「水は無味、無臭、無色透明で、物理的、科学的に特に注目すべき特徴もない。しかもこの地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」この考えに対して、「物理的、科学的に注目すべき特徴がない」、ましてや「無味、無臭、無色透明」と言う点には大きな疑問を抱かざるを得ない。水はあらゆるものを溶かす溶解性、表面張力、固体(氷)にすると液体(水)に浮くなどさまざまな注目すべき特徴をもっている。そして、「地球上のどこにでも」あり、「ありふれている」が故に気がつきにくいかもしれないが、水は人間の五感に強く(とはいえないかもしれないが)刺激を与えている。今回は水が五感に与える影響について話したいと思う。
まずは嗅覚について。これが一番分かりにくいだろうと思う。しかし、感覚の鋭い人はちゃんと水の臭いがわかるのだ。世の中には“利き水”ということができる人が存在する。水の臭いをかいだだけで、その水の水源を当てることができるというものだ。また、サケが産卵のために母川に帰ることができる理由も、サケが生まれた川の臭いを憶えているからというのが定説となっている。
このように、水には臭いがあり、しかもその土地によって臭いが違うのだ。普段水の臭いに気づかない私たちも、感覚を研ぎ澄ませれば、水の臭いに気づくことができるだろう。
次に味覚。水には「甘い」、「辛い」といったはっきりとした味はない。海水がしょっぱいのはその水に溶けた塩分のためであって、水の味とはいえないだろう。しかし、水を飲んでみると漠然とだが「おいしい」「おいしくない」と感じることがあるだろう。一般に味覚には主観的な要素が影響しやすい。水の味を決める要素としては、見た目、臭い、温度、ミネラルなどが挙げられるだろう。濁って見える水では「おいしそう」という期待は持てないだろうし、泥臭さや消毒の臭いも同様である。また、ぬるい水は臭いが多くなるしおいしく感じないし、逆に冷たすぎても水の中の感覚が麻痺してしまってうまみを感じることはできない。そして、私たちが普段「おいしい」と感じているミネラルウォーターには、その名のとおりミネラルが含まれている。このミネラルが適度にはいっているというのもおいしい水の条件となる。人間の味覚も嗅覚と同様あまり鋭いとはいえない。しかし、意識して飲んでみれば、自分が「おいしい」と感じる水の味が見つかるかもしれない。
そして触覚。水に触れ、水の中に入ることによって、人間はさまざまな影響を受ける。例えば、“禊(みそぎ)”という行為がある。禊とは、川や海の水で身を清めることであるが、語源として、水清(すす)ぎや、罪や穢れを体からそぎとる身削ぎという説がある。つまり、清らかな水に触れれば身も心も清められると信じられてきているのである。水浴びや入浴の後「さっぱりした」と感じるのと似ているだろう。また、近年水中運動というものが注目されている。水による浮揚感は体をリラックスさせる効果があるし、体にかかる衝撃が少ないため、体にやさしく体を鍛えることができるというわけだ。身障者ダイビングというものもある。車椅子の人も陸上よりも水中のほうが楽に動けるし、耳が不自由な人や、視力に障害がある人にも陸上よりもはるかにハンディーが少なく、楽しく過ごせる。このように、水は人の身も心も清め、癒すことができる力を持っているのだろう。
今度は聴覚。水は大音声から無音までじつにさまざまな音の世界を与えてくれる。大きな滝の音や、氷山の崩落の音は、人間を圧倒し、大きな力を見せつけるが、川のせせらぎや、比較的静かな波の音は人間の心に安らぎをもたらす。また、水中では音が伝わりにくいため、水中に身を沈めると非常に静かで、そのこともまた人を落ち着かせることがある。また、水琴窟といって、流水を利用して水音を反響させて琴の音色のような音を作る装置があることも興味深い。
そして、自然の水音それ自体だけでなく、水から影響を受けて作られた音楽もたくさんある。そのジャンルもさまざまで、ジャズやクラシックはもちろん、水の美しさをイメージさせるような曲を創ったロックバンドも多い。水をモチーフとした曲を集めたCDもあるほどである。多くのミュージシャンが水から美しい旋律をイメージしている。
最後に視覚について。「水は無色透明である」。確かに基本的にはその通りだろう。しかし、海や湖はさまざまな絶妙な色を見せてくれる。光は水中に進入するに従って吸収され、弱くなる。光が吸収される度合いは、波長の長い赤から黄、緑、青の順になっている。そして水中には細かい粒子、プランクトン、泥などが含まれていて、それらの物質が光を乱反射して、水面に送り返している。つまり、水中の物質が多いほど光が浅いところで反射されて緑に近い色に見え、物質が少ないほど深いところで反射されるので、青味がかって見える。この変化に富んだ色を見せる水の風景や、水上の景色をそのまま逆さに写し取ったような水の風景、その他さまざまな水の景色に人々はひきつけられてやまない。
常に私たちに寄り添い、包み込んできた水。あまりにも近すぎるがために、私たちはその水がどれだけ人間や他の動植物に影響を与えてきたか考えることは少ないかもしれない。だからこそ私たちの水に対する感覚は鈍くなり、ここまで水の汚染や浪費をしても気にとめなくなってしまったのだろうか。しかし、ここでもう一度私たちが水に惹かれる理由を考えてみて欲しい。「絶対こうだ」という理由はないだろう。特に今回話の聴覚や視覚に関しては、私の主観や印象によるところが大きいので、あなたなりの考えで、あなたなりの発見をしてみて欲しい。
参考文献