041005 安達 妙子
「ねーねー、ちょっと聞いてよ。授業でさぁ、水についてのレポート書かなきゃいけないんだけど、漠然としすぎてて何書いていいかわかんないんだよね。どう思う、お姉ちゃん。」
高校2年生の妹はそう言って目で何かを訴えかけていた。聞けば提出は明日までだという。いつもぎりぎりにならないと何かに取り掛からないのだ、私も妹も。
「とりあいず、何かしら書こうと思ってることはあるでしょ?あげてみてよ。」
「んー。でも、水って無味、無臭、無色透明じゃん。それに、別に注目すべき特徴ってのもないしさぁ。第一どこにでもあるし。先生ってばただ『水』について書けっていうんだよ?もっと範囲をせばめてくれればいいものを・・・。」
妹は切羽つまっているようだ。私の顔を真剣に覗き込む。しょうがない。大学の一般教養でとっていた「水」の授業で得た知識で、少しヒントをあたえてあげることにするか。
「まず、『水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的にとくに注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。』っていう認識それ自体が間違ってるんじゃないの?」
妹は私の言葉を聞いて驚きを隠せないようだ。大きな丸い目をより大きくさせて、私の顔と『水についてのレポート課題』と印刷されたわら半紙とを見比べている。
私は一般教養の時に使用したノートとプリントを出して、それを見ながら話を進めていくことにした。
「まず・・・。」
水は確かに『無味、無臭、無色透明』であることは事実である。ともすれば水は臭いも味もあるのではないかという反論すらおこるかもしれないが、それは純粋な水の味、臭い、色なのではなく、水のなかに溶け込んだ物質の臭いであり味であり色であり、純粋な水は無味、無臭、無色透明である。しかし、それをただあたりまえのこととは考えず、なぜ人間は水が無味無臭、無色透明であることを当然だと考えるのか、水が無味無臭、無色透明であることの利点は何であるのかを考えてみたい。体内の7割を水が構成し、そのわずか12%を失うだけで死に至る人間は、生命維持のために絶対に水に触れ、水と共に生活しているがために、水が無味、無臭、無色透明であることをあたりまえに感じている。
生命活動のためには、水は必要不可欠であり、水を体内に取り込むためには、人間及びすべての生物は、水を害のない、極めて摂取しやすい物質であると認識しなければならない。そのために、水は無色透明、無味無臭であると人類に感じられるようになったのではないかとも考えられる。生きていくために絶対的に必要であり、体の中に水分をためこんでいるからこそ、余分な要素が水には「無」いのであると考えられる。では、もしも水に味や、臭いや色があったらどうなっていただろうか。もし特定の「甘い」とか「辛い」などという味があり、カラフルな色がついた臭いのする水があったとしたら、その味や臭いがすべての生物に好まれるとは限らないのである。生きてゆくためには、食べ物の好き嫌いがあるように水は好きだから飲むし、嫌いだから飲まないというわけにはいかないのだ。よってすべての人にとってある程度平等な水の無味無臭無色透明である性質は非常に意義があることなのである。また、人間は生まれる前は母親の胎内で、羊水という水の中で誕生までの時を過ごし、そして太古における生命それ自体の誕生を考えてみても、生命の根源は海の中で誕生したのである。これらのことを踏まえると人間は進化の過程で、水を無味無臭、無色透明であると認識する存在として進化していったのではないかという逆の発想すら生まれてくるだろう。いずれにしても、水に色、臭い、味がないという特徴は生命体が生きていく上で非常に重要である。
次に、『水は物理・化学的にとくに注目すべき特徴もない。』という考え方は事実に反する。なぜならば水は極めて特異な性質をもち、その性質は生物が生きる上で、非常に大きな役割をもつものばかりだからだ。その水の特徴として次の5つがあげられる。
1つめは水の密度の特徴である。一般に物質は液体よりも固体の密度の方が大きいが、水つまりH_Oは固体である氷よりも液体である水の密度の方が大きい。具体的に言うと、水の密度は1g/Dであるのに対して、氷の密度は0.92g/Dである。氷は水分子が規則正しく配列しているために隙間が大きくなり、水分子が自由に運動できる隙間の大きい水よりも、密度が小さくなるのである。密度の大きいものと小さいものをあわせたとき、大きいものが下になり、小さいものが上になるので、一般的な物質は固体の方が液体の密度よりも大きく液体に固体をいれたときにその固体は沈んでしまう。しかし、水は逆であるがゆえに固体である氷が水に浮くことができるのである。もしも氷が水に浮くことができなかったら、海底にできた氷は冷やされ続けより大きくなり、北極や南極などの極寒の地では底に氷がたまり、海がすべて氷でおおわれて水中の生物が住めなくなる可能性がでてきてしまうのである。加えて、一般に温度が高くなればなるほどその物質の密度は小さくなるが、水の場合は0℃から4℃においては逆に密度が大きくなり、4℃で密度が最大になる。これは、冬の河川や海において、氷や0℃に近い水よりも暖かい4℃の水が海底や川底を流れることになり、氷のはった川や海の中でも底付近で生物が生きてゆける環境をつくりだすことにつながる。そしてまた、常に川底や海底が4℃になるために、川や海の水全体では温度差ができて、常に水が攪拌されるのである。ここでも水中の生命活動を維持することに非常に大きな意味をもつことがわかる。
第二の特徴として、水の比熱の大きさがあげられる。気体を除いた全物質中で、水の比熱は最大である。比熱とは1gの物質の温度を1℃上昇させるのに必要な熱量を示すが、比熱が大きいということは、海水の最高・最低温度の差を少なくし、海水の急激な温度上昇を防ぐことに役立つ。これは、生物の体温の変動を少なくするためにも重要な性質である。
第三に、蒸発熱が大きいという特徴があるが、これも生物にとって重要である。もしも水の蒸発熱が小さくて20℃や30℃で蒸発してしまったら、地球上の多くの水はなくなってしまうだろう。水の蒸発熱が大きいということは、それだけ蒸発するときにエネルギーを使い、周囲の熱を奪うので、発汗による体温調節や植物の葉の過熱防止になることがいえる。
四つめの特徴として、水は分子間力が大きく、表面張力は水銀についで二番目に大きいことがあげられる。表面張力が大きいと、分子同士が互いに集まろうとするため、毛細管現象がおこる。それゆえに、何十メートルもある木が、その頂点まで栄養を含んだ水を運ぶことができるのだし、動物の毛細血管にまで、血液をいきわたらすことができるのである。
そしてもう一つの大きな異常性は、水の溶解力がとても大きいことにある。水は、その内部にありとあらゆる物質を溶かし込む性質をもつ。このことは、植物にとっては土から吸収した栄養分を水分の中にとけこませて葉や茎へ運ぶことができるようにさせ、動物にとっては食物や飲物によって摂取した栄養分を血液や体液として体内に運搬しまた老廃物を排除することを可能にしているのである。もしも水の溶解力が小さく、栄養分を溶かし込むことができなかったならば、この世の中に生命体は一つも存在し得ないだろう。以上のことから、水は極めて特異な物質で、その特質のゆえに生命が生きていくことを可能にしているということがわかる。
最後に、水は『この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。』という考え方は正しくないことを証明したい。
確かに現代の日本では、蛇口をひねればすぐに水を得ることができ、日本国内ではどこにでもあるように見える。しかし、もしも水道局がなかったらどうであろうか?雨が降れば雨水を利用できるかもしれないが、雨水のろ過装置をもっている人は少ないし、仮にもっていたとしても雨が降らない日に雨水を手にいれることはできない。また、川にも水はあるが、川の近くに住んでいる人は限られているし、遠くの川まで水を汲みにいったとしてもその水中にはいろいろな有害な物質が溶け込んでいる可能性がある。海も同じく、大量の水を人一人の力で淡水化することは不可能である。我々が日々の生活で安全な水を手に入れるために、いかに水道設備に依存して生きているかがわかるだろう。日本はたまたま必要な降水量を確保できる地形にあり、そして上水、下水の設備が整っているからどこにでもあると錯覚するだけなのであるし、実際は日本でも水不足の可能性にさらされているのが実情だ。
また、世界に目を向けてみると、今現在南アジア、アフリカを中心に31か国が水不足に苦しんでおり、2025年には48か国が水不足に陥るといわれている。これは、地球上での利用可能な水量が一定であるのに対して、人口の増加に伴う水需要の拡大がそれに追いつかなくなってしまうことが一つの要因である。21世紀は水紛争の時代となるだろうといわれており、実際にアジアやアフリカで既に水をめぐって紛争が起きている地域も存在するのだ。これらを考慮にいれると、水は地球上のどこにでもある物質とは言いがたい。人間は水なしでは生きていくことができず、依存して生きているので、水が「ありふれた」物質でなければならず、逆にいうと、人間は生きてゆくために常に水を追い求めてきたからこそ「ありふれた」と感じるのだろう。歴史をふりかえってみても、世界四大文明はすべて大河の近くで生まれたし、現在でも川辺や港町は栄えているところが多い。水を身近に感じるのは、水が身近にあった人のみが現在まで生き残れてきたということを示唆すると思われる。
しかし現在では、生きるために水を追い求め、水があることによって存在し得た人類が、水を意のままに操ろうとして、逆に水を失う結果になってしまっている。水を得るためにナイル川の治水事業から発達した科学技術は、最終的には分解不可能な化学物質を生み出し、水汚染を引き起こし、水を人間の手から奪っているのである。これは、人間だけの問題ではなく、環境や生態系の破壊にもつながり、人類が立ち向かわねばならない最大の難関であろう。
自分の身近になくてはならない水。身近にあるがゆえに特別な注意を払われることが少なかった水。しかし、その構造や実態は極めて特異であり、『水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的にとくに注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。』という常識をうちやぶる物質である。その特徴の上に生物は生かされているのだ。人間はそのようなかけがえのない水、水資源を軽んじることなく、水の恩恵に感謝し、きちんと水と向き合っていくことが必要なのである。
「こんなもんかなぁ・・・。」
「どれどれ、見せて。」
といって私は妹のレポート用紙を目で追う。私の話したことをただまとめたようにしか見えない気もしないでもないが・・・。
「まぁ、いいんじゃない?」
妹はほっと一息ついて、コップに入った水を一口飲んだ。そして水の入ったコップをまじまじと見つめていた。
「今まで、あまりにも身近に手に入れることができたから、水についてきちんと考えたことなんか一度もなかったんだよね。氷が水に浮くことが不思議とも思わなかったし。水がないと生きていけなくて、絶対に必要だってことはわかってたけど、水のどういう性質が生きるうえで重要かなんてこと考えてなかった。」
私もコップに水を注いで一口飲んだ。
「私も大学で授業をうける前までは、水の性質はある程度高校の化学でやったから知ってたけど、実際に水の大切さとかありがたさとか考えもしなかったんだよね。あまりにも身近にあるしさ。」
「うん。私も水がH_Oだとか、分子量とかはならってるけどね。逆に言えばそれだけしか習ってないし。やっぱ大学って深いね。」
と言って妹は微笑んだ。
時計を見る。私も今は期末テストの時期である。自分の勉強をはじめなくては。
「じゃあそろそろ私もレポートあるからさ。」
「あ、時間とってごめん。本当に助かったよ、ありがと。」
私は二階へあがる階段をのぼりながら、妹との会話を思い出していた。
「水」の授業が終わってから、私は再び元の自分に戻り、水についてあまり深く考えていなかったことに気づいた。水に関する問題は他人ごとではないのに、最近は水を無駄遣いすることも度々あった。妹との会話は私に大切なものを思い出させてくれた気がした。
部屋のドアを開ける。
「さぁ、やるか。」
外は雨だった。