生活維持 |
あり |
生活密着 |
インドシナ系 |
社会からの離反 |
|
||||||||||||
H |
非正社員 |
|
|||||||||||||||||
E F |
接客業 |
生活維持 |
なし |
遠/無関心 |
日本人 |
無関心 |
|
||||||||||||
G |
接客業 |
生活維持 (模索中) |
なし |
遠/関心・嫌悪 |
どちらでもない |
迷い |
|
||||||||||||
「積極的に社会に参加し上昇する若者」と「社会との関わりが消極的な若者」という2つの若者像が抽出された。
積極的に社会において上昇を目指す若者
社会との関わりを持ち、積極的に社会的経済的な安定や上昇を目指そうとする2世は、Aさん、Bさん、Cさん、Iさんである。しかし、社会的経済的な安定や上昇の方向性が微妙に異なっている。美容師をしているAさんは、個人志向で、実力勝負で独立し、起業を目指している。Bさん、Cさんの場合、共生という言葉がキーワードになる。つまり、「日本社会の中で生きる外国人」としての自分の役割を意識し、それを模索している段階である。Iさんの場合、日本社会を飛び越え、海外のインドシナ系社会へと向かっており、日本を「仮住まい」として考えていることがわかる。
かれらは、「インドシナ系であること」を肯定的に捉えていることがわかる。BさんCさんは、外国人差別に対する不安を感じたりしながらも「インドシナ系であること」に愛着を持っている。またAさんは、「インドシナ系であること」を1つの個性として捉え、積極的に利用する姿勢があることがわかる。かれらは、日本社会の中で暮らし、周囲の人々に受け入れられながら、「インドシナ系であること」を肯定できる環境にある。
社会との関わりが消極的な若者
対象者の中で約半数の5人が非正社員のアルバイト生活、フリーター生活をしている。
該当するのは、Dさん、Eさん、Fさん、Gさん、Hさんである。かれらは、社会との関わりに対して全般的に消極的であり、明確な将来展望がないことという共通点を持つが、それぞれに日本社会をどう捉えているかという社会観には違いがあることがわかった。
Hさんは、「外国人」として眼差しを受ける社会に対して不信感が根底にあるように思われる。またDさんは、低学歴に対する劣等感が存在し、現状にとどまる大きな壁になっている。そしてEさん、Fさんは、「みんなと同じように普通に」過ごせる現在の生活に対して、強い不満も満足も無い。そして、仕事に対して特に魅力はないが、かといって私生活で生きがいを見つけようとする姿勢も感じとることができない。Gさんは、中途半端な自分に対して悩みを持ち、社会とどう向き合えばよいかわからないという迷いや不安を抱えながら現在にとどまっている。
Dさん、Hさんは、「インドシナ系であること」は社会へ参加する壁になっていることがわかる。いつまでたっても変わらない外国人の眼差しを避けるために「在日インドシナ系社会」へと引きこもる傾向がある。
また日本人として自己・周囲ともに捉えているEさん、Fさんは、「インドシナ系であること」を改めて、強く認識させられることは少ない。そのために「インドシナ系であること」に対する強い思いは、生まれきにくいのだと考えられる。
終章
第2、3章を踏まえ、現在の定住インドシナ系若者層が二極化していく背景を考察した。
日本語会話能力の高さと学校への適応
日本語会話能力が高く、学校に適応している対象者の日本語能力や学力などエスニック間に基づく不平等な問題が教師に見えにくくなっている。同時に対象者自身も日本人と同じように扱われることを望み、周囲からのサポートをほとんど受けずに進路を決定していく。そして「学力の低さ」や「勉強嫌い」に見合った道を自ら選択していく。
家族の教育戦略の違い
全般的に貧しい教育資源しか持たず、来日後の不安定な生活の中で、親たち自身が確かな成功モデルをもてない状況が推測される。そこでは、「子ども任せ」の教育戦略をとる傾向がある。また、対象者家族の教育戦略のあり方は子どもの性別によって異なると考えられる。
社会的地位上昇モデルの不在と情報の欠如
フリーターとなっているほとんどの対象者は、人間関係の広がりがなく、友人との間での狭い生活世界の中で生きている。かれらの身の回りや家庭外の人間関係から成功モデルや情報が提供されるケースは稀であり、結果として社会的地位上昇モデルが不在となる傾向となる。
今後の課題
現在の人間関係や社会との関わり方に大きく影響しているのは、高校時代であることがかれらのライフヒストリーを通してわかる。そこで、高校から社会へ出て行く段階での進路指導や進路形成関する研究の必要性が挙げられる。具体的な研究課題として、進路形成に影響を与えると考えられる人々(教師、友人、ボランティア、親)がどう進路形成に関わっているのか、そして、どのような経験を経て彼ら自身が決定していくのかという過程を詳細に描くことである。
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財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部<http://www.rhq.gr.jp/japanese/index.htm>アクセス日:2006年10月5日。