DHMOに
ついて(選択課題4)
私は課題4を選択したので、解答を以下に記します。
A.1 まず、私はこれを見て直ちに署名することはないと思う。というのも、私はこのDHMOという物質を知らないか
らである。そして、ネイサン君が言うように、これだけ危険な物質なのだとしたら、なぜこれまで規制されてこなかったのか、ということを非常に疑問に思う。
14歳の少年でも知っているのなら、この物質を使用している産業界は当然DHMOの危険性を理解しているはずで、それでもなおこの物質を使い続けているだけの理由がある
に違いないと考えられる。おそらく、DHMOは低コストである、または使い勝手が良い、などの強力な長所があり、他の物質では代替が
難しいのではなかろうか。もし代替可能なのであれば、このような物質は直ちに使用が中止されているに違いない。あるいは、他の物質で代替しても、その代替
物質も危険性が高い、ということも考えられる。
それでは、そもそもDHMOはなぜ危険といえるのだ
ろうか。DHMOの使用用途は、ネイサン君の指摘によると、動物実験や遺伝子操作、農薬散布、溶媒や冷却
剤、洗浄と実に多様である。しかし、このうち溶媒、冷却剤、洗浄、といった用途では、人体に直接摂取される可能性はほとんどないわけだから、問題になると
したら、環境が汚染されるということだと思う。ここでは、酸性雨の主成分であり、温室効果にも大きな効果があると指摘されているが、これでは表現が曖昧す
ぎて、規制が必要なのかどうか、具体的なデータがなければ良くわからない。また、これと同様、動物実験や遺伝子操作という用途にしても、どのような危険性
ゆえに規制すべきなのかということが不明確だと思う。農薬散布後汚染が残るということと、ジャンクフードに含まれている、ということは人体に摂取されるわ
けで、ここでは経口摂取で嘔吐などの症状がでることや、大量に摂取すると中毒症状が出るということ指摘されている。しかし、大量に摂取すると身体に問題が
でる、ということは他の多くの物質の場合にもあてはまるだろうから、この場合、経口摂取すると人間の身体に悪影響を及ぼすということが問題であろう。気体
状態でも危険、といった指摘や、火傷の原因である、という他の指摘は、実際にDHMOがどのような用途で用いられた際にこうした危険性があるのか不明確なので、規制すべきと
いえるのかどうか、それだけではわからない。
以上のことから考えると、DHMOは農薬やジャンクフード
に含まれるゆえに、人体から経口摂取され、ゆえに危険であるということは確かなようだ。しかし、以前話題になった「買ってはいけない」という本でいくつも
指摘されていたようなことからすると、食品に危険な物質が含まれている、ということ自体は驚くべきことではないと思う(もっとも、この本の信憑性について
は、私は良くわからないのだが)。ゆえに、経口摂取すると危険だから、というだけでは規制することの理由として弱いのではなかろうか。また、ここで指摘さ
れている身体への悪影響は、比較的軽度なものばかりで、実際に被害にあった人々のことが明確に述べられていないのも疑問である。毎年多くの人々を死に至ら
しめている、というのが確かならば、一体どのようなDHMOの使用法により、人々が死んでいっているのだろうか。
こうして考えると、このネイサ
ン君の主張は怪しい点が多いので、私はとりあえずDHMOという物質について調べてみることにするだろう。実際に私はここで調べてしまい、DHMOは水であるとわかったの
で、私は署名しないと思う。もし、調べた結果DHMOが何であるかわからなかったとしたら、ますます不審に思うだけなので、やはり署名しない
だろう。
A.2
DHMOとは、Dihydrogen Monoxide(一酸化二水素)の略語であり、水(H2O)をわざわざ難解に呼称したものである。(参考ホームページ:http://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO)
A.3
私はA.1で述べた通りネイサン君の
主張は怪しい点が多いと思っていたので、この答えを知ったときに、そういうことだったのかと納得した。つまり、もともと人を騙す目的であったならば、この
ように回りくどい文章になっていたのも当然だと思ったのである。また、結果的に私は署名しないという選択をしたわけだが、多くの人々が騙されて署名してし
まったのも分かる気がした。その理由は3つある。
まず、ネイサン君の選んだ表現と、その羅列が効果的に行われていたことはもちろん見逃
せない。これを何気なく読んだだけでは、誰もがDHMOは危険な物質で、規制すべきだと思ってしまうに違いない。かくいう私自身も、色々とおか
しな点には気づいたが、DHMOは危険な物質だな、とは終始一貫して思っていた。
加えて、この署名の対象者が中学生であったことだ。出典のホームページでも指摘されてい
たが、友人にこのような署名を頼まれたときに、大抵の中学生であれば深く考えずに書名してしまうものだと思うのである。もし、ネイサン君が違う層の人々、
例えば学生の保護者たちにも尋ねていれば、違った結果になったのではなかろうか。それは、保護者たちの方がより慎重に考えるだろうし、考えたときにおかし
な点を見つける能力も学生たちより優れていると予想できるからだ。もし私が保護者の立場であったなら、そもそもなぜ学生の、それも被害者でもない人間が署
名を求めているのかと不審に思い、慎重に考える。
また、署名をするか否かという選択は、人々が慎重に考える類のものではないということも
できよう。人々が署名を頼まれて躊躇するとしたら、その趣旨に賛同できないか、または署名をするのが面倒だと感じるか、あるいはなんらかの不審な点を感じ
たかのいずれかであることがほとんどではなかろうか。つまり、時間的に余裕があり、趣旨に賛同できないというわけでなく、また怪しいとも感じなければ、ほ
とんどの人々は署名することを厭わないと思うのである。ここで重要なのは、署名とは極めて簡単な作業であり、万が一自分の意に沿わないことに署名してし
まったとしても、そのことによる被害というものは微々たるもの(例えば不快感など)だということだろう。ゆえに、署名するかどうかということは人々にとっ
て熟慮を要するものではないのである。
こうしたことを考えると、人々がやすやすと騙されてしまったことは驚くべきことではない
と思われる。それでは、私たちはこの話から、何を教訓として得られるのだろうか。以下に私なりの考えを記したい。
まず、他人に騙されないようにするには、客観的事実に基づき論理的に考えることが重要で
ある。相手の主張の根拠はなにか、またそれは論理的に矛盾していないかということを考えるように心がければ、それだけで騙されるリスクをかなり減らせるの
ではないかと思う。しかし、得られた情報が客観的に正しいと判断するのは意外と難しいものであるから、気をつけねばならない。そもそも、大抵の物事は
100%間違いないなどとは言えるものではないから、私たちはより「確からしい」かどうかまでしか判断できず、全くのデタラメを真実だと思いこまされてし
まうこともあるのだ。例えば、パン屋で当店人気No.1のパン、などと書いてある場合、実際は店が在庫を減らしたいがための、不人気のパンで
あったりすることがある。このように、騙す側のもっともらしい理屈によって、私たちは簡単に騙されてしまうのである。
また、そのように根拠を誤魔化されるということ以外にも、人間が騙される要因はいくつも
考えられるということを、我々は認識すべきである。例えば、自分の利害がからんでいたり、単に疲れていたりしただけで、私たちは冷静な判断をし損なうこと
があるし、あるいは相手のことを元から信用していたりすれば、当然ながら騙される危険性は高くなる。騙す側は、相手に嘘を信じ込ませる心理テクニックに優
れていることも多いだろう。すなわち、いくら私たちが論理的整合性や客観性を追求しようとしても、それ以外の部分で足元をすくわれてしまう危険がいくらで
もあるのだ。
このように考えてみると、極力他人から騙されないようにするには、色々なことに細心の注
意を払わねばならないと言うことができるかもしれない。しかし、実際問題として、他人に騙されることをそこまで神経質になって防止しようとする必要はなか
ろう。なぜなら、私たちは些細な(例えば、前述のパン屋の例のような)問題で騙されたとしても、さほど困ることはないからである。私たちが細心の注意を払
うべきなのは、当然ながら、もっと自分にとって重要と思われる問題、例えば財産(お金、住居など)がらみの詐欺などである。この話を通じて、そんな当たり
前のことを改めて考えさせられた。