選択課題2
遠藤 武
教育における思考訓練要素としての水の可能性
人間社会の様々な事象を論じて、諸問題の解決の糸口を導きだすにあたり、物事を常に多角的に捉えて思考し続けることは必要にして不可欠である。現代における教育はこのような問題解決能力の養成を目指すことに腐心している。発達の度合いに応じた形で、学校という教育制度の中で、古来より蓄えられた知識や概念の伝達や、その観念的かつ実証的な運用と批判が堂々と自発的に継続されることで、思考能力が涵養されるのである。そういった継続的な姿勢を学校という教育現場で養うには、まずはより身近で取りかかりやすい主題を軸にして物事を見据えると効率的であろう。その存在と恩恵すら忘れてしまうほど、我々人間の間に浸透している「水」という物質は、思考訓練における運用と批判過程の格好の対象である。
「水は無味、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」という意見を持つ生徒がいたとしたら、彼が高校生ではなく中学生や小学生だとしても、水をとりまく事象を通じて、身近な問題や物事に対する視点を見つめ直すきっかけが与えられるべきだろう。以下に示す過程は思考訓練の一種であり、この過程を通じて問題解決能力の根幹が形成されて行くのである。
まず「この地球上のどこにでもある最もありふれた物質」という意見に着目する。「どこにでもある」とは何を意味するのか、思考訓練では生徒はその明確な理由を求められなければならない。家の近くに河川が走っているからか、水道の蛇口をひねれば出会えるからなのか、天候がくずれて雨が降ることが多いからなのか、はたまたまったく違った視点の理由から「どこにでもある」とするのか。肉眼で明確に確認できるなどの、具体的体験を根拠にした理由のみを提示したなら、マクロとミクロどちらの視点からも、さらに深化した問題を投げかけられる必要が生じる。我々の肉体の何割が水分だろうか?水は三態変化によって空気中にどれほど含まれているのか?といった問題を、思考訓練の先導者たる者は投げかけねばならない。非体験的な観念的知識による理由を示したとしても、やはり同様にして、生徒の知識では及ばないほどの発展的な問題を幾つか投げかけてみるとよい。ちょっとした身近な理由や、教科書で紋切り型に覚えた知識の断片が示された程度では、我々を完全に包み込んでいる水の能を真に解き明かすことが出来ないのは明白であろう。
次に「水は無味、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない」という意見を、生徒は深く問う必要がある。ひとつの例えを示すため、ここで「水」から離れ、三原色の性質について論じてみよう。三原色には「色の三原色」(図アを参照。)と「光の三原色」(図イを参照。)が存在する。前者の性質は「赤黄青の3つで、これらから他の色を作ることができます。子供のころ絵の具が足りなくなった時に、混ぜ合わせることで足りなくなった色を作ったことがあると思います。図2-2-1(注:ここでは図ア)は、色の3原色の混ぜ合わせを示したものです。赤+黄=橙、黄+青=緑、青+赤=紫、赤+黄+青=黒となっています(1)」と説明でき、光の三原色は「赤緑青(RGB)の3つで、色の3原色とは違っています。テレビ画面に眼を近づけてみれば、画面が赤緑青の3色で作られていることがわかります。光の3原色の混ぜ合わせは、 赤+緑=黄、緑+青=水色(シアン)、青+赤=紫(マゼンタ)、赤+緑+青=白となっています(1)」と説明できる。
図ア 図イ
これらの三原色の性質を上図のように実証するには、どのような状況が必要だろうか。ほかでもない、「白色」が基礎に存在する必要があろう。白色を単に無色と捉え「とくに注目すべき特徴もない」色と信じ込むのみでは、白い画用紙の上で赤と黄の絵の具1737を混ぜ合わせて橙を確認することも、白い画用紙に緑と青の光を当ててシアンを浮かび上がらせることもできないではないか。三原色は、まさに白色によって支配されているのである。
白色と三原色の関係は、水と様々な物質の関係に当てはまる部分があると思われる。水は様々な物質を溶解する性質を持っていることが、その好例であろう。水のこの性質によって動植物は養分を体内に巡らせることができる。また、地球上の地形や岩石は水の物理的な作用によって自ずと破壊され変化し、気候とも相互的に対応する様々な地形が生み出されるのである。もっと深く突き詰めて考えてみると、さらに様々な事象が水によってなされていることに気づけるだろう。
水が「ありふれた物質」であるからこそ、我々が地球上で行っている諸活動や、地球上に存在する万物が水を根源としていることに簡単に気づくことができないのである。ましてや、教育という体系的思考訓練を施されている最中の若者の多くが、地球上の複雑に絡まる諸事象を見つめ直すことができないのは無理もないことである。だが様々な知識や概念の理解に加え、上記のような思考の過程を教育において経験することで、学びと彼の生き方が相互的に作用し始めることで、思考力は涵養される。ありふれた物事に対する素朴な意見は、それがいかに稚拙であろうとも、思考訓練においては重視されるべきなのである。水に対する素朴な意見に限らず、現代の教育にて、このような問いかけの姿勢がさらに尊重されることを願ってやまない。
参考文献
(1).吉澤雅幸, 2.光と色の不思議 2-2. 光と色の三原色 (日本物理学会東北支部「出前授業」より) http://www.laser.phys.tohoku.ac.jp/~yoshi/hikari22.html