選択課題 2

 

塚越友里

 

 

「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかもこの地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ」

 

―――本当にそうだろうか?確かに、地球はその70%以上が海という水で占められていて、私たちの生活は水なしでは成り立たない。むしろ、水が「もっともありふれた物質」であってもらえることは実はとても喜ばしいことなのではないか。水道の蛇口をひねれば水が出てくる、駅の売店や自販機にすらペットボトルの水がほかの飲料水よりも安価で売られているこんな日常で私たちは、水はおとなしく私たちの欲求を満たしてくれる都合のいい物として水の存在を軽視しすぎている傾向にある。しかし、水は様々に形を変え、私たち人類の生活、存続を脅かすことなどたやすいのだ。近年地球環境の破壊に伴って、その水の脅威の恐ろしさが認識され始めている。

20042月にアメリカ国防総省がまとめた、地球温暖化に関する秘密報告書がイギリスの新聞社によって報道され、世界中に衝撃を与えたのは記憶に新しい。その内容は、21世紀最初の10年間に、地球表面の温度は0.3度から1度上昇し、北アメリカの大部分、ヨーロッパ、南アメリカの一部では32度を超える日が100年前と比べ30%も増えると指摘している。それに伴う異常気象によって各地で洪水が起こり、アメリカなどでは干ばつが常態化し、農業生産に大打撃を与えるという。また、2010年には、北極海の氷がすべて溶けてしまう(驚くべきことに、1970年から2003年の間にすでに40%の氷を失っているという)と分析している。

 ここまでの予測データだけでも背筋が凍る思いがするのだが、さらにこの報告書の中では2010年から2020年の間に、大西洋の海流循環に異常が生じ、2020年頃にはイギリス・ドイツをはじめとする西ヨーロッパがシベリア化してしまい、その影響で南へ向けた民族大移動が起こると予想している。ここまでのデータからもわかるように、水は洪水や干ばつ、海流異常により寒冷化をもたらす。またそのほかにも泥流、土砂崩れ、竜巻、鉄砲水、高潮など、水は様々なものに姿を変え、恐ろしい災害を生むのだ。確かに「水は地球上のどこにでもある最もありふれた物質である」が、それゆえ、水が私たちの生活に与える恩恵も被害も巨大であり、70%も占める水の脅威から私たちは逃げることはできない。私たちが考えるよりずっと、水は偉大で、貴重で、恐ろしいものなのであることを私たちは改めて考えなくてはいけないと思わないか。

 

 空から降り注ぐ雨は、やがて川へと流れ込み、川は海へと注ぎ、海流は地球を巡る。途中、蒸発した水分は大気中の水蒸気となり、それがやがて雲となり、雨を降らす。この壮大なサイクルが、地球誕生以来延々と繰り返され、現在に至っているのである。このサイクルがきちんと機能しないと大きな災害など様々な被害を私たちは受けることとなる。この例として、中国の長江(揚子江)、南米のラプラタ川、中東のティグリス・ユーフラテス川などの世界最大級であり、最も重要な河川が見境のないダム建設の脅威にさらされていることが挙げられると思う。世界最大の自然保護NGOであるWWF(World Wildlife Fund)のレポートによると、世界で最大級の227河川のうち60%以上がダムによって流れを分断されている。これは湿地の破壊や淡水生態系の生物種(例えば、カワイルカ、魚類、鳥類)の減少につながっていく重大な問題である。そこには、何百万人もの人々の強制移住という問題も含まれている。

 「ダムは恵みをもたらすものであると同時に不幸をもたらすものでもある。ダムのもたらす恩恵が結局は、しばしば環境または社会的に高い犠牲を払うことにつながってしまう」とWWFのダム・プログラムを指揮するウテ・コリアーは言う。ダムは、川から酸素や栄養分を枯渇させ、魚類やその他淡水に暮らす生物の往来や繁殖に影響を及ぼして、河川の生態系のバランスを崩してしまうのだ。同レポートでは、下流域の住民は、ダムの影響で川が干上がったり、漁業資源が激減するなどして、ダムのもたらす負の遺産によって苦しめられていると報告している。ダムの影響を最も受ける人たちが、ダムの恩恵を受けることはまれである、というなんとも皮肉な現実である。このような結果を生み出してしまうのは、明らかに私たち人間の責任である。私たちが水という尊い環境資源を軽視し、生活の利便性だけを追求していった結果によるこのような地球環境のトラブルなのではないか。確かにダムは水力発電、灌漑、洪水のコントロール機能といった様々な恩恵を私たちの生活にもたらしてくれるが、計画性なく他の選択肢の可能性に注意が払われないままただやみくもにダムを建設することは、しばしば環境上または社会的悪影響を招いてしまうのである。

このように、これほどまでに様々な利用価値を持ち、様々に姿を変え私たちの生活を支える基盤を持っている物質、「水」である。水が「ありふれた物質」でいてくれたからこそ、今日まで地球は、私たちは存続し、発展してこれたのである。これだけでも、水は十分に「物理・化学的に注目すべき特徴もない」物質の枠から外れるのではないか。水ほどあらゆる形を持つ物質はないのである。水によってもたらされる恩恵は素晴らしいものであるが、その分逆に水のもたらす災害は極めて深刻だ。しかしそれらの多くは私たち人間の不必要な乱用によるものである。例えば、ダムによって供給される水の多くは、主として非効率な農業用灌漑システムのために失われている。その量は世界中で毎年総計1,500兆リットルにものぼっているのである。この量は、アフリカ大陸全土で年間に消費される水の10倍に相当するというから驚きである。このような甚大な水の無駄遣いは、生態系を壊すだけでなく、増大する世界の水需要とエネルギー需要に対する水資源供給を阻んでいる結果を生んでいる。水があるから、人間は生きていけるのだという、基本的なことを、私たちは忘れてはならないのである。水の存在価値をもう一度見つめなおす必要があるのではないか、と痛感する。