課題 2

 

泊 さやか

 

 

水―見過ごされがちな希少性

 

 

水は人間を含め、地球上の生物が生きていくのに必要なものである。乾燥地帯、例えば砂漠のようなところに生息する生物は少量の水だけで生きてゆけるが、体内に水分が完全に無くなってしまったら死んでしまう。人間の身体も約70%は水分であるから、例えばのどが渇いても水分を取らなかったら頭も身体もはたらかなくなり、気分が悪くなる。特に運動をするときは汗をかくので十分に水分補給をしておく必要がある。冷たい水を飲むとすっきりした気分になるのも自然なことである。

また、水分を取り入れる以外に、人間は水と触れ合うことでよい気分になれる。真夏の暑い日にプールや海の冷たい水の中で泳ぐのはとても気持ちがいいし、真冬はお風呂に入って身体を温めることで熟睡できる。公園にはたいてい噴水があって、それには気分をよくさせる効果があると思われる。それは絵画や彫刻と同じく、表現の道具、芸術作品でもある。

 

 

このように、水は人間の日々の生活に無くてはならないものであると同時に、常に人間の身近にあるためその特別な性質、特殊な物質であることを忘れられがちである。日本では蛇口をひねればすぐに出てくるし、水不足が一年以上続いたことはない。確かに水は無味、無臭、無色透明で、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質であるかもしれない。しかし、水が無しでは人間は生きていけないのは事実である。

 

まず、水は循環することで生物を生かす。たいてい物質は気体・固体・液体の三態があり温度変化に伴い姿を変える。しかしながら、例えば窒素が気体から液体に変わったところで人間には特にメリットは無い。対照的に液体=川や海の水から気体に変わるとそれはやがて雲となり、気体から液体に変わるとそれは空から降る雨でありそれは川となりそれを飲み水として生物は生きていける。植物も‘恵みの雨のおかげで水分を取り入れ、光合成ができる。

 

また、水は酸性でもアルカリ性でもなく色も臭いも無いので混ぜやすい。例えば、溶媒として他の物質を溶かし‘水’溶液を作って薬にでき、果汁や粉を混ぜて飲み物に、それを凍らせてシャーベットなどにできる。パンを焼くにもご飯を炊くにも水が必要であるから食事には不可欠な要素である。身体の中でも血液の主成分として水は頭のてっぺんからつま先まで栄養をいきわたらせる。

 

それから水は蒸発するとき熱をうばうので、昔から真夏に水撒きをしたし、汗をかくと体温が下がるし、お風呂上りは湯冷めすることがある。水は蒸発するのにも氷から水になるのにも、温まりにくくさめやすいという性質のため大きなエネルギーを必要とする。だから地球、海の近くは特に朝晩の温度差が小さくてすむ。他の、水が無い星は温度差が激しすぎて生物は生きていけないのである。

 

このように水は水道から出てくるだけのものではなく、その特殊な性質で地球上の生物の命を支えているのである。今日、ありふれているがゆえに見過ごされがちなその特殊性、水は貴重な存在であるということを思い出す必要があるのではないだろうか。近年、水が‘売られる’ようになったが実際今まで水道料金としていつも水を‘買って’きた。それにも関わらず、それを忘れて‘湯水のごとく’水道から大量に出して使い、おいしい水を飲もうと‘天然水’を買う。石油が残り少ないとは長い間いわれてきたが、きれいな水も限りある大切な資源である、ということを思い出す必要がある。生物は海からあらわれた、と言われる。人間は生まれる前、母親の胎内で羊水につかっていたから水の中にいると安心できる、とも言う。水は生物の一生だけでなく、その何代も前から、その生物が誕生したころ、むしろその前からずっと関わりのある存在である。その大切さをかえりみる必要がありそうだ。