2009 News and Events @ Anri Morimoto

12/27 京都で基督教学会の編集委員会。学会誌の編集方針は長老支配の旧弊を脱し、ここ数年ずいぶん進歩してきました。それでも他学会に比べるとまだ不透明な部分が多い気がします。査読のシステムをもう少しまともに機能させたいですね。
12/25 マクグラス『プロテスタント思想文化史』(佐柳文男訳)が出ました。「推薦文」にも書きましたが、各人が聖書を解釈する権利をもつというのは実に「危険な」思想です。その危険思想がいかに近代世界を形成してきたかが本書の主題。国家があって教会ができたのではなく教会が国家を作ったこと、欽定訳が別の聖書翻訳を葬るために作られたこと、教会は長いあいだ宣教に無関心だったことなど、新しい発見と思想的刺激に満ちています。何よりも歴史的プロテスタンティズムのアイデンティティをどこに見るべきかの議論が大胆で斬新。
12/19 『アメリカ史研究入門』(山川出版社)が出ました(「著書ページ」参照)。第一線のアメリカ研究者たちが書いた最新の決定版です。「資料編」のまとめという煩瑣で報われない仕事を担った橋川健竜さんにも感謝。ところで、「わたしたちが腐敗するまでには、これから何百年も過ぎねばならないでしょう」というのは第二代大統領ジョン・アダムスの言葉ですが、どうやらそんなに長くはかからなかったようだ、というのがわたしの章の書き出し。
12/16 『現代人はキリスト教を信じられるか』は、おかげさまで4刷が出ました。日曜日はアメリカ学会常務理事会。
12/12 初期アメリカ学会で高梨良夫先生(長野県短大)のお話。エマソンの Spirituality まではいいとしても、そこから朱子の理気論へとつなげるのは、かなりの荒技で説得力に欠けるように思われました。アジア神学の中に出てくる名前もあり、文脈の設定をていねいにすればきっと興味深い議論になるのでしょう。
12/5 松森奈津子 『野蛮から秩序へ』 はすばらしい本です。従来の日本の研究に見られなかった視点で、近代国家の形成を中世スコラ学から辿り直しています。なぜビトリアやラス・カサスは植民国家スペインの暴虐を批判してインディオの普遍的人権を擁護できたのか。わたしはこれを Brian Tierney から学んで『アメリカ・キリスト教史』にも短く触れましたが、松森さんは一次資料に基づいてカトリックの神学的自然法から人間論や正戦論や主権論を詳細に論じており、実に画期的です。大いに声援を送ります。
12/3 宗教を語りなおす』 を読みました。いずれも近代宗教研究のポストコロニアル批判ですが、磯前順一の序論、タラル・アサドによるW.C.スミスの読み直しと「世俗主義」批判、増澤知子による「世界宗教」概念の批判など、実に刺激的です。アジア神学の視点からも学ぶところが大きい。Tomoko 先生、いつかの AAR Newsletter でも読みましたヨ。
11/29 先月のエディンバラ滞在の写真を写真帳に追加しました。
11/22 女はみんな生きている」を観ました。はじめは何だかわからない展開だけれど、最後になると痛快なコメディ。邦題は原題 (Chaos) よりずっとまし。最後にいろいろな世代の女たちが顔を揃えると、なるほどと思えます。出てくる男たちがみんな最低で、女たちがみんな颯爽としている。見終えると、フランスにとってのアルジェリア問題と、通俗イスラムの女性観の問題がくっきりと印象に残ります。
11/17 学生に言われて民主党小沢幹事長の「キリスト教は排他的」発言を知りました。たしかにこの発言の方がよっぽど排他的ですが、まあ相変わらずのワンパターン思想なので、とりたててコメントはありません。政治家にこの種のまっとうな議論を期待してもね。ただ、そこで相手が「はあその通りですね」と同調したなら、これは大きな問題になります。もちろん、高野山真言宗の偉いお坊さんはそんなことをおっしゃらない。それよりカズキ君、こんなHP見とらんとしっかりティリヒを勉強せい!
11/12 神戸女学院大学のチャペル講演に行ってきました。実によく設計された美しい建物と配置で、「キャンパスが教育する」というヴォーリズの言葉がよくわかります。キャンパスはリベラルアーツと不可分ですね。起伏や坂も風情を豊かにしています。そういえば、エディンバラも起伏が多くて美しい街でした。シャーロット・ブロンテによると、ロンドンは散文だがエディンバラは詩なのだとか。なるほど。それでICUにもバカ山があるのか。
11/5 憲法解釈も政治主導で」と今朝の新聞にありました。新政権にはいろいろがんばってほしいと思いますが、これは民主主義の危険な側面を示しています。まさにこういう世論の暴走を防ぐためにあるのが立憲制です。ただし、憲法の安定的解釈を担うのは、官僚ではなくやっぱり裁判所であってほしい。それから、「誰が読んでもわかるような憲法」なんて不可能です。
10/31 ICU同期会。110人も集まりました。当時たしか一学年350人くらいだったから、3分の1は集まったということでしょうか。懐かしい顔が30年分の皺を刻んであり。仕草も昔のまんまで、それを見ると「ああ、この人だ」とわかります。ICU Song B面なんていうのも、30年ぶりに歌いました。恥ずべきことのみ多かりし日々でしたが、貴重な4年間を一緒に過ごしてくれてありがとう。
10/27 右欄の『現代人はキリスト教を信じられるか』第3版が出ました。発刊4ヶ月です。早いですね。ありがたいですね。
10/21 Ministry 第3号に「時事評論」(「その他」ページ参照)。日本は不安定な二大政党制の時代に入ったのでしょうか。民主主義は本来不穏なものです。総選挙と同時に最高裁判事の国民審査も行われましたが、この審査制度は機能していないし、わたしはそもそも不適切だと思います。建国時のアメリカ人は、これを導入した GHQ より賢かった。
10/14 昼は今年の論文出版でお世話になった Dr. Kee と会食。いわゆるジェントルマンズクラブで、とんでもなく贅沢な建物とディナーでした。ロイヤルファミリーの近さだとか、古都の貴族階級の存在を目の当たりにしました。日本にも The Rich and Powerful はいるけれど、こういうのはないような気がする。それともあるのかな、わたしが知らないだけで。夜は BBC 放送のディレクターからメディアと宗教の教授になった Dr. Mitchell のお宅で、ずっとカジュアルなご一家とくつろぎました。
10/13 アジア神学の授業があるというので参加してみましたが、学生は4人で、わたしの授業よりずっとゆるい感じ。昨日は Dean の Dr. Hurtado と会って、エディンバラ大学神学部がなぜ "New College" と呼ばれるに至ったかを縷々説明していただきました。やはり Church of Scotland の働きが大きい。金曜日に会った社会学の Hearn 先生もスコットランドのナショナリズムについて同様の解釈でした。
10/12 Royal Botanic Gardenに行きました。1メートルを超す大きな葉っぱの植物がありました。"Umbrella Plant" (Darmera Peltata) というのだそうですが、ヨナ書に出てくる「とうごま」みたいでした。
10/11 John Knox が説教していた歴史的な教会で日曜日の礼拝。大きなカテドラルですが、出席者は百人くらい。聖餐式では、大きな杯にそれぞれ口をつけて飲むので、ちょっと衛生面が気になりました。説教は10分ほどの短いもので、内容は月並みだけど文章がきちんと練れていて美しかった。それから、クワイヤの歌う曲がモーツァルトばっかりで、とても幸せな気分になれました。やっぱり教会は銭湯だ。
10/10 山道を歩いていると、忽然と廃墟となった中世の教会があらわれました。どうしてこんなところに。。。ちょっと不気味でちょっと場違いでちょっとものさびしくて、何となくスコットランド。1426年に教皇がこの教会の修復を援助したという記録が残っているとか。
10/9 今日は特別に許可を得て、1910年のエジンバラ世界宣教会議の会場を見せてもらいました。こちらがその歴史的写真、そしてこちらが今日の写真。古い方はわたしの『アメリカ・キリスト教史』にも載せてあります。その有名な写真とまったく同じところから同じ場所を見て、実にめまいがするような歴史的経験でした。普段は閉鎖されていて、スコットランド長老教会の総会で年に1度使うだけとか。来年の百周年にはもちろんここが使われます。
10/8 エディンバラ大学に来ています。客員研究員なので、今回は何も義務はなし。今日はIDカードを作ってもらって、午後は講演を聴いて、論争になっているダーウィンの映画Creationを観て、晩ご飯を食べながらのディスカッション。
10/5 「宗教の政治参加」についての懸念が新聞紙上で表明されています。わたしは「オウム真理教」や「幸福実現党」などの政治参加が現実的であるとも賢明であるとも思いませんし、彼らを応援したいとも思いませんが、「宗教が現実政治にまみれる」ことへの批判は、かなり一面的な宗教理解の押しつけに聞こえます。憲法で擁護された人権の侵害にもつながります。ここにも「政教分離」の日本的な誤解が露呈していて、とても残念です。
9/28 After Edwards: The Courses of the New England Theology (Oxford University Press) が進んでいます。編者は Oliver Crisp (Bristol) と Doug Sweeney (Chicago)。これもまだ書いていないのに、もう一つエドワーズ研究で書かねばなりません。こちらはプリンストンの恩師への献呈論文集。何だかもう首が回らなくなってきました。
9/21 『本のひろば』に右欄のバーガー訳書の書評が掲載されました。高橋由典先生(京都大学大学院人間・環境学研究科)によるもので、著者の問いかけを正面から受け止めていただいたことがよく伝わってくる、とてもよい書評です。高橋先生は『社会学者、聖書を読む』という近著もあり、まさにご専門です。。。と言っている間に、拙訳の第2版が出ました。3ヶ月で再版は早い。
9/17 宗教間対話研究所で第3回講演(「講演」ページ参照)。ご出席の中には、曹洞宗の導師さまや教学ご専門の教授だけでなく、三鷹市の玉光神社若宮司、青森松緑神道大和山ご出身の新宗連幹部などもおられます。余所ではなかなかお目にかかることのない方々で、実に楽しく瞠目刮目の話ばかり。
9/13 並木浩一『聖書の想像力と説教』をいただいて読みました。いつもながら圧倒的な思想の喚起力があります。テクストと読み手との相互浸潤、視線の相互性、小説の個人性と物語の共同性、限界超出の能力としての想像力とその問題性、そしてこれらの視点から読み解かれる聖書テクストのいくつか。領域は違いますが、わたしもこのように勉強したいと思います。つまりこのような先生の存在そのものが、一つのメトニミーとなってわたしに働くわけです。
9/8 桜美林大学で「キリスト教文化学会」常任理事会。恵泉女学園大学で10月末に開催される学会では、昨秋のシンポジウムに続いて木村利人学長にお世話になります。わたしはリーヴなので、と尻込みしましたが、申し訳なかったかな。
9/6 経堂北教会の特別伝道礼拝。岸俊彦先生とは東神大で同期です(同教会HPに載っているお写真は8年前のだとかで、まだ学生時代の面影が残っています)。礼拝後の懇談会も楽しかった。この頃は同級生と会うと、自分たちではなく子どもたちがどこで一緒だったとかの話になります。城東教会や代官山教会の関係者もおられました。やっぱり狭い世界ですね。
9/5 山川出版社『キリスト教の歴史2』がようやく上梓されました(「著書」ページ参照)。わたしはアメリカの部分を執筆しましたが、ヨーロッパ、アジア、アフリカをも共時的に見る意欲作に仕上がっています。同じ山川の『アメリカ史研究入門』も再校段階。
9/1 右欄にある拙訳書『現代人はキリスト教を信じられるか』が朝日新聞で書評されました(「著書」ページ参照)。アメリカ研究の久保文明先生によるもので、懐疑と信仰とのバランスや、現代人はみな異端となる運命にある、という著者の意図をよく汲み取ってくれてあります。ほんとはもう少しお茶目なところもいっぱいあるのですが、「新約聖書学者のセックス」なんて、さすがに朝日新聞紙上でははばかられますね。
8/29 日本基督教学会(北海学園大学)終了。今年のシンポジウムは春に関東支部会で取り上げたのと同じテーマで、ちょうどその成果が先週出版されました(『神学とキリスト教学』)。わたしの問いは「神学の学問的特質をどこに尋ねるべきか」ということでしたが、今日は「キリスト教学」の総合性が曖昧なままに残ってしまった感じ。
8/26 卒論合宿終了。今年はリーヴなのでやらないよ、と言っていたのに、13人もかわいい学生が集まりました。他の先生方にお委ねするのに恥ずかしくない程度までは指導しておいてやらんと。イブン・アラビーの存在一性論、ニーチェのレーベンスラウフ、ヒュームのhuman nature論、フロイトの宗教論、ティリヒのCourage to Be、ブーバーとウスペンスキーの神秘主義的現実理解、バルトと信仰告白、アメリカ宇宙飛行士像、天野貞祐の教育論、死生学における人称性など。
8/20 宗教間対話研究所で2度目の講演(「講演」ページ参照)。アメリカの二つの建国物語から、政教分離と寛容の話。ケネディの演説をロールズのリベラリズム理解で解くとどうなるか。後の交歓会では新宗連の事務局長さんのお話が興味深かった。今回も、帰ったら日付が変わっていました。
8/17 昨秋の基督教学会シンポジウムの発題が出ました(「論文」ページ参照)。ICU社会科学研究所の紀要に註つきの完全原稿を載せてありますが、こちらではシンポジウム席上で受けた2つの質問に答えてあります。アメリカの「デノミネーション」や「政教分離」については、学会の中でもいまだに多くの誤解があるように思います。
8/10 教団出版局主催の出版研究会。執筆者と編集者をつなぐという意図のようです。ドイツ表現主義が制度的教会によらないキリスト教の破壊的創造を目指した、という深井先生の報告が面白かった。
8/8 上坂昇著『神の国アメリカの論理』の書評を掲載した「アメリカ学会会報」が出ました(「その他」ページ参照)。学会HPにも載る予定ですが、データ待ちで未処理です。自分の委員会の担当なのですが。先日の英文ジャーナルの論文は、全文がウェブに掲載されています。無料で読めるので、学会誌を買う人が少なくなるかな。。。
8/4 Ministry 誌第2号の「時事評論」を掲載しました(「その他」ページ参照)。石原都知事のオリンピック誘致問題ですが、都議選のあと雲行きが変わりましたね。8月末の国政選挙は、日本の民主主義が機能しているかどうかを知るチャンスになりそうです。
7/31 今年も後半期がひと月経ったので、前半期を別のページに移しました。1年分ごとでもいいのかなと思いますが、ページが重いと見る人にはご迷惑かと思います。
7/27 「ICU出身伝道教職者の会」。ご家族を合わせて60人くらい集まりました。前回からもう10年も経ったのですね。前回はわたしが主催者だったので、ずいぶん様変わりしました。終了後すぐに自宅での私的研究会。ちょうど今日でペリカンの『教理史』を3巻まで読み終わり、リーヴに入るので休会。この勉強会も前回リーヴの後で始めたので、もう7年になりました。一人ではとても読めないような本を友人たちとじっくり読むのは至上の喜びです。ご出席のみなさんありがとう。
7/21 アメリカ学会の英文ジャーナルがようやく出ました(「論文」ページ参照)。前世紀アメリカで起きた二つの刑事事件から「ゆるし」の問題を考えたものです。土曜日の常務理事会で「もうとっくに送った」と言われ、学内を探したところ、大型郵便を入れる箱に入っていました。ときどきここに置き去りにされた郵便物が見つかります。今回も抜き刷り50部があったので、大型になっていました。ところでみなさん、あの抜き刷りってどうしても余りませんか?
7/16 宗教間対話研究所の連続講話(「講演」ページ参照)。曹洞宗長楽寺のご住職峯岸正典先生主宰の談話会ですが、仏教から新興宗教まで、諸大学の教授から学生まで、それに新聞放送メディアの方々まで、実に多士済々の聴衆でした。やっぱり他流試合が面白いですね。「修行」について考えさせられました。後の食事会も大いに楽しませていただき、帰ったら日付が変わっていました。次回は8/20、今度はアメリカの政教分離論について話します。
7/10 ようやく東大のクラスが終了。月曜日には立教も終わります。これであと1年は教えません。いや、来春のバークレーがあるから、日本の大学では、かな。リーヴ中の課題がすでに山積。エドワーズ研究にも少し戻りたいところです。
7/8 友愛書房(神田神保町)にたいへんお世話になりました。学生時代からときどき行っていますが、これという本を探すにはとてもありがたい存在です。ひと頃より整理がよくなって、わたし好みの良書が揃っている感じ。キリスト教や神学関係のものをお探しの方は、ぜひどうぞ。
7/3 昨年夏にした賀川学会での講演がようやく文章になりました(「論文」ページ参照)。2007年にプリンストンで行った講演の日本語訳です。ただし、50頁最終行が重複しており、51頁最終行が抜けています。「なぜ賀川はこの像に魅せられたのか。それは、彼自身も同じよう」 を補ってください。賀川は、「太陽を射る者」 というアメリカ先住民のブロンズ像を見ていたく感激し、自分に重ねて強い希望を抱いたのです。100年前に彼が見たこの像が現在も残っているのを発見をした時は、わたしも感激ひとしおでした。
6/27 同志社大学で日中韓神学フォーラム(「講演」ページ参照)。アジア神学の奪格的意義について話しましたが、ラテン語文法の用語を使ったためか、言語の問題はなかなか深刻でした。英語のテクストを用意しつつも各国語でやったため、通訳が追いつかず、中→韓はなし。逆に英語で論ずることの問題性も指摘した通りです。それでも学ぶところは多かった。特に、Lai Pan-Chiu 教授(香港中文大学)のコメントと批判は適切で貴重でした。謝謝。担当校のご配慮とご努力にも感謝します。
6/25 小山晃佑告別記念。奥様のロイスと二人の息子さんもご出席でした。ニューヨークのユニオン神学校居室にお招きいただいたことを思い出します。思い出を語るみなさん、一様に彼の微笑みを強調しておられました。しかしその彼も、戦争と天皇の責任を語る時の言葉は容赦なく厳しい。わたしの『アジア神学講義』3章をごらんください。
6/20 ピューリタニズム学会シンポジウム(「講演」ページ参照)。石川敬史先生(東京理科大学)のジョン・アダムズ論と大塚寿郎先生(上智大学)のホーソーン論とご一緒でした。3人ともピューリタン自身ではなく後代のピューリタン理解をめぐる発表で、まとまりのあるシンポジウムになりました。フロアからの質問も的を射たものでした。直前の David Armitage (Harvard University) の講演もよかった。"Revolution" でなく "civil war" を語るのが最近の動向とかですが、"civil war" たることの基準を設けるという点は、やや留保したい。
6/18 アメリカ大使館でヴィザの申請。ほとんどいやがらせですね、この新制度は。インタヴュー自体は愛想よく終わりましたが、受付は実に不快でした。お仕事とはいえ、何か歪んだパワー構造を感じました。
6/15 新刊書『現代人はキリスト教を信じられるか』(教文館)が出ました。社会学者ピーター・バーガーの懐疑的なキリスト教概説です。くだけているところとまじめなところが交錯していて、訳文にはだいぶ気を遣いました。楽しく読めますが、提起している問いは重い。おすすめの本です。
6/10 古藤友子教授の ICC 講演。朱熹の「格物窮理」を中国に渡ったイエズス会士は Philosophia の訳語に当てたとか。易の現実理解がとても興味深かった。「事が生ずる以前に理がある」から卜筮ができる。つまり、現実から理を抽出するのではなく、むしろ世界が理という容器に後から入る、という考え方。象徴体系が逆になっています。まことに、格物致知はリベラルアーツですね。
6/8 Elsie McKee (Princeton Theological Seminary) のICC 講演。前回リーヴの時にはお隣のおばちゃんでしたが、カルヴァン生誕500年記念の今年は世界中を講演して歩いています。それにしても、カルヴァンが毎週毎日していた説教の数にびっくり。
6/7 アメリカ学会(津田塾大学)。新型インフルエンザ騒ぎで開催が危ぶまれましたが、懇親会以外は何とか無事開催できました。ここしばらくの間、代替会場の用意やら学生アルバイトの確保やら返金方法の議論やらで、常務理事たちの間を毎日20通ほどのメールが飛び交いました。とりわけ学会HPの運営には気を遣いました。は~。
5/29 バークレーで教える来年度春学期のシラバスがウェブに出ています。リーヴが始まるまであとしばらくの辛抱。こうなると何だか自分でも人が良くなったような気がします。
5/27 マクグラスとの対談を文章化したものがようやく出ました。こちらは完全版で、省略もなく後半部分(アジア神学)も全部載せてあります(「論文」ページ参照)。グラムシの「有機的神学者」という概念や、WCC のエキュメニズムがかつてはシンデレラのように美しい存在だったのに、今や魅力を失って裏通りに落ちぶれている、というのが面白かった。
5/25 駒場で Don Kraybill (Elizabethtown College) の講演。アーミシュの村で起こった銃乱射事件をメディアがどう伝えたか。実際にその渦中にいた専門家の証言です。事件そのものは実に凄惨でショッキングですが、人間の尊厳はその中でこそなお強い光を放つように思います。修復的司法や紛争解決など、人間世界の傷や破れを癒す分野では、メノナイトの活躍が目立ちます。数年前にわたしの論文を読んでメールをくださったのは、いとこの Ron Kraybill 教授だということもわかりました。
5/20 広島女学院大学キリスト教週間特別講演。起伏のある美しいランドスケープのキャンパスでした。学生たちもよく聞いてくれました。教職員とはICUのリベラルアーツについて。ここでも卒業生に会いました。それぞれ遣わされた土地でがんばれ。
5/18 立教のあと教文館で Ministry 創刊記念シンポジウム。会場いっぱいの出席者でした。反応も好評のようです。若い編集者たちの努力が実りましたね。ニーチェで阪大に行った卒業生が、「先日梅田の紀伊国屋でミニストリー誌をたまたま発見し、某先生の満面の笑顔の写真を見て一人で本棚の前でニヤニヤしてました」と書いてきました。確かにあの写真、ちょっとにやけすぎています。
5/13 久しぶりに岡野昌雄先生(哲学名誉教授・現フェリス女学院院長)の ICC 講演。自己を知るのになぜ神との対話が必要なのか。自分を見つめているだけでは、自分を知ることはできない。自己についての知は自己の外部に存在し、他者から開示される。自己を知るとは、「神に知られた自己」を知ることである。しかし、自己の闇 tenebrae や深淵 abyssus を隠したまま、他者との真実な交わりを得ることはできない。だからアウグスティヌスは「告白」に至る。
5/7 いま友人から回ってきたのですが、桑田圭祐という歌手がビートルズの「アビーロード」を日本語パロディーで歌っています。日本の今の政治が皮肉られていて大笑い。実に上手です。歌詞ばかりでなく演奏も。きっと長くビートルズのコピーをやってきた人なのでしょう。歌詞ももともとのを歌い込んでいるから、ここまで「空耳」をそれらしく歌えるのだろうと思います。それにしても、あれから 40 年だなんて、歴史を感じます。中学生のわたしは月々のお小遣いを全部ためてレコードを買っていました。それが今ではこんな風にすぐ聞けます。この YouTube ってすごい情報源ですが、それが幸せなことなのかどうか。。。
5/3 お隣の「中近東文化センター」でヒッタイトと鉄のお話(大村幸弘先生)を聞きました。考古学者らしいロマンに溢れた講演。特設展のヘレニズムとシルクロードも面白かった。ギリシアの顔をした仏像って、とても不思議なガンダーラの魅力があります。お寺に彫られた酒神ディオニュソスもありました。「アレクサンドリア」が各地にあったというのも初めて知りました。
4/29 中川秀恭先生の葬儀。101歳。隠岐島でお生まれになり、2歳で幼児洗礼を受けられたとのこと。わたしが入学した時に学長になられ、すぐに「キリスト教概論」を受けました。聖書のあちこちを説明するだけの実につまらない授業でしたが、きっと聞くわたしが若すぎたのだと思います。10年ほど前に説教を一つお送りしたら、お返事に曰く「わたしはいまだ虚無を克服できずにいます。」ブルトマンよりレーヴィットなのでしょう。まっすぐで深みのある偉い先生でしたが、聖公会の式で思ったのは式文中心で牧師が楽そうだということ。
4/27 『新カトリック大事典』(研究社)第4巻が出てついに完結したようです。わたしが項目を書いたはもう20年近く前で、何だかもう出る前から古くなっていますが、まあこれが二千年の歴史をもつカトリックの鷹揚さなのでしょう(「その他」ページ)。
4/25 アメリカ学会常務理事会。6月の津田塾での年次大会の概要が決まりました。会員の方々にはすでに会報でお知らせ済み。学会ホームページへの掲載はもう少しお待ちください。
4/19 え?「国民へのプレゼント」?石原都知事殿、プレゼントというものは自腹を切ってあげるものです。わたしの税金を使って人に要らないといわれているものを押しつけないでいただきたい。そもそも、お上が税金でスポーツをやらせるというのは下品な文化です。17世紀のジェイムズ王みたい。それに、あの「視察」というのは何でしょう?IOCって接待づけの妙な団体ですね。
4/15 北森嘉蔵の『神の痛みの神学』新版の書評を書きました(「その他」ページ参照)。60年以上も前の本ですが、日本の神学書でこれほど世界に知られているものはありません。著者がこれを弱冠22歳で書いたというのがさらに驚きです。ちょっとナナメに座った先生の講義をなつかしく思い出します。
4/12 Happy Easter! 「無神論の黄昏」と「内なる確信――裁判員制度がもたらすもの」を書いた新雑誌が出ました(「その他ページ」参照)。
4/11 庭をたぬきの子どもがのっそり横切ってゆきました。よく見ると疥癬病みのようです。小綬鶏のつがいもいます。春ですね。今年は庭のツツジがもう満開。
4/6 Studies in World Christianity の論文が出ました。Edinburgh University Press のウェブサイトで全文が読めます (US$18.00-)。実は4年前に書いたものです(「論文ページ」参照)。
4/4 滑走路の桜を一枚。今年の新入生はちょうど満開の時にこのトンネルをくぐって入学できました。
4/1 新年度が始まり、哲学宗教学デパートメントには2人の新任が加わりました。長い長い人事が結実して、感激ひとしお。ニューイングランドにおける政教分離を扱った論文が一つ出ました(「論文ページ」参照)。この春は大小あわせて10本くらい出ることになっていますが、みんなほんとに出るのかな。
3/27 日本基督教学会関東支部公開シンポジウム「神学研究とは」(聖学院大学)。午前中の発表は低調でしたが、午後は4人のパネリストでなかなか有意義でした。わたしはハイデガーの神学理解から短いコメント。問題は神学が外へ向かってどのように発言するかですね。
3/25 春の卒業式。あいにくの雨でしたが、それでもキャンパスには春が感じられます。ゼミ生のつながりで、既卒学生の消息を聞けるのも楽しみです。名古屋の谷君、法科院がんばれ。京都の田村さん、今度泊まりに行きます。信州に行く柏原君、卒業後は老人医療で頼むよ。この HP にも登場した MR さんは、わたしの授業を忘れずに人権論の研究へ進まれるとか。それぞれの進路に祝福あれ。
3/20 Eric Foner (Columbia University) を囲むシンポジウム。報告者がそれぞれ面白かった。白人年季奉公人と黒人奴隷とが分化してゆく過程とか、イギリス人の自由がアメリカ革命で普遍化される過程とか。非主流派キリスト教の伝統が革命期の合理思想家たちに用いられた、という構図もなじみ深い。ただ、やっぱり自由の構設という問題は残っているように思う。複数形の Liberties の問題です。
3/17 ファカルティ・リトリート。リベラルアーツの新カリキュラムが正念場です。今年のセンター試験では、足切りの点が東大より高いのだとか。小さな大学でセンター試験をやるのはたいへんですが、地方の高校生に ICU のことを知ってもらうのは大きな宣伝効果ですね。
3/13 昼は退職教員の送別会。今年は4人とも卒業生教員でした。夕方は自宅での読書会。ペリカンの教理史は3巻に入りました。アウグスティヌス的総合から中世神学への発展の必然性。やはり基本の勉強は基礎体力の向上にとても大事だと実感します。
3/7 ICU 和太鼓部卒業チャリティ公演(前進座)。半ば強制動員されて行きましたが、それでも年ごとの個性があっていい演奏です。今年はみんな大らかでした。太鼓をたたくときには男子も女子も力強くて美しい。長年顧問をつとめられている三橋先生にも感謝。
3/5 久しぶりに晴れたので、キャンパスの梅を一枚。ばか山は学生もまばらになって、梅の香りが漂っています。
2/27 卒論発表会と打ち上げ。発表は8人でしたが、参加者は23人。日本の捕鯨、オウムの林郁夫論、ニーチェの悲劇論、結婚と性の解放、ラクーア伝道、ボンヘッファーと殉教、メルキゼデクの本文批評、カクテルとバーなど。いずれも思想のぶつかり合いが見えて、わたしの学生らしい論文でした。うち半分が大学院に進学。どの道へ進むにしても、君たちの前途に祝福を祈ります。
2/24 田中敦教授の最終講義。問うこと自体が最高の知の形態である、というハイデガー。答えを出して解決してしまうのでなく、可能な限り問いの中にとどまること。だからニーチェは最高の神探求者なのです。リベラルアーツの知とは、自分が知らなかったあれこれの知識を得るというより、知っていると思っていたことについて実は自分は何も知らなかった、ということがわかるほどにまったく新しい知り方をする、ということですね。
2/18 舛添厚生労働大臣殿。ご同僚の中川氏が辞任されましたが、何でも風邪薬でもうろう状態になったとか。アルコールは「口につけだだけで飲んでいない」と明言しておられます。この際ぜひ中川氏の服用された風邪薬を厳密に調査し、かくも重篤な副作用をもたらす危険な薬の認可を取り消していただきたい。
2/17 新雑誌 "Ministry" の創刊号がいよいよ4月10日に発行されます。若い編集者や執筆者が集まっていて、何やら元気の出そうな企画ばっかりです。「ハタから見たキリスト教」とか「教会のオシゴト」とか「新刊さんいらっしゃい」とか。DVD 付き。雑誌が売れないと言われる今日こそ新雑誌を出そう、という心意気がいい。
2/13 アジア神学者の会議に行ってきました (6th Congress of Asian Theologians, Central Philippine University, Iloilo City, Philippines)。今回は "resource person" としての参加で発表はなし。ミャンマー奥地の Wa 族の発言などが興味深かった。写真帳にイロイロ島を追加しました。
2/7 ICU入試。今年も無事終わりほっとしています。同志社大学の小原さんに「そちらはもう授業が終わっていて羨ましい」と書いたら、彼は地方の入試会場の責任者として10日も出張中だとかで、「授業をやっていた方がよっぽど楽だ」だと言われてしまいました。なるほど。うちは授業をやりながらの入試だけれど、それでもまだましなのかな。
2/5 旧友の高橋一さん(酪農学園大学教授)から、北海道新聞に掲載された記事をいただきました。シカゴの黒人居住区で「コミュニティ・オーガナイザー」となったオバマ氏のことから、日米の政治理念の落差が語られています。ぜひお読みください。特に興味深かったのは、アメリカの大学生の就職希望先のトップに、花形企業のITや大銀行と並んで、必ずNGOやNPOが入っている、ということです。初任給が1/3でも、何か人々のために働きたい、と思う若者がこんなにいるというのは、強く心を動かされます。教えられたサイトUniversum American Student Surveyでは、それらを目指すのがやはりリベラルアーツ大学からの卒業生であることもわかります。他国の新大統領に自国の政治家たちを引き比べて暗澹とするばかりの毎日ですが、変革への希望はある!日本にもこういう若者たちが増えることを願い、そのために尽くすことができれば、われわれの人生もなにがしかは報われたことになります。
2/3 右欄の新刊、ようやく図書館に届きました(「著書」ページ参照)。米国議会の慰安婦問題決議や中韓への謝罪問題からデリダの言う「世界ラテン化」を検証し、阿闍世コンプレックスに仏教的な赦しの可能性を探りました。Dear Katerina, now you can quote me from the book.
1/30 東京神学大学山内眞学長の名誉学位・名誉教授授与式。まだご自分の任期中ですので、やりづらいこともあったでしょう。ICUの理事でもあり、とても大切なお働きですが、いつもながら苦労の多い8年間でした。引退後はスコットランドと三鷹とかけもちのようです。
1/28 バーガーの翻訳をようやく脱稿。2人でまる1年以上かかりました。昨夏に書いたアメリカ研究の論文も校正終了。よい copy editor に出会えると嬉しいですね。その前に COE で書いた日本語の姉妹論文は、いまだに編集段階でどこかにお蔵入り。あれどうなったのかな。
1/21 オバマ大統領就任式の様子を見ました。おかげで授業がその話になってしまいました。アメリカ市民宗教の壮大な儀式。その大祭司は連邦最高裁長官です。ただ、祈りを通訳する人は「主の祈り」くらいは知っていてほしいですね。朝日朝刊も「我が国、それは汝のもの」などとトンチンカンな訳。"My country, 'tis of thee" は「汝のもの」ではなく「我が国」を指して「汝のことを歌う」と言っているのです。一般の人が知らないのは無理がないとしても、こういう人々の間違いはみっともない。パールマンやヨーヨーマの奏でたオリジナル曲には、讃美歌が二つ入っていました。75番 (Easter Alleluia) とシェイカーの踊りの歌(讃美歌21 の 290番)。実にふさわしい曲でした。
1/20 組織神学研究「なぜ日本にピューリタニズムの伝統が必要なのか」(「講演」ページ参照)って、そもそも必要なのかどうか。。。自由の構設としての憲法とピューリタニズムの話。でも、オバマ大統領の就任式当日にこの話をするのは、やはり「歴史的な見晴らし点」としての意味がありますね。
1/19 Carl Henry Center のプロジェクトで来年7月に予定されている学会の打ち合わせ。所長の Doug Sweeney は以前からの知り合いで、今度 Oxford University Press からエドワーズ研究の共著を出すことになっています。来年の学会は小林高徳先生(東京基督教大学)のお世話になります。
1/17 センター試験の一日目。受験生のみなさんもご苦労さまでした。リスニングが無事終わるとほっとします。IC プレイヤーのお持ち帰りは今年限りだそうです。ちなみに、センター試験の英語リスニングは ICU の入試に倣ったもので、口頭指示などは昔から ICU で使われてきた文章がそのまま使われています。
1/13 またまた David Hall 先生の講演。"Print Culture" についてでしたが、Elizabeth Eisenstein の批判から始まって、活字出版が文化に与えた影響を論じられました。わたしがエドワーズを勉強した時代には、手稿を引用するのは御法度だったと思います。それは公の検証可能性が尊重されていたからで、手稿を論拠とすることは直接それを見ることのできない人を排除した学問を作ることになります(そもそもあんなもん、普通の人は見たって読めやしません。ここ参照)。
1/10 David Hall (Harvard Divinity School) の講演。初期アメリカ・ピューリタンの社会思想で、わたし好みの内容でした。17世紀の政教分離が目指したのは自由と権威とのバランス問題なので、これを建国期や現代の政教分離論の根拠づけに使うのは難しいと思っていました。まさにわたしのためにしてくれたようなお話。
1/6 授業再開。他の大学ではそろそろ授業も終わりなのに、2月末までやるなんて、酷な話です。短い年末年始の間にやるはずだった翻訳の仕上げもまだ終わりません。いつもこうだから休み明けがつらいのでしょう。宿題を積み残した小学生の気分。
1/2 あけましておめでとうございます。旧年中の記事は過去ログへ移しました。今年も年賀状は失礼いたします。メールもしばらく止まっております。と申しますのも、何だか恒例になってしまったコンピュータの組み直しに手間取り、なかなか仕事に戻れないからです。何という言い訳でしょう。昨年のと合わせて Mtron が3つ、3.5、2.5、1.8 と揃いましたが、思うように早くならないので、懐かしい響きのする Ram Disk を入れたり。X40 は見違えるように早くなりました。さあ、これで仕事に精を出せる、かな。

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