2005 News and Events @ Anri Morimoto

12/21 今年1月10日に21歳で亡くなった金澤正和君(ICU国際関係学科3年)の本が出版されました。金澤絵里子『かわいくて、わがままな弟』(講談社)¥1,400- です。筋ジストロフィーと向き合いつつも全力を尽くして学んだ、非常に優秀で勇敢な学生です。わたしの授業も続けて取っていました。葬儀の時にお話ししたわたしの弔辞が一部引用されていますが、ここに全文を載せておきます。
12/16 先日亡くなった高津亮平さん(10/31参照)のお子さん方の奨学資金募金を行っています。ネパールの未来に尽くした高津さんですが、志半ばで天に召されました。お子さん方は、インドの学校でわが家の子どもたちの後輩になりますが、3人目はまだ15歳です。何とかあと少し、知人友人で学資のお手伝いをしたいと思い、「呼びかけ人」の一人になりました。ご賛同くださる方は、郵便振替にてご送金ください。<口座番号:00190-1-372310「ビンティ奨学資金の会」>募金額は自由です。お問い合わせは「日本キリスト教海外医療協力会」(JOCS)へ。
12/15 日本宗教学会誌に「文脈化神学」についての論文を書きました。マーク・マリンズ氏の『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』とその日本的な読まれ方について、アジア神学の視点から批判を加えたものです(「論文」ページ参照)。友人の労作を評価しつつですが、おそらく同書が受ける最初の批判でしょう。
12/10 日本ピューリタニズム学会の第一回研究会に出席しました。佐野正子氏によるジョン・オウエン論と、大西直樹氏によるアメリカピューリタン研究史でした。来年1月にはHarvard University Divinity School の David Hall 氏が、6月には Emory University の John Witte, Jr. 氏が来訪されます。
12/6 『歴史と神学――大木英夫教授喜寿記念献呈論文集』が上梓されました。わたしも大学院時代からお世話になりましたので、ガダマーの歴史的存在者という理解から日本とアジアの神学を振り返って書きました(「著書」ページ参照)。寄稿者があまりに多いので、上下二巻に分けるとか。今回の上巻だけでも、何と500頁を超えています。今週の金曜日には、出版祝賀会があります。
12/2 「メッセージは伝わっているか」、『信徒の友』11月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第8回」を公開(「その他」ページ)。「改革」というものがなぜ進まないか、実は自分の学内での経験から書いた文章です。
11/29 秋学期の「神学研究」に優れた期末レポートを提出したお二人(11/22 参照)が、追加のコメントを寄せてくれました。それぞれまったく別の道を通って「神学」という学問に出会っていますが、リベラルアーツ課程における「神学」の意義をつくづく考えさせてくれる言葉です(「シラバス」ページ参照。石原野恵、大西春奈 「追加コメント」)。
11/26 エドワーズ・リンク集に2つサイトを追加しました(2. 周辺資料図書館)。プリンストン大学稀覯図書館の生誕三百年記念展示と、コネチカット州サウスウィンザー町史に出てくる父ティモシー・エドワーズの記録です。一方、イェール大学の「ジョナサン・エドワーズ・センター」からは、オンライン公開がさらに来年初めにずれ込む、という連絡が入りました。なかなか手間取りそうですね。
11/22 秋学期の「神学研究」に提出された2本の期末レポートを、ご本人たちの了解を得て公開します。他にも優れたものはありましたが、この2つは飛び抜けています。ほんの10週間ほどの授業で、ここまでの思索を文章にして提出できる学生たちを、教師としてとても誇りに思います。ぜひ読んでみてください。(「シラバス」ページ参照。石原野恵、大西春奈)。
11/14 Kazoh Kitamori, Theology of the Pain of God の再版がついに出ました (7/4 参照)。40年ぶりの世界的名著復刊です。日の丸に「聖」という漢字をあしらった表紙デザインはあまり洗練されているとは言えませんが、そこに "Foreword by Anri Morimoto" と出ているところはよしとしましょう。(「著書ページ」参照)
11/10 恵泉女学園に行って来ました。「宗教科教育法」の授業の一環として、「聖書科」の授業を見学させていただきました。安積校長、松井副校長、それに教科担任の須田先生に、たいへんお世話になりました。お話を伺うと、ICU卒の教員がいちばん多いのだとか。恵泉からもよい学生たちを送ってくれているのですから、こちらもよい教師を送り出さないといけませんね。校内では、生徒にも教師にも職員にも学園長にも、短い時間にたくさんのICU関係者に出会いました。
11/4 また月初めのアップロードを忘れてました。「平和のシンボルとなった天皇」、『信徒の友』10月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第7回」を公開(「その他」ページ)。
10/31 高津亮平さんが亡くなりました。学生時代、一緒にネパール・ワークキャンプに行った友人で、その後10年ほどUMN(ネパール合同ミッション)ワーカーとして理科の先生をしてこられました。実は、体調を崩して山形で療養しておられるのを聞き、お見舞いに行ったばかりです(10/10 参照)。ご葬儀は11月8日午後2時から日本基督教団天童教会にて。ご遺族の上に神の慰めを祈ります。
10/29 "The Door in the Floor" を観てきました。Irving の "A Widow for One Year" の前半を映画化したものですが、物足りなく感じる点が多くありました。喪失によって語る愛の、長い長い家族の物語が、まるである青年の「ひと夏の経験」みたいに仕上がっています。映画化すること自体が、小説の読者には違和感の原因なのでしょう。物語というものは、あらかじめそれだけで完成しているのではなくて、読者がそれぞれ心の中に作る世界のことだからです。
10/28 10月24日付「北海道新聞」夕刊一面「今日の話題」に、『信徒の友』10月号のわたしの記事が引用されています。「平和のシンボル」と題した嶋田健氏のコラムです。
10/22 「アジア神学」のクラスもだいぶ進みました。東大生協がわたしの本を書評しているのを見つけました。2004年12月号で、特集は「神」だとか。一緒に評されているのは、森安達也『神々の力と非力』と玄侑宗久『リーラ 神の庭の遊戯』。わたしはどちらも読んだことがありませんが、きっとよく知られた本なのでしょう。
10/19 ニューヨークタイムス」が小泉首相の靖国参拝を「無意味な挑発」と厳しく批判した社説を載せています。"Pointless Provocation in Tokyo" (October 18, 2005, Editorial) をPDFにしておきました。一方、今朝の「朝日新聞」によると、首相の参拝に「賛成」は男性では38%、女性では46%だそうです。女は平和を守る、などというフェミニスト神話はどこへいったのでしょう。
10/17 小泉首相の靖国参拝が論じられています。政教分離論には本質的な曖昧さが内在していますが、この問題では、戦前の靖国の公的な意義づけと、戦後の一宗教法人としての位置づけが切れ目なく連続してしまっている、ということが混乱の原因です(拙論参照)。隣国の抗議も、首相本人の心の問題に干渉しているのではなく、この未清算の連続性に向けられています。ただ、首相がはじめから今回の方式で参拝していたなら、問題はここまで大きくならなかったでしょう。
10/12 自宅の私的研究会でキッペンベルク『宗教史の発見』を読み始めました。メンバーは組織神学と旧約聖書学とが半々で、ほぼ月に一度の会ですが、これまでにウォルツァー『寛容について』、フッサール『ブリタニカ草稿』、フォン・ラート『旧約聖書神学2』、森本あんり『アジア神学講義』、シュミット『十戒』、深井智朗『超越と認識』、牧野信也『イスラームの根源をさぐる』などを取り上げました。
10/10 仙台で「キリスト教文化学会」に出席。「キリスト教文化とグローバリゼーション」を主題にした3年目の大会で、東北学院大学の倉松功先生と広島女学院大学の西垣二一先生の講演がありました。その後山形で、昔の「ネパール・ワークキャンプ」の仲間と会いました。20年ぶりでしょうか。変わらざるものあり、変わりゆくものあり。
10/3 「公共哲学フォーラム」(公共哲学共働研究所・聖学院大学総合研究所の共催)に参加しました(「講演」ページを参照)。「公共神学」という概念に疑問を呈したのですが、所長の金泰昌先生には叱られました。他の講演者では、特に郡司篤晃先生「教会の公共性:社会保障制度改革を通して」と、清水正之先生(東京理科大学)「日本的共同体をめぐって:森有正・和辻哲郎・国学」に多くを学び刺激を受けました。
10/1 「靖国神社を知る」、『信徒の友』9月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第6回」を公開(「その他」ページ)。ふた月ばかり、少し危ないテーマを取り上げました。ご意見があればどうぞ。
9/29 エドワーズ・リンク集に3つサイトを追加しました。下の方の「4. エドワーズ研究の個別サイト」というところです。拙著に言及したもの、拙著を批判したもの、などです。
9/26 ICU教会でした説教が本になりました。『イエスの誕生――教会暦による説教集第1巻』。といってもクリスマスの説教一編だけですが(「著書」ページ)。次の説教は、11月27日(第一アドヴェント)です。
9/24 基督教学会(関西学院大学)に出席しました。「平和の神学」という困難な論題に道をつけた3人の神学者たちの発題は、とても興味深いものでした。ただ、学会のパネルディスカッションは、なかなか議論を交わすまでに至りません。各人各様の発題が順になされて、議論の時間もなくフロアからの質問が一つ二つで終わり、という形式は、そろそろ改める必要があるように思います。
9/16 月初めのアップロードを忘れていました。「信じるという異端」、『信徒の友』8月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第5回」を公開(「その他」ページ)。ウィルフレッド・キャントウェル・スミスの人を喰ったような発言についてです。
9/14 日本基督教団四国教区の教師研修会に行ってきました。「アジア神学」の講演を3日で3回、計6時間もしました。実に熱のこもった研修会でした。50人の出席者のうち、わたしが松山にいた頃の同労者は10人になっていましたが、懐かしい先輩たちと若く力のある牧師たちの集団をとても頼もしく感じました。四国教区にいたことを誇りに思います。琴平でしたので、物知り牧師のガイドでこんぴらさん参り?もしてきました。
9/7 ウェブで12年前のある記事を見つけました。わたしの訳した神学の専門書が、山崎浩子という新体操選手の統一教会からの脱会に役立った、という記事です。おかげでこの本はあっという間に売れました。急に印税が入って嬉しかったことを覚えています。(「著訳書」ページ参照)
9/3 大正大学の星川啓慈先生より『現代世界と宗教の課題――宗教間対話と公共哲学』(蒼天社)をご恵贈いただきました。わたしも参加した3月の国際宗教学宗教史会議(3/19参照)での諸発表をもとに編纂されたものです。星川先生には授業にもお出でいただいたことがあり、宗教間対話についての問題意識を共有しています。現在このような対話が曲がり角にさしかかっている、という批判的な認識も共感できます。
8/31 同志による私的研究会で、牧野信也『イスラームの根源をさぐる』を読みました。朝日新聞の書評を見て選んだのですが、井筒俊彦のような深みや喚起力がなく、やや残念な内容。神の言葉、普遍性、人格性、倫理性など、取り上げられた主題がいずれも啓蒙的な叙述にとどまっており、ユダヤ・キリスト教を参照しながら、それとの異同もまったく不明なままです。しかも、文章は散漫で繰り返しが多い。かつての著者には多くを学びましたが、今回はとりわけ書評者に深刻な疑問をもちました。
8/30 卒論ゼミ合宿に行きました。小淵沢の定宿です。アメリカの市民宗教、宗教右派、UFOカルト、日本人の宗教と倫理、メキシコのグアダルーペ聖母信仰、レヴィナスと孤独など、多彩なテーマの学生たちです。さて、あと4か月でどこまで書けるでしょうか。
8/27 栗林輝夫『キリスト教帝国アメリカ――ブッシュの神学とネオコン、宗教右派』の書評を追加(「その他」ページ)。(8/30 追記:「同感」とわざわざ書評の評をお寄せくださった大阪の大先輩に感謝)。
8/25 友人と仙台市博物館で慶長遣欧使節と支倉常長の展示を見てきました。スペインで洗礼を受け、ローマで教皇に宣教師派遣を依頼した常長、メキシコとの交易を目論む幕府や伊達藩の思惑、そして禁教政策の硬化による困難など、実に数奇な運命と謎に満ちた人物です。航路が太平洋回りだったことや、日本の船大工がその帆船を作ったことなど、へえの連続。あいにく展示品は特設展のため縮小されており、「踏み絵」の現物は見られませんでした。博物館のボランティアの方がとても親切で丁寧に解説してくれました。
8/21 Der Untergang(『ヒトラー最期の12日間』)を観ました。俳優たちの名演で、事実より真実らしく見えました。ナチスの中枢部にいた人々を悪魔のように描いて終わらず、立体感のある人間として描いています。逆に、特権的な地位を無邪気に謳歌していたゲッペルスの子どもたちは、「罪がない」と言えるのかどうか。主人公となった本人がラストに登場し、当時を回想して、「若くて何も知らなかった自分に罪がないとは言えない」と語ります。日本の戦争映画に芬々とする美化や陶酔や弁明はなく、崩壊期の人間のあるべき姿を考えさせられます。
8/20 秋学期の「神学概論」シラバス (2005-1) を載せました。多摩アカデミック・コンソーシアム (TAC) 各大学の学生や三鷹市民大学講座の受講希望者のために、早めに掲載するものです。もしかすると細部は変更があるかもしれませんが、大筋はこんなものでしょう。
8/19 John Irving の The Hotel New Hampshire を読みました(邦訳もあるし、映画もあるらしい)。初期の作品ですが、彼の小説はいつも家族の愛、それも喪失していっそう深くなる愛が主旋律になっていて、読むと後々まで心の温もりが残ります。何気なく読んでいた小道具が、後になって思わぬ伏線になっていた、という推理小説風の仕掛けもあります。少しエロチックなところも好きです。しばらく前は、John Grisham を新刊が出るたびに読んでいましたが、飽きました。いずれにしても大衆小説ですね。最近はお休みに一冊だけ、仕事を終えたご褒美に、とっぷり浸かって読みます。
8/17 西片町教会(5/22参照)のホームページが新しくなりました。友人の山本裕司牧師が、ここで宣伝しておいてくれ、とのことです。あまり効果的な宣伝にはならないと思いますが、どうぞのぞいてみてください。とても意欲的なHPで、最新の説教などもあります。そういえば、息子さんの結婚式があと数日ですね。おめでとう。子どもをきちんと育て上げることより大事なことって、わたしたちの人生にはあまり多くないと思います。
8/12 在日大韓基督教会の第56回全国青年夏期修養会に行ってきました。「寛容と信教の自由――自分の信仰と隣人の信仰」について話しましたが、真摯な青年たちとのディスカッションは、クラスの延長のような気分でとても楽しいものでした。在日キリスト者のアイデンティティが、韓国から来日するキリスト者と大きく異なっていることを、はじめて知りました。
8/8 エドワーズ研究関連リンク集に手を入れ、新しいリンクを一つだけ足しました。もう少し拡充したいと思いますが、なかなか手が回りません。ブログだのトラックバックだのをやっている同学の先生方、ほんとにご苦労様です。同志社大学神学部教授小原克博氏の充実したHPブログをご覧ください。わたしは、夏休みなのに、もうお尻に火がついている感じです。みなさん暑さにめげずがんばりましょう。
8/4 立命館大学「アメリカ研究夏期セミナー」に出席してきました。お招きをいただいてはじめて出かけたつもりでしたが、実は数年前にまったく同じセミナーでエドワーズについて発表したことをようやく思い出しました。今回はなぜか行政学のセッションだったため、充実した内容にもかかわらず、得るものは多くありませんでした。特に、Keynote の J. M. 氏は、「日本の皆さんから学ぶ」と言いながら、こちらの発言は聞かずに一人で喋り通しでした。
8/1 「ドグマこそドラマ」、『信徒の友』7月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第4回」を公開(「その他」ページ)。ドロシー・セイヤーズの同名著作を取り上げました。
7/25 今年5月の聖学院大学での講演「世界史の深層動向から日本の神学を問う」を掲載。PDF でなく MSWord 形式にしました(「論文」ページ)。この方が見やすいようです。昨日は友人の紅葉坂教会伝道師就任式に出席しました。
7/16 3月に出席できなかった政教分離論の研究会にようやく出席。5年前に書いた古い論文に手を入れて出版することになりました。今読み返してみると、明らかに 9/11 以前に書かれた雰囲気が残っています。「ロジャー・ウィリアムズの孤独」について書いた『アメリカ研究』掲載論文の姉妹論文になります。
7/11 聖学院大学総合研究所「公共神学研究会」でアジア神学について話しました。日本の神学のポストコロニアル批判とサバルタン化について話しましたが、神学校時代の恩師にはあまり受けがよくありませんでした。「君はそういう新奇な学問に脇目をふらず、ICUでもっとしっかり神学をやり給え」なんて感じです。でも楽しい会でした。
7/10 ふう。熱を出してまた3日ほどつらい日を過ごしました。今日の説教は危うく代読になりそうでしたが、何とか回復。ちなみに原稿は、理学科の鈴木寛教授のホームページが載せてくださいました。同HPには、他にもICUでなされた学生教職員の多くのメッセージが掲載されています。どうぞご覧ください。
7/4 Kazoh Kitamori, The Theology of the Pain of God北森嘉蔵『神の痛みの神学』英訳版)に "Foreword"(序文)を書きました。英語だけでなくドイツ語、スペイン語、イタリア語、韓国語などに訳された日本人神学者による世界的名著ですが、1965年に John Knox Press から出て以来、長く絶版になっていました。今般、版権の問題が解決して、Wipf and Stock Publishers から出版されます。
7/1 「わたしたちを最後に動かすもの」、『信徒の友』6月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第3回」を公開(「その他」ページ)。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去をめぐる記事です。時事問題をホットなうちに論ずることは、印刷媒体を経由する以上どうしても無理があるので、せいぜいキワモノになり終わらない内容になるよう努力しています。
6/29 ガダマーの授業で学生が提出した手書きの内容略解を2枚載せます。邦訳のない『真理と方法』第二部を鳥瞰するには便利です。Two charts for understanding Gadamer's Truth and Method Part II. They belong to the two students who took my Graduate School course this spring along with other nine. (「シラバス」ページ参照。 服部紘司、Cathy Francis
6/25 「キリスト教概論」を受講したある学生からのコメント・シートと、わたしの返信とを載せました。福音派教会出身の新1年生です。(「シラバス」ページ参照)。
6/22 先日(5/30)買った中古の ThinkPad に Vine を入れましたが、何度も入れ直しているうちにブートローダーがおかしくなりました。幸い MBR を保存してあったので、それを戻してから、今度は Fedora Core 3 を入れました。これもダウンロードして DVD 一枚に焼いたものです。学期と採点が終わったら、ゆっくり設定しようと思っています。7月には聖学院大学で、8月には在日大韓教会全国青年協議会で、9月には日本基督教団四国教区で、講演をします。それから、7/10 は半年ぶりに ICU 教会で説教します。
6/17 「日本宣教学会」の発足総会に出席しました。福音派諸教会が中心ですが、カトリックの方々もおられて、とてもエキュメニカルな集まりになりました。神戸や大阪からも旧知の出席者があり、名簿は70人で出発です。ただし、残念ながらわたしの母校からは出席者なし。さて、日本の宣教はどうなるのでしょう。
6/13 国際基督教大学「キリスト教と文化研究所」で香港中文大学の李教授 (Prof. Archie Lee) に講演をしてもらいました。"God's Asian Names: Rendering the Bible God in Asian Contexts"(聖書の神をアジアで何と呼ぶか――アジア的文脈における聖書解釈)。アジア神学を問うことは神学そのものを問い返すことだ、というわたしの視点とよくかみあって、よいディスカッションになりました。Archie は土曜日まで Visiting Scholar として滞在します。
6/11 「日本ピューリタニズム学会」の設立大会に出席しました。関西や九州の方を含め、およそ30名の理事とあわせて70名ほどの出席があったそうです。「アメリカ学会」や「キリスト教学会」などの大きな枠組みの他に、「初期アメリカ学会」もここ10年ほど活動を続けてきましたし、エドワーズ研究の興隆のためにはとても喜ばしいことですが、これからどのようにそれぞれを切り分けてゆくのか、考えさせられることになりそうです。
6/9 「キリスト教概論」のクラスで、香港中文大学 The Chinese University of Hong Kong「宗教と中国文化研究所」所長の呉教授 (Prof. Peter Tze Ming Ng) に特別講演をしていただきました。"Teaching Christianity from a Global and Cross-Cultural Perspective--Reflections from the Chinese Experience." 同大学からはアジアの代表的な聖書学者である李教授 (Prof. Archie Lee) も客員研究員として来ています。ともに年来の友人です。
6/6 アメリカ学会京都大学に行きました。レセプションに使われた時計台の大ホールが新しくなっていて、とても立派でした。でも、"foyer" が「ホワイエ」と書かれているのは、ちょっと笑えます。何だか羽織袴で髭を伸ばした明治紳士が使った英語みたいです。発表では、ヴィジュアル・メディア系に多くの若い人々が集まっており、時代の推移を感じざるを得ませんでした。
6/1 「内なる対話のはじまり」、『信徒の友』5月号「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて・第2回」を公開(「その他」ページ)。
5/30 ThinkPad X40 を買いました。出張用に軽くて長もちするものを探していましたが、それほど頻繁に使うものでもないし、どうしようか、と思っていたら、中古品を定価の半額で売っていたので、つい買ってしまいました。開けてみると、HD にパーティションが一つしかありません。そこで Knoppix を CD に焼いて立ち上げ、qtparted を使って切り直しました。こういう時の情報源として、ウェブはとても貴重です。振り返ってこのホームページのことを考えると、あまり人のお役には立てそうもありませんね。とほほ。
5/22 西片町教会の礼拝説教を担当しました。山本裕司牧師とは四国以来の親しいおつきあいで、この日彼が韓国の姉妹教会で説教するために代役を頼まれたのです。ペンテコステの翌週でしたので、今年1月に亡くなった学部3年生のK君から受けた促しについて語りました。ウェブを見ると、すでに私の説教がいくつも出回っています。このホームページにまとめて載せようかとも考えましたが、結局ウェブ社会でそんな一元管理は不可能だとあきらめました。
5/13 ようやく PDF 作成ソフトを入手し、これまで重かったファイルをそれぞれおよそ半分のサイズにすることができました(下記1/4参照)。OCR も重ね直したのですが、以前より文字の認識率が低くなっているかもしれません。その場合はそのままプリントアウトしてお読みください。ちょうど中国大陸の神学校から献本依頼を受けましたので、まずはこのホームページからいろいろな論文をダウンロードしてもらうようお返事をしたところです。日本語の文献でも読めるんですね、あちらの方は。
5/10 「エドワーズ・リンク」ページに一部付記しました。ジョナサン・エドワーズ・センターのオンライン公開延期のお知らせです。
5/6 The Princeton Companion to Jonathan Edwards が出ました。プリンストン大学出版局からで、イェール大学出版局の全集完結を見越して出した、という感じです。エドワーズの「神学」に焦点をあてた一巻なので、わざわざ編者のリーが「おまえの本を大いに宣伝しておいたぞ」と言ってきました。さては一昨年の学会でやりあった後だいぶ譲歩したのかな、とほのかな期待をもちましたが、よく読んでみると彼自身の議論はほとんど変わっていません。まったく頑固で偏屈なオヤジです(「拙著英文書評一覧」ページに掲載)。
5/1 『信徒の友』に連載をはじめたコラム「キリスト者として生きる――現代社会の座標軸をもとめて」を公開します。出版局との了解で、毎号ひと月遅れで掲載することにしましたので、今回は4月号です。とても地味な記事で、たとえ発売月中に公開しても、それで売れ行きに影響するなんてことは考えられないのですが(「その他」ページ)。
4/22 エドワーズ関連の論文を二つ書きました。一つはアメリカのエドワーズ研究において拙著がどのように受容され批判され発展しているかを概観したもの、もう一つはいわゆる「大覚醒」と呼ばれる信仰復興運動の歴史的研究をエドワーズ神学の視点から見直したものです(「論文」ページ「エドワーズ・出版物」ページ)。
4/15 今年度のキリスト教概論の授業開始時学生アンケート結果を掲載しました。わたしのコメントも少しだけ入っています(「シラバス」ページ)。
4/7 春学期の大学院シラバスをアップしました。ガダマー『真理と方法』の第二部を読むつもりです(「シラバス」ページ)。
4/2 ある卒業生から、かつて受けたというわたしの授業を振り返って、とても率直なよいお便りをもらいました。ご本人の許可を得て、そのままの文章で転載しておきます。特に新入学の1年生に読んでもらいたい言葉です(「シラバス」ページ参照)。
3/30 昨年秋にワシントン州立大学でもたれた学会の成果が出版されました。Toward a Peaceable Future: Redefining Peace, Security, and Kyosei from a Multidisciplinary Perspective (The Thomas S. Foley Institute for Public Policy and Public Service, Washington State University)――(「著書」ページ参照)。
3/19 来週から東京で開かれる国際宗教学会では、3月25日の午後、"Christianity at Crossroads: Seeking Asian Identities from a Theological Perspective" という公募パネルを組み、わたし自身はそこで "Lex orandi and lex credendi of Asian Christianity: Asia as a Historical Concept" という発表をします。当初は『アジア神学講義』の一部を英訳すればいい、と気楽に考えていたのですが、いざ英語に直してみると、内容をまったく新しくしなければならないことがわかりました。ここしばらく、新しい勉強ばかりで非常に苦労しましたが、いまだに出来上がっていません。う~ん。
3/8 学生の期末レポートを採点しましたが、その中にとても優れたものがあったので、本人の許諾を得て本ホームページに掲載しました。授業内容の一端がおわかりいただけると思います(「シラバス」ページ参照 「原理主義および宗教間対話について」)。
3/2 風邪をひいて3日ほど寝てしまいました。貴重な時間を失い、楽しみにしていた政教分離の一泊勉強会も欠席。とても残念です。エドワーズ研究のイェール大学公式サイト(「エドワーズ研究」の「リンクページ」参照)が少しずつ充実してきました。ヴィデオがいくつか載っています。スキップ・スタウトの挨拶、エドワーズの草稿をどのようにして活字にするかを語るもの、最近詳細なエドワーズ伝を刊行したマーズデンのインタヴューなど。マーズデンの Jonathan Edwards: A Life は、わたしはあまりよいとは思いません。書評してあります(「その他」ページ参照)。
2/22 3月の学会発表のために、『アジア神学講義』でお世話になったシュライターの Constructing Local Theologies (1985) を読み直しています。「伝統」について考える時には、やはりカトリック神学に学ぶことが多いです。メッセージの「送り手」は内容の明晰性が重要だと思っているが、「受け手」が問題にするのはむしろその信憑性だ、というくだりでは、最近身の回りで起きているコミュニケーション・ギャップをつくづく考えさせられました。
2/11 今日は入学試験でした。試験監督の合間に、末木文美士『日本仏教史――思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)を読みました。「日本」と「仏教」の「おめでたい調和」でなく、「日本を問いに付す力としての仏教」という考えに、深く共感を覚えました。現代アメリカを覆う「躓きを失ったキリスト教」の問題と類比的です。扱っている時代は違いますが、同著者による『近代日本と仏教』も同じ視角から書かれています。ちなみに、ある高名な仏教学者がホームページで拙著『アジア神学講義』を詳細に論評しておられます(「恨」という原理)。
2/2 トータル・アクセスが1,000件を越えました。昨年12月10日よりの表紙ページ訪問数で、ひと月に500件ほど、ということになります。――この欄、「更新記録」というより、なんだかいわゆるブログ風になってきました。
1/28 新刊本を2冊いただきました。宮平望『ゴスペルエッセンス』(新教出版社)と阿部仲麻呂『信仰の美學』(春風社)です。プロテスタントとカトリック、薄く短いの(108頁、950円)と厚く長いの(700頁、9,500円)という違いはありますが、ともに若い神学者が書いたキリスト教と文化に関する説教・黙想・エッセイ集です。学問と信仰のよい相即が見られます。おすすめします。それから今日は、原理主義と宗教間対話のクラス(「シラバス」ページ参照)に西谷幸介先生(「その他」ページ参照)をお招きしました。
1/17 最近に出た書評(自著と他著)を PDF 文書にしていくつか付け足しました(「著書」ページと「その他」ページ)。
1/12 アメリカ教会史学会に出席してきました。"Three Centuries of Studying Jonathan Edwards: From Samuel Hopkins to Ken Minkema" というセッションがあり、そこでイェール大学の新しい大胆なウェブ・プロジェクトが発表されました(エドワーズ「リンク」ページを参照)。なお、渡部謙一氏のサイトには、1つでなく3つのエドワーズ邦語文献があります。こちらもご覧ください(エドワーズ「リンク」ページ)。
1/4 エドワーズの邦語文献リストを拡充しました(「出版物」ページ)。「リンク」ページも拡充し、渡部謙一氏によるエドワーズの邦訳ページも付加しました。なお、各所にアップしてある PDF 文書は、引用の際に頁数を確認してもらえるようにと、実際の印刷物をスキャンして作ってあるのですが、もう少し軽くできないかと思案中です。

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