水問題 
031094 樋勝 享

 

 たしかに水は一見何の特徴もなく、ありふれた存在です。しかし、そのありふれた存在ということがすでにすごいことではないでしょうか。よーく自分の周りを見渡してみれば、水道はもちろん、冷蔵庫に入っている飲み物、水洗トイレ、自分の下を通っているであろう下水道、そこらへんにある水溜り、空に浮かんでいる雲や雨、雪、そして自分や全ての生物のからだの中にそれは存在しています。実際に水として存在していなくても、例えば木材でできた棚は、水によって大きくなった木がなければ出来ません。植物からつくられたあらゆる素材はすべて水の存在があってこそです。金属のものだって、金属の熱を冷ます際に水を使います。そう考えると、私たちの身の周りにあるものはすべて、水と関わってできているといえるのではないでしょうか。たまに夜、静かなところでぼけーっとすることがあります。そうすると、どこからともなく水の流れる音が聞こえてきます。普段は決して気にも留めないような音ですが、その音を聞いているときはなぜか自分が自然と一体になっているような気がしました。私たちの感知しないところで、水は常に流れながら、形をかえながら、日々動いています。普段はあまり意識しないことかもしれませんが、世界全体が水という存在と深く関わっているのです。周知の事実ですが、生命の起源は水です。また、黄河やチグリス・ユーフラテス川のように、人類に文明をもたらせたのも水です。一方で、生物に被害をもたらす自然災害の多くも水が絡んでいます。コレラなどの伝染病を広げたのも水の循環によるものです。水という物質がわれわれに与えてくれるのは恩恵だけでなく、時には厳しい試練もあります。どういった面にしろ、地球という星に存在しているものにとって、水とのかかわりは決して消えることはありません。

 話は変わりますが、海外に目を向ければ、水不足で悩んでいる国が数多く存在しています。それが原因で紛争が起こっている地域もあるくらいです。国連でも水問題を今後の重要な課題として取り上げました。水問題といっても、水が豊富にある日本ではいまいちピンとこないかもしれません。たしかに水不足の問題は深刻ではありませんが、私達も水に関して重大な問題に今直面しています。水の汚染という問題です。最近よく見るようになったミネラルウォーターの存在がいい証拠でしょう。他の先進国に比べて、日本は水に関しての取り組みがずいぶんと遅れているようです。汚染された水の中には発ガン物質も含まれています。それなのに、いまだきちんとした取り組みはなされていません。国民の問題意識もだいぶ低いのではないでしょうか。今後私たちが取り組まなくてはならない大きな問題の一つでしょう。他にも酸性雨の問題など、水に関する問題はあとをたちません。この点に関して言えば、水は単なる無色透明な液体ではなく、私たちの体や、他の生物のからだを蝕む毒物になってしまっているのです。水に対する意識を強めなければ、事態はより深刻になってしまうでしょう。たとえば合成洗剤を使わないようにするとか、小さなことでも私たちにできることはあります。水に対する問題意識をきちんと持ち、できる事から行動していくことが必要です。

 水は形を変えながら、地球のあらゆる場所に存在しています。そんなありふれた存在である水に関する問題は、その存在ゆえに、地球全体の、生物全体の問題といえます。私たち生物は水から生まれ、水によって生かされています。壮大な水の循環なくしては、私たちは生きていけません。しかし、文明の発達と共に、人間はそんな水すらも自らと切り離して考えるようになってしまったのではないのでしょうか。ここで一度、人類は生き方を見つめなおさなくてはならないのかもしれません。自然に対する人間のあり方を考える上で、水について考えることは大きな意味を持つでしょう。どこにでもあり、簡単に手に入る水。僕自身も今まで水に関してそこまで深く考えたことはありませんでした。しかし、その偉大さ、私たち人間を含めた生物との深いつながり、そして今抱えている問題点を知れば、水がただの無味無臭・無色透明の物質とは言えなくなるのではないでしょうか。

 


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