NSIII レポート
022001 千葉拓人
「雨について」
序;
「水」というものに主眼を置いたこの一連の講義であるが、これまでの授業を聞き、考えることによってかなり自分の中で水に対する意識が変わってきたように思える。正確に言うとあまりに身近すぎるこの「水」に対してこれまで特に意識したことすらほとんどなかったのだから、かなりの進歩であろう。
今回のレポートは水、地球環境、人間との関わりという3つのキーワードを用いて日々社会意識が高まりつつある環境問題を考えるものである。私はこれを行うにあたって主題を「雨」というものに置こうと思う。その理由としては、題材を一つに定めることによって論旨の分散を避けることができるということともう一つ、私は単純に雨が好きなのだ。ぬけるような真夏の晴天も素晴らしいが、6月の紫陽花をぬらす梅雨の時期もまたいいものである。小さいころ雨が降っている時長靴をはいて傘をさし、喜んで外に出ていった思い出がある。そんなとても感傷的な理由をお許し頂きたいが、だからこそこの「雨」について現在起こっている問題があるとすればそれは何か?またそれについて私たちができることを考察してみたい。
1)今、地球上に何が起こっているか
●水資源の有限性
ます最初に水資源全体について考えたい。余り知られていない事実であるが、地球全体の水に対し人間が自由に使える水の比率はあまり高くはない。全体の水の約80パーセントは海水であり、淡水は20パーセントにすぎず、その大部分は北極や南極の氷に姿を変えて利用できない。我々が生活用水、農工業用水として使用できる水はたったの0.04パーセントといわれている。(資料1_1より)また1999年国連居住人間会議において、今後深刻になると見られる環境問題の2番目の要素として、水資源不足があげられ、また21世紀初等には発展途上国の都市を中心に、深刻な水不足が発生すると警告している。 これによって石油戦争ならぬ水戦争が勃発する可能性が示唆されている。(同資料より)
重要なのは、特に日本人に薄い、水は当たり前ではない重要な資源の一つであるという認識を全世界の一人一人が持つことではなかろうか。水には困ることのない国であるとよく言われる日本においても節水の意義は多々ある。浄水に要するエネルギーの削減はもちろん、節水によってより清潔な水が手に入るのだ。どういうことかというと、水の需要が増えれば増えるほどダムにおける汚れが強い水を利用せざるをえず、逆に少なければそれだけより清潔な水を選択的に利用できるからだという話を聞いたことがある。何に対してもまず変えるべきはわれわれ自身の意識であるということだ。
●酸性雨 (資料2_1、2,3を参照)
今回の主題である「雨」についてもっとも現在危惧され、論議を捲き起こしているのは酸性雨の問題であろう。これは化石燃料などの燃焼で生じる硫黄酸化物や窒素酸化物などが大気中で反応して生じる硫酸や硝酸を取り込んで生じると考えられるphの低い、つまり酸性の高い雨のことをいう。(この酸性雨が発生する簡単な仕組み、またその影響の詳細については資料を参照して頂きたい)さて、この酸性雨が他の多くの環境問題と同様に厄介な点は、この現象に国境による区切りはないということである。たとえ自国ではなく、隣国などの責任(危機管理の甘さなど)によって発生したとしてもその害は容赦なく多くの国々に降り注ぐ。まさに全世界の取り組みが必要な問題のひとつであるといえる。次にこれに対する日本の取り組みについて考えてみたい。資料2_3にあるように日本でも第1次、第2次、第3次の酸性雨対策会議が開かれた。ここでは実際に多くの調査が行われた。しかし私がこのようなことを聞くたびに思うことは、残念なことにあまり実際に有効な働き掛けを行っているわけでは無いということではないということだ。調査も進み、その大まかな全体像が把握され、議論もたびたび行われているというのに実際に効力を発したものは少ない。日本人のみならず一般的に人間の行動というものはいつも後手である。それはこの酸性雨に関すること、ひいては環境問題全てにいえることでもであるが、この諸問題においてこの態度は許されない。何故なら上記の通りこれには先を見越した早急な対応が望まれるからである。
2)人間は何をすべきか、、私たちは何ができるか
人間は何ができるのか。それは姿勢としては(_)で述べたようなことであろう。しかしこのような問題を考えるときにはまず個人レベルで、身近なことについてというところから出発するのがいちばんよい。何より自らが経験することによって、自分の問題として考えることができるし、そこからひろげて世間一般に啓蒙していければなおよい。そしてこれも使い古された言い回しではあるが、「できることからはじめる」ということしかないのだ。人間が生活習慣を変えるというのはとても大変なことであるし、理想を追い求めすぎてもそれはなかな成功しない。まさに継続は力なりである。具体的には節水の努力や不必要に下水を汚さない(油や髪の毛を水に流さないようにする等)などであるが、それについて面白い情報をネット上で見つけた。それは雨水の有効利用についての話題である。これによると生活用水のうち、庭への散水、トイレ、簡単な洗濯・掃除等は雨水で十分である。そしてこのような用水を中水道といって利用していく、というものだ。私もこの意見には賛成である。そもそも人間の利用する水の区分が上、下水道の2種類しかないのは不思議なことである。飲料水として利用できるほど浄化された水を工業用水や防火用水、先ほど述べた生活用水の水として使うのはやはりもったいない話である。ここで有効なのが今回の主題である雨水利用なのであって、これには先ほどの酸性雨の問題があるが、人体と直接かかわるなどのデリケートな状況でなければ十分利用可能である。雨水を集めるのはスペースがあればたやすい。家庭では使っていない風呂桶などを外に置けばよいし、行政が取り組めば工夫次第で工業用、防火用の雨水は得られるのではなかろうか。少し違った場合の例ではあるが、私が通っていた小・中学校では夏の間に使ったプ_ルの水をそのまま溜めておき防火用としていた。
もう一つの雨水利用の例として、ある新聞記事に面白い試みが掲載されていた。これもネット情報として示すがそれは以下の通りである。信州八ヶ岳連峰の茅野市側にある夏沢鉱泉(浦野栄作さん経営)が風力発電と太陽電池を合併浄化槽の動力にし、雨水を繰り返し循環させて使う水洗トイレとして導入するという話である。話を聞くだけだと最近のクリーンエネルギーを表す言葉のオンパレードであってなかなか期待のもてるものである。一昔前からのアウトドアでの活動の流行は自然環境に少なからぬ被害を与えてきた。自然(ここでは狭義の意味)は現代人にとって恩恵を与える存在でもあるが、それ以上に非常に不便なものである。その認識があまり浸透していないため色々な問題を引き起こしてきた。例えば、山道で人間が投げ捨てるごみの多くはなかなか分解されない物質であるからずっと残りつづける。野生動物にえさをあげることは、その生態系に全く別の栄養=エネルギーを与えることであり結果としてそのバランスを崩していく。このような状況でこの明るい話題が提供されるのは喜ばしいことだ。このようなアイデアを考案し、それを実用化に結び付けるという例はどちらかというと希であるが、現代にはこのくらいの行動力が求められている。
結論
雨自体について考えていく予定であったが、いかに雨を利用するかという所に重点が移っていってしまった。しかし自分の考えを深めるという目的を達成することはできた。この環境問題を考える際に重要なのはできるだけ身近な所からできるだけ自分に関連づけて進めることである。議論のみが白熱し実際の状況が変化しないのでは意味が無い。いかに有効なアイデアを思いつき、それを実行するかということが大切だ。そしてその基本となるのもまた少しずつできることから始めるということである。
参考資料
雨水利用と緑化を進める会(資料1): http://www4.justnet.ne.jp/~ame/index.htmjl
エコライフ 地球環境問題入門_酸性雨(資料2): http://www.eic.or.jp/ecolife/
信濃毎日新聞記事(資料3.1998年8月12日掲載) :http://www.shinmai.co.jp/
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