単純な幸福
041099 市原真理子

 

 「そなたには、味も、色も、風味もない、そなたを定義することはできない、人はただ、そなたを知らずに、そなたを味わう。そなたは生命に必要なのではない、そなたが生命なのだ。そなたは、感覚によって説明しがたい喜びでぼくらを満たしてくれる。そなたといっしょに、ぼくらの内部にふたたび戻ってくる、一度ぼくらがあきらめたあらゆる能力が。そなたの恩寵で、ぼくらの中に涸れはてた心の泉がすべてまたわき出してくる。

 そなたは、世界にあるかぎり、最大の財宝だ、そなたはまたいちばんデリケートな財宝でもある、大地の胎内で、こうまで純粋なそなた。酸化マグネシウムの水の泉の上で、人は死ぬかもしれない。かんこ鹹湖(塩水の湖)のふちで、人は死ぬかもしれない。そなたは混じり気をうべなわない、そなたは不純を忍ばない、そなたは気むずかしい神だ……。

でもそなたは、単純な幸福を、無限にぼくらの中にひろげてくれる。」

 

 そなた、って誰だと思う?何だと思う?まるで愛の告白。仰々しくて、大げさで、いまどき「そなた」なんて、まず使わない。でも、あの時の彼には、確かに、「そなた」だった。尊敬と、愛しさと、感謝と、そんな気持ちでいっぱいだった。このせりふを言った人は、いったい何時、何処で、どんな状況、どんな気持ちでこんなことを言ったのか。

 彼が生きた時代はちょうど世界大戦の頃。二十世紀はじめに発明された飛行機は、どんどん発展した。そして、大戦の合間、飛行機を軍事目的に使わないあいだに、ヨーロッパでは職業飛行家という人たちが、郵便会社なんかをはじめた。つまりは航空便の先駆け。列強の植民地に駐屯する軍が本国と指令をやり取りしたり、遠征している兵隊が家族と近況報告したり。みんなが情報を欲しがっているときだったから、職業飛行家は大繁盛だった。そのルートは、フランスのトゥールーズを出発してスペインをとおり、アフリカ大陸へ。そして、サハラ砂漠を越えて大西洋にでる。そこからさらに、ブラジルのナタール、リオ・デジャネイロ、ブエノスアイレスをへて、遠くサンディエゴまで続いた。

 とはいえ、当時の飛行機はとてもデリケートで、エンジンはすぐダウンするし、メーターもしょっちゅう狂う。ナヴィゲーションシステムなんて、当然ない。雲の合間から突然現れる山脈に激突し、何人の仲間が帰らぬ人となっただろう!はたまた、何処までも続く海の青に惑わされ、そのうちに燃料が切れて、何人の仲間が海の藻屑と消えたことだろう!

 だけど、危険と隣りあわせだったけれど、冒険心あふれるヒコーキ野郎どもにとっては、魅力的な職業だった。最初に言ったセリフの彼も、定期便の飛行士だった。仲間とペアを組んで、早朝のトゥールーズを飛び立ち、一日ぶっ続けで飛んで、夜明けにはカサブランカのカフェでコーヒーと焼きたてのクロワッサンをゆっくり楽しむはずだった。広大な空、視界をさえぎる物は何もない。考えてみて欲しい。まるで自分がこの世界の支配者にでもなったような気分!

 しかし、紺碧の空と海の蒼に、彼は進路を見失ってしまう。不時着した場所は、サハラ砂漠の真っ只中。見渡すかぎりの蒼が今度は乾ききった砂に変わっていた。そこは、何もしなければ生き物が19時間で干からびてしまうところ。彼らは乾きに耐えかねて、飛行機の機翼についた夜露をかき集めて飲んだ。夜露と、塗料と、油の混ざった液体を。あるときはタンクにわずかばかり溜まった水蒸気、恐ろしい塩素と黄緑色の液体を飲んで、胆汁が出るまで吐いたこともあった。太陽に焼かれ、あるはずもない蜃気楼が見えてくる。一人しかいないはずの仲間が、5人にも見える。なのに、昼間に比べて、夜は凍りつくように寒い。そんな極限状態が三日続いたときだった。ようやく彼らはリビアの遊牧民に発見され、助けられた。

 

 もう分かっただろうか。彼の名は、サン=テグジュペリ。はじめにふれたあのセリフは、彼自身の体験が元になっている『人間の土地』の一節、まさに彼が救出され、あふれんばかりの水にようやくたどり着いたときの一節だ。そして、「そなた」とは、君がもっとも単純でありふれた物と思っている、水のことだ。

彼だって、あのような体験をする前は君のような人間だっただろう。かれは、遭難中、朦朧とする意識の中で実感したんだ。

 

 「ぼくも実は知らなかった、自分がかほどまで、泉の囚われだとは。ぼくは、疑わなかった、自分に、こんなにわずかな自治しか許されていないとは。普通、人は信じている、人間は、思いどおり、まっすぐ突き進めるものだと。普通、人は信じている、人間は自由なものだと……。普通、人は見ずにいつ、人間を井戸につなぐ縄、臍の緒のように、人間を大地の腹につなぐその縄を。井戸から一歩遠ざかったら、人間は死んでしまう。」

 

 人間は水なしでは生きてゆけない。水は人間の、生物の、命綱なんだ。二十世紀のあのころ、戦争は人間を盲目的な科学の信奉者にかえてしまった。空さえも支配して、人間は完全な王様気取りになっていた。だけど、狂った日常、麻痺した感覚で、人間は人間である事を忘れようとしていた。神にでもなろうとしているかのように!でも人間は神になるどころか、科学のしもべ、精神を持たないものに成り下がろうとしている。もっとも単純な幸福の存在すら、忘れかけている。

 日常では水のありがたみなど実感できない。かといって、君に、サハラ砂漠で遭難して来い、というわけでもない。一度、この本を読んでみて欲しい。口下手なぼくが、いくら説明した所で、ありふれた環境番組程度の事しか言えないから。僕自身、この『人間の土地』を読むまで、平気で蛇口開けっ放しで歯を磨いたりしてたし、多摩川に散歩に行って、「うわっ、くっせぇ水!」とか他人事のように思いながら、やっぱヴォルヴィックだよな、なんてお気に入りのミネラルウォーターを人に語ってたりしてたから。

  何も、水の事だけじゃないんだ。環境の「環」っていうのはさ、わっかの意味で、全てつながっているってことなんだよ。もちろんその環のなかに、人間も入っている。本のあとがきに、堀口大學がこんなことかいている。「『人間の土地』は、物質的利益や、政治的妄動や、既得権の確保にのみ汲々たる現代から、とかく忘れられがちな、地上における人間の威厳に対する再認識の書だ。」簡単に言うと、そもそもの、自然の環の一員としての人間の存在意義を問うってことかな。

 なにかの偶然で、暑すぎず寒すぎない所に地球が誕生して、なにかの偶然で、生き物に適した大気に覆われて、なにかの偶然で地球に水が満ちて、そして、本当に幸運にも、僕らはここに存在している。全部偶然なんだ。しかも、地球の歴史からすれば、僕らなんて生まれたての赤ん坊なんだ。一人じゃ何もできない。水という最も単純な、でも、最高の母乳をもらって、生きていると言うよりも生かされているんじゃないかな。

 ぼくは、高校生の頃結構荒れたんだ。何のために生きてるかわかんなくて、大学いってもやりたい事なんかないし、親はいるだけでなんかムカつく。そのくせ、いい子でいなくちゃいけないって意識に縛られてて、焦りばかり募った。母さんにも随分苦労かけたはずなんだ。でも母さんは嫌な事一つも言わなかったし、何にも言わずにご飯作ってくれて、ぼくもそれを当然の事だと思ってた。

 あるとき、母さんが倒れた。過労だって。その時初めて気がついたんだ。知らないうちに白髪が増えてて、目がくぼんで、手も皺だらけになってた。石川啄木だったっけ、久しぶりに母を背負ったら、あまりの軽さに涙がでたっていううたを作ったのは。そんな気分だった。母さんは何も言わないで苦労を背負ってくれてたんだ。親が子供のために苦労するのは当たり前なんだよって、ベッドで笑ってた。

 地球も、母さんみたいだなあっておもった。何にも言わないで苦労を抱えてさ。僕らが汚した物、あたりまえのように全て一人で背負って、きれいにしようとして。地球も、過労で死にそうなんだって。ぼくは、この本をよんで、何を思ったかって、まず、なんともいえないくらい恥ずかしくなったんだ。この本が出版されたのが、1939年。日本語訳が出たのが1955年。少なくとも50年経って、依然として世界はこの有様だよ。むしろ悪くなる一方だ。いつまでも整理整頓できないとか、そのレベルのはずかしさ。大人ぶって、虚勢張って、メッキがはがれて、自分はまだ子供なんだって、いやおうなしに実感してしまった時のようなはずかしさ。つまり、根本的なところで、意識が甘っちょろいんだ。そんな気持ちになった。環境を守るとかって、TVでPRしたり、偉い事みたいに扱われてるけど、じつは人間として、挨拶とかと同じくらいあたりまえのことなんだって。親が子供に、きれいな地球を残すのは、親として当たり前なんだって。やっと、地球家族の末っ子の人間も、大人になろうと少しづつ動き始めた。人間としてはもちろん、自然の一部として大人にならなきゃいけないんだ。

 まあ、とにかく読んでみて。意識が本当に変わるとおもう。はずかしい似非大人には、なりたくないだろう?

 

・・精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて・・人間は創られる。

 

参考文献

『人間の土地』 サン=テグジュぺリ 著、堀口大學 訳、 新潮文庫

 


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