選択課題2

「もしものどが渇いても…」

 

今吉萌子

 

 もしものどが渇いても、水がなかったら何を口にすればいいだろうか。むしろそんなこと考えなくても私たちの身の回りには水にあふれ、水がない状態など水道管工事の断水のときぐらいだろう。そもそも今はスーパーでもコンビニでも水が手に入るのだから、何一つ困ることはない。おそらく、水という物質を「無味乾燥などこにでもあるものだ」と考える人なら、そう思うのも仕方ないかもしれない。しかし私たちのまわりにはさまざまな形で「水」とかかわる機会があり、忘れてはならない水の価値がある。ところが私たち、特に日本人にとって意識されている「水」という価値がどんどん下がってきているような気がしてならない。これから書くことは、私たちからどんどん“Periphery”に追いやられてしまっている「水」の価値とすがたを再認識してもらうための水にまつわる話である。

 私たちの住んでいる場所がいかにきれいな水を手に入れやすいかわかるためには、やはりそうでない場所に住む人に会うしかないだろう。そこでまずはじめに考えてほしい。もしものどが渇いても水がなかったら、私たちはどうすればいいのだろうか。よく船の上で遭難した人は食料もない中、自分のおしっこを飲んで生き延びていたとテレビで取り上げられている。でももしおしっこも出ないくらいに自分の体が渇き切ってしまったら、たぶんその方法はもう使えないだろう。では、自然環境の厳しい砂漠に住む人たちはどうしているのか。もちろんオアシスがあればオアシスの水を飲むだろうが、オアシスも見当たらない砂漠のど真ん中だったら…。とりあえずは生えているサボテンの中の水を飲む。もちろんこのことを知らないと生き延びることはできない。余談ではあるが、こういうときのために日頃からテレビなどで情報を仕入れておくべきである。いつ自分が砂漠の中で迷子になるかなんで誰もわからないからだ。でももしもサボテンも見つからなかったら…。またおしっこを飲むしかないのかもしれない。別のテレビ番組では密林に住む少数民族のことをやっていた。彼らはジャングルに自生している果物や草の茎などから水分補給できるということを知っている。もちろんこれも、どの植物を取ればいいか知らなければできることではない。一体、私たちは飲み水がなくても生きていけるのだろうか。

ところで気づいただろうか。これらすべての方法は、どちらにしろ大地からの水を間接的に飲んでいるということを。こう書けば当たり前のように聞こえてしまうかもしれないが、私たちは水といわれると、無色透明の液体状のものを想像しがちである。しかし水の姿はそれだけではない。おしっこも主成分は水である。サボテンも地球の水を吸収して自らの体内に水分を蓄えることができるのであって、もし私たちがサボテンを食すということは、間接的に地球の水を口にしているということになる。ジャングルの果物や草も同じだ。私たちは水が手に入らないからこのような方法をとって水分補給していると考えがちだが、本当はこれも水を手に入れているのと同じことである。水を飲むといわれると、なんとなくコップやペットボトルに入った無色、無味の液体を想像してしまうかもしれないが、実は固形の食べ物からも水をとることであり、結局は水を飲んでいることには変わりないのだ。

このように、地球上には私たちが認識している以外の形で「水」が存在する。さらに、水は私たちが知っていても知らなくても私たちの体の中に入ってきている。それは食べ物に含まれる水分であったり、また体内で栄養を分解するときにも水は発生する。私たちの生活は水とはきっても切れないものである。これらは実際に食べ物を絞れば水が出たりもするが、私たちは絞っても出てこない水も消費している。この目に見えない「水」の存在は、とくに日本人の生活にはなくてはならない。というのは、日本は食糧の多くを輸入に頼っているからだ。そしてこの目には見えないが消費している水のことを「間接水、仮想水」という。私たちは生活していくのに水を必要としているのは言うまでもないが、その量はかなりのものである。日本だけでも年間890億mもの水を使用していると言われる。これはトイレで流す水であったり、洗濯のときに使う水であったり、目に見える「水」だ。ところが、目に見えない形でさらに1035億mモ烽フ仮想水を消費しているといわれているのだ。それは農作物や畜産物の輸入に伴うもので、海外で水を使って育てられたこれらの食料を日本に持ってきて私たちが消費するということは、育てるのに必要な水もいっしょに消費しているということになるからだ。どうやら、私たちは自分たちが思っているよりも気づかないうちにたくさんの水を消費しているようだ。

どれだけ私たちの考えている「水」がせまいか分かっただろうか?ここで本当の水の大きさを見てみよう。地球上に存在する水は1.38410Hという莫大な単位であるが、水の惑星といわれる地球なのだからそれもうなずける。この莫大な量のうち97.5%は塩が含まれた海水で、そのままでは飲めない。そして残りの約2.5%が淡水となる。その淡水の中でも70%は固体の水(つまり南極や北極に浮かぶ氷)で、29%は地下水だから地上からは隔離されている。そうすると、残った約0.014%が私たちの口に入ることのできる水だ。0.014%では、100%の円グラフにしても目に見える範囲では出てこないくらいの割合である。いかに貴重なものをあたりまえのように口にしているか認識しなくてはいけない。特に日本に住んでいると、蛇口をひねれば水が流れ、用を足せば大量の水で流せることができるから、そうでない、水の出ない生活を想像するのも難しいだろう。ちなみに私は中学生のとき、家にモロッコの人がホームスティしにきたことがあって、そのとき彼が、うちのトイレの水の流れが激しくてトイレが壊れたかと思い、非常にびっくりしていたのを覚えている。モロッコではこんなにたくさんの水は流れないそうだ。その後海外のトイレを注意深く観察したが、確かに日本ほど水は大量に流れない。アメリカくらいだろうか。

こんな生活に慣れている私たちだが、やはりこれでいいわけはない。0.014%という少ない水(ピュアウォーター)を、人間だけでなく動物、植物たちも共有し恩恵を受けているのである。私たちだけが使えればいいというわけではないのだ。ここで、この水の使い方に関してのエキスパートであるサボテンの話をしよう。アメリカのアリゾナ州のソノラ砂漠に自生しているサワロサボテンは、高さ10m、重さ5t以上もある巨大なサボテンである。このサボテンは一年中雨がまったく降らない砂漠で、少量の水を体内に蓄積することができる。そしてここではこのサワロサボテンに蓄えられた水を、ほかの動物たちが共有しているのだ。というのは、このサボテンは鳥に住居を提供し、サボテンのとげがヒナを外敵から守り、また乾季に咲かせる花は鳥たちの水分補給となる。こうして他の生き物とともに100年から200年も、この雨の降らないソノラ砂漠で生きているのだ。少ない水を動植物がともに分け合い、厳しい自然の中で生きていく知恵といえるだろう。私たちもこのサボテンから学ぶことが多いのではないか。水は確かに味のないどこにでもある物質と思われるかもしれないが、だからといって決して価値の少ない物質ではなく、注目に値すべき物質でもあるということを頭に入れておかなくてはいけない。地球には雨の少ない地域もあり、水の恩恵を存分に受けられない地域もたくさんあるが、そういうところにこそ水を大事にする知恵があり、また私たちの知らない「水」の価値を知っているのではないだろうか。

参考資料:NHK「地球・ふしぎ大自然」アメリカアリゾナ州(2001723日放映)http://www.nhk.or.jp/daishizen/fbangumi/arizona.html

日本を中心とした仮想水の輸出入http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/Info/Press200207/Doc/MiyakeMizuFinal.doc

Desert Botanical Garden Homepage

http://www.dbg.org/