選択課題2

 

匿名希望

 

 

「水は無味、無臭、無色透明で、物理・科学的に特に注目 するべき特徴もない。しかもこの地球上のどこにでもあるどこにでもある最もありふれた物質だ。」これに対して言うことがあるとすれば、物理・科学的に注目 するべき特徴がないということを除けば、概ねその通りである、といえるのではないだろうか。水は地球で生命が誕生するためには必要不可欠なものであったの は周知の事実であるし、固体が液体に浮くというのは他の物質では見られないとてもユニークな物理的特徴である。しかし、科学的に特徴的であることは、通常 の高校生にとってさほど重要でもなければそもそも実感されにくいことであるし、科学的に貴重であっても実際我々が日常的に暮らしている中で常に感じてい て、なおかつそれが普遍的である以上、それは一般の人にとっては注目すべきことにはならないのではないだろうか。そして、実際に水はどこにでも溢れている といえる。実際、通常の日常生活を送る上で丸一日何らかの形で水を見、触ることのない日などありえないのではないだろうか。

 

しかし、では水はあってもなくても良いのかというと そんなわけはないということは誰でも知っていることであり、ありふれた物質だから軽視してよいということでは決してない。人の価値観とは面白いもので、裕 福になればなるほど貴重で希少とされている物ほど実益を持たないものであり、生きていく上で重要な物、水であったり空気であったり、さらに言及すれば平和 であったり家族であったりと、はないがしろにされてしまうものなのである。しかしそれはどのような場合もその末路は悲惨であり、無くなってしまってから初 めてその重要さに気づくのである。ただことが水の場合、その代償は人一人はおろか人類全体でさえ払いきれないほど大きな問題であり、その犠牲となるのも人 間を含む全ての生物である。ではなぜ人は水を汚染し続け、自らの利潤を追求してしまうのだろうか。

 

それはおそらく、実際は非常に身近な問題であるにも かかわらず、それに対する警告の多くが地球の環境汚染や、川、海、湖という、特定の場所や地球全体という非常に大きな、かつ必ずしも自分とは関係のある場 所ではないからではないだろうか。

いかに平和が大事だと叫んだところで、平和がないと いう状態を経験したことのないものにとっては、いまひとつ親身になれないのではないだろうか。必要なのは、大きな問題を最初からどうにかしようとするので はなく、水というものがどれだけ自分にとって身近な存在かということを改めて知ることではないだろうか。

私はここ二年、梅雨明けと同時に自転車による単独野 宿旅をしているが、一日に飲む水分の量は2リットルのボトル五本である。しかし、ある時山道の 途中で水がそこを尽きてしまったことがあった。最寄の店まで戻るには二時間以上かかるため、仕方なくそのまま進んだのだが、途中であまりにひどい脱水症状 のために倒れてしまった。この時ほど私は水がいかに自分の体と切り離すことのできないなのかを実感することができた。

 

これにより私が学んだことは、水を大切にするために は、水を貴重で大切なものとして自分の外に置くのではなく、自身を形成する体の一部として認識することではないだろうか。誰も自分自身の血液をないがしろ にしないように、この星の血液である水に対する認識を改めたほうがよいのではないだろうか。そうして水を自分自身の問題とすることができれば、水の問題は 自分に関係のないことではなく、自分自身に深くかかわる問題として理解されるはずである。