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本論文では、日本人ヨネ・ノグチ(野口米次郎、1875-1947)が、国際詩人として成功するに至った過程を理解する上で重要な要素として、ノグチの詩をアメリカで初出版したリトル・マガジンThe Larkと、同誌の編集者ジレット・バージェスに注目した。ノグチは1893(明治26)年、17歳で単身渡米したが、約2年半後には英詩を発表し、全米で話題となった。その後、詩集出版を重ねたノグチは、生前、詩人としての高い知名度を保っていた。
これまでノグチ研究において、このノグチの成功の発端として、ノグチを居候させ、ホイットマンの詩などを紹介したアメリカ人詩人ウァキーン・ミラーのノグチに対する貢献度は幾度となく論じられてきた。しかし、バージェスに関しての関心は薄く、The Larkにノグチの詩を掲載し、ノグチの初の詩集を手がけたことは紹介されてきたものの、その詳細な分析はなされてこなかった。本論文では、バージェスの活動拠点であったサンフランシスコの歴史と文化および、19世紀後半のアメリカに於けるリトル・マガジン運動の発展との観点からバージェスが創刊したThe Larkについて分析した。さらに、カリフォルニア州立大学バンクロフト図書館に保管されている一次資料も参照しつつ、既に知名度を得ていた同誌の意図や、“for a lark” の意味合いも汲んだ上で、同誌でノグチの詩を初めて発表するに至った理由について論じた。貧乏な移民青年であったノグチが、日本人が弱い境遇に置かれていた19世紀末のカリフォルニア州で詩人ノグチとして紹介され、成功した過程において、バージェスは欠かすことのできない人物であったといえる。
東南アジアを訪れたイエズス会士、アレッサンドロ・ヴァリニャーノが1579年に考案した文化適合による改宗の考えは、東アジアにおけるイエズス会の活動の試金石となった。その土地の状況に関心を持ち、土着信仰へのより深い理解を得る事は、地元の人々にキリスト教の正当性を強調することになるとヴァリニャーノは確信していたのである。その土地の言語理解に加え、この文化適合に関する認識は、イエズス会が地元の神父や改宗信者、有力者とのより友好的な交流を持つことにもつながる。
マテオ・リッチ(1552-1610年)は、1583年に中国でのイエズス会伝道の基礎を築く。マテオ・リッチの伝道活動の功績は、彼自身が独自に実践したヴァリニャーノの文化適合思想による所が大きい。やがてマテオ・リッチは、その知識と中国語や文献についての熱心な研究から、明朝の有力な儒教学者として知られるようになる(1368-1644年)。マテオ・リッチの中国語による著作は数多く出版され、中国の有識者から賞賛を得た。また中国語で執筆を行い、その著作が皇室の文献集に収められた、最初のヨーロッパ人である。
中国での揺るぎない功績にも関わらず、マテオ・リッチがキリスト教を中国での考え方に当てはめようとする試みは、日本で活動していた他のイエズス会士からはあまり評価されなかった。マテオ・リッチがキリスト教の神と中国の神々の間の共通点を見出した結果、キリスト教の教えに異教の要素を取り入れ過ぎているとして非難した。
本稿においては、ヴァリニャーノの文化適合による改宗の手法が中国や日本におけるイエズス会伝道において用いられていたにも関われず、何故マテオ・リッチの手法は日本のイエズス会に受け入れられなかったのかを論じる。主な論点は、文化適合という手法がマテオ・リッチをして中国古典の知識を実践的に用いさせたということである。即ち、マテオ・リッチはある考え方を意図的に見せたり隠したりし、柔軟に使用し、また慎重に論点や執筆方法を選んだのである。日本に駐在していたイエズス会士達はマテオ・リッチの著書を彼等の日本での独特の経験を基に解釈しようとし、その複雑な執筆方法を理解する術はなかった。彼等は中国古典に精通していなかったし、マテオ・リッチの緻密に構成された伝道方法論をキリスト教教義の誤った解釈と混同していたのである。
(with no abstract)