選択課題2

 

今泉尚子

 

‘三尺流れりゃもとの水?’

 

 

「三尺流れりゃもとの水」ということばを知っていますか?日本は世界の中でも、水が豊かな地域です。山の多さ、森林の豊かさ、雨量の多さは、日本に豊かな水環境をもたらしてきました。昔から、日本の集落は川の近くにあり、水が必要な洗濯、皿洗い、などの家事を川でしていました。そこででた服の染みや食べかすなどのゴミも、全部川に流して捨てていました。それでも、水が三尺(一は約 30.303cmですから、およそ90cm)流れてしまえば、もうもとのゴミは見えなくなって、水はすっかりもと通りのきれいな水になるということなのです。実際、水の浄化能力は驚くべきものがあります。一般にあまり知られていませんが、水が物を取り込んで分解する力-いわば、汚れをきれいにする力は、他のどのような物質よりも抜きん出ています。つまり、川とは自然の浄化装置とも言えるでしょう。そして、昔の人はそのことを良く知っていたのです。

ところが、今あなたの周りにある川を見てください。その川は『豊かな川』ですか?豊かな川とは、水がきれいなのはもちろん、生き物も住んでいて、命のサイクルが成りたっている川のことです。しかし、そうでない川が多いと思います。ゴミが散らかっていたり、なんだか濁っていたり、あまつさえは水が枯れてしまっている川もあるのではないでしょうか。また、水はきれいでも、生き物がまったくいなかったら、それは豊かな川とは言えません。日本は水が豊かな国のはずなのに、一体これはどうゆうことなのでしょう。川にいったい何が起こったのでしょう。

 

川が『豊かな川』でなくなったのは、大きく言って、2つの理由があります。

 

1つ目は、汚染物質の増加です。家庭での洗濯や皿洗いで使われた水は、川に流されていました。しかし、人口が増えるにつれ、川に捨てられるゴミや生活廃水の量が急激に増えました。そして、それは川がもともと持っている、汚れをきれいにする力を大きく上回ってしまったのです。また、日常生活で使われている洗剤には、自然環境にとって有毒な科学物質で出来ています。これは、自然の中では分解されにくく、長い間川の中に留まります。そうなると、その川には、魚などの生き物が住むのがとても難しくなります。つまり、汚染物質の増加が川から、豊かさを奪ったといえるでしょう。

 

2つ目は、川そのものの水量の減少です。川の水の源は、ほとんどの場合が上流にある山にあります。山に降った雨は、土に染み込んで地下水となり、だんだんと流れ出して、次第に大きな流れとなります。これが川なのです。しかし、その水の量が減っています。降水量は昔も今も、年による変動はあるものの、大して変わりません。それでも、川の水の量が減っているのは、山の、水を蓄える力が弱っているということです。山の水を蓄える力の源は、山にある森や林です。山にはえている木々は根を土の中いっぱいに張り巡らせ、土地をしっかり固定する役目を持ちます。木々でしっかりと固定された土地に降った雨は、土の中にしみこみゆっくりと流れていきます。しかし、今、木材の供給や開発のために木々が減って、土がむき出しの山が増えています。土がむき出しの山に降った雨は、地面にしみこまずに、一気に流れていきます。川は一時水量が急激に増えますが、一過性のものですぐに、水量は減ってしまいます。しかも、土がむき出しの山に降った雨は、土をさらってしまいます。土がさらわれてしまっては、栄養がなくやせていますから、これから、木々が多い茂ろうとしても、ほぼ無理なことです。そして、水量が減った川は、浄化能力が落ち、また、生き物を受け入れるふところが小さくなり、豊かさから遠ざかってしまうのです。

 

 では、川をもとの豊かな川に戻してあげるには、私達はどうするべきなのでしょう。出来ることは、小さいことでもたくさんあります。洗剤を使いすぎない、洗濯はお風呂の残り湯を使う、洗車はホースではなく、バケツをつかうなどいろいろありますが、ひとつ大切なことがあります。

 それは、私達の水に対する意識を見直すことです。私達は水に恵まれた国に生まれました。レストランに入れば、当たり前のように水が無料で出され、水道をひねればいつでも安全な水が飲め、お風呂にも毎日入れる。先進国の中でもここまで水に恵まれた国は本当に少ないのです。しかし、その豊かさが日本人の水に対する「ありがたみ」のようなものなものの低さに結びついたともいえるのではないでしょうか。水を粗末にしているとまでは言いませんが、「三尺流れりゃもとの水」ということわざがあるように、水とはゴミを捨てようが絶対に汚れず変わらない状態であり続けるものと思われていました。しかし、時代は変わりました。汚染物質の増加、水量の減少。もはや、三尺流れても、もとの水ではないのです。それでも、私達は「三尺流れりゃもとの水」のような考え方を無意識に持っていて、知らず知らずのうちに水の力を、過信し、それに甘えているのではないでしょうか。

 

 私達日本人の文化は、豊かな水なしではありえません。農業はもとい、工業だって水に頼っています。ただし、このまま私達が水の力に甘え続けると、いずれしっぺ返しがくるでしょう。いまの自然環境はもちろん、文化的反映も維持することは難しくなるでしょう。そうならないためにも、私達は水に頼りきる姿勢を見直すべきです。そのために、自分の中にある水への気持ちを掘り返してみてはいかがでしょうか。1つ提案があります。一日に自分が何回蛇口をひねったのか数えてみることです。一日でもゼロの日は、無いはずです。そうすることで、少しでも、水に対して関心を向けてみてはどうでしょうか。どんなに文化が栄え、技術が発展しても私達は水なしでは生きてゆくことが出来ません。このことをしっかり考えてください。