【最後の授業で】
教育実習も今日で最終日。ホームルームを受け持っていた2-Bのみんなとも、この授業でお別れだ。化学の教師を目指しての、母校での教育実習。この2週間は目が回るほど忙しかったけれど、思えばあっという間だった。そして、最後の授業ではこの話をすると決めていた。
「みんな、『水』って聞いてどう思う?」
少し教室がざわめいたあと、陸上部のエースでいつも快活な藤本さんがこう答えた。
「ないと困るとは思うけど、特に水について考えたりしたことないな。走った後にいつも飲むのもスポーツドリンクだし」
「そうそう、味も匂いもないもんね」
「蛇口をひねったら出てくるし。どこにでもあるって感じ」
次々と意見が飛び交う。しめしめ。私の思ったとおりの発言をしてくれた。
「分かるよ、だってわたしもちょっと前までそう思ってたから。でも本当に『水』ってそんな存在なのかな。そのことについて少し考えてみない?」
こうして、私の最後の授業が始まった。
【先人は「水」の不思議さを知っていた】
さっき誰かも言ったけれど、今の日本では蛇口をひねれば水が出てくる。あまりにありふれてるから水という存在について注意をあまり払わないよね。でも昔の人は「水」をいろんな角度から観察していた。「不思議だなぁ」って思いながら。それは、水道がなかったから今よりも水が貴重だったせいもあるし、色々と考える時間と余裕があったからかもしれない。彼らはそんな不思議な存在である「水」を題材にたくさんの言葉を残しているよ。いくつか例をあげながら、水の不思議について考えていこう。
★「雨垂れ石を穿つ」
みんなこのことわざは聞いたことあるよね。「小さな力でも根気よく続ければ成功する」って意味だけど、雨垂れが石に穴をあけるなんて、ただの比喩だと思ってる人もいるんじゃないかな。でもこれ、喩えじゃないんです。本当に水には石に穴をあける力を持っているんだよ。
水の溶解力は他の物質と比較しても群を抜いている。化学の実験でもおなじみの「食塩水」を例にしてみるよ。食塩はNaClと表す通り、ナトリウムと塩素の化合物。でも実は、このくっついた原子をひき離すには大きなエネルギーが必要なんだよ。ところがNaClを水に溶かしたとたん、あら不思議、塩素イオンとナトリウムイオンにあっさりと分割されてしまう。これはなぜかというと、食塩がイオン結合(電気でくっついていること)しているからで、水に入れるとその電気の力が弱まって結合が解けるからなんだよね。白い結晶だった食塩が、水に入れたとたんに溶けて目に見えなくなってしまうのはこの「電離」という現象のせいなんだよ。
話を「雨垂れ石を穿つ」に戻そう。さっきの食塩水の原理が雨垂れにも適用できる。さすがに食塩ほど分かりやすく溶けはしないけれど、石だって食塩と同じ無機物で、イオンの形になりやすい。塩素イオン、硫酸イオン、炭酸イオン、ナトリウムイオン、カルシウムイオン、カリウムイオン……イオンになってしまえばどんどん水に溶け込んでしまう。だからある石の1箇所に雨垂れがポタポタと落ち続けていれば、水に石のイオンが溶けこんで、そこに穴があいてしまうわけ。石が水に溶けるなんてピンとこないかもしれなけど、よく温泉に「このお湯には健康にいい豊富なミネラルが含まれています」ってあるよね。この「豊富なミネラル」というのは、水によって岩盤から溶け出したイオンのことを指している。「雨垂れ」と同じ原理なんだね。そう考えれば納得いくんじゃないかな。
★「水は方円の器に随う」
このことわざを知っている人はいる?最近はあまり使う人はいないかもしれないけれど、水は四角い器にも、丸い器にも自由に形を変えて満ちることから転じて「人は交友や環境の善悪によって良くも悪くもなる」という意味なんだよ。水が自由に形を変えるなんて当然じゃん、だって液体なんだから、ってみんなは思うかな。じゃあそのことについてもう一度考えてみよう。
「人体の70%は水でできている」のは、ちょっと前にテレビのCMでも言ってたし、みんな知ってるよね。でも少し考えてみると不思議じゃない?体という入れ物の中に水が入ってるところを想像してみても、コップの中の水みたいに入ってる風にはイメージできないよね。重力に従ったら、体の下から70%に水が入ってて、上30%はカサカサになるはずなのに。体全体は重力にひっぱられて地に足をつけてても、体内の水はどうもそうじゃないらしい。それはどうしてなんだろう。
その理由の1つは「毛細管現象」にある。昔、理科でガラス管の中を勝手に上る水の実験をした人もいるでしょ。これは水の分子に働く分子間力(凝集力ともいう)よりも、ガラスと水分子との間に働く付着力の方が大きいために、水がガラスの壁に引き寄せられてせり上がることから起こる現象。人体には血管やリンパ管が網の目状にはりめぐらされているよね。ガラス管をこれらの管として考えてみるとしっくりくると思う。
でも人体のすみずみまで水を行き渡らせているのは「毛細管現象」のせいだけじゃない。水が「非圧縮性の液体」であるということが大きく関係している。密封された容器内に水が充満している状態の中で、その一点に加えた力はその全容器内に均等な力として作用する、というパスカルの法則は知ってる?この法則は圧力を受けると収縮してしまう液体では意味をなさないんだけれど、水が非圧縮性であることによってうまく機能するんだよ。筋肉や関節が収縮して生み出された圧力を、水がそのまま伝えることで、いわばポンプのように全身に水を行き渡らせているってことだね。
こうやって考えてみると、水は方円どころか人体の形をした器にだって随うことができるということがわかる。水はことわざの示すとおり、自由に形を変えることのできる柔軟さと共に、同時に圧力を受けてもほとんど収縮しない強さも持っている、とてもしなやかな物質だということだね。
★「雨降って地固まる」
これはみんな知ってるよね。雨が降った後は以前にもまして地面が堅固になることから、変事の後は、却って自体が落ち着いて基礎が固まることを指すことわざ。でも、実はこのことわざも水の特性がおおいに関係しているんだよ。意外でしょ?
水を含んだ土は柔らかくなるのに、どうして乾くと元よりも固くなるんだろう。とりあえず水を含んだ土がどうなるのかから見ていこう。どんな液体にも表面張力はあるけれど、水のそれはずば抜けて強い。お互いに引っ張り合って丸く固まろうとする性質がある。水銀の次に強いというのだからすごいよね(昔、先生が子どものころ体温計を折ってしまったとき、中の水銀が丸く固まってコロコロと床に落ちたのにびっくりしたことがあるよ。あれも今を思えば表面張力だったんだね)。一方、毛細管現象のところでも少し触れたけれど、水には接触する他の固体にこびりつく「付着力」という性質があるよね。水の持つこの2つの性質が土と合わさったときどうなるか想像してみよう。物にこびりつき、かつ水分子同士もくっつくから、パサパサだった土は水という接着材のおかげで互いに引き合うようになる。紙粘土は水を加えると成形できるようになるよね。これも同じ原理ということだ。
それでは、濡れた土が固まるとき、どういう現象が起こっているのか。土の間にあった水は、乾燥してなくなるときに土と土を結合させる。というのはさっきも言った通り、表面張力と付着力があるから、じわじわと水がなくなる間も常に土の間の接着を続けているんだね。つまり、水がなくなるにつれて土と土の間は狭まっていくということだ。そして水が全部なくなったとき……土と土は密着しあい、その強い結合力によって全体が固くなるというわけ。泥だんごを乾燥させると石みたいに固くなる、あれと同じことと考えれば分かりやすいかな。粉末状のものを濡らしたあと再度乾かすと前よりも固くなるこの現象を「液膜付着力」というよ。
それにしても土という物質は何の変化もしていないのに、水を一度吸収・乾燥させるだけで結合が強まるなんて不思議だよね。知れば知るほど、私には水という物質が特殊なものに思えてくるよ。
【授業を終えて……】
長い独白が終わった。教室は静まり返っている。それでも生徒たちの目から、彼らが真剣に私の話を聞いてくれていたことが分かった。
「藤本さん、どうだった?水ってやっぱりありふれていて何の特徴もないものかな」
彼女は少しはにかんだ表情で答えた。
「なんだかびっくりしちゃった。水をそんなふうに見たことなかったし……最後の『雨降って地固まる』なんて、顕微鏡もなかった時代によく気付いたなぁって」
「そうだね、それだけ昔の人がじっくりと自然を観察していたってことだよね。私たちはそういう余裕をなくしちゃってるのかもしれない。詰め込むだけの勉強じゃダメだってことだ。」
私は一息つき、再び目を上げた。
「ということで、最後の授業はちょっといつもとは違う形式にしてみました!どうだったかな。私も忙しさにかまけて、ついついこういう視点を忘れがちなんだ。だから今日の授業は話していた私もとても楽しかったです。これから高校の先生になっても、『目からウロコ』の気持ちを忘れないでいきたいと思ってる。短い間でしたが、本当にありがとうございました。」
教室のどこかから拍手が聞こえた。やがて私を包む大きな音になる。視界の端に青い空が見えた。この青空の色と共に、今の気持ちを心に焼きつけておこうと思った。
【参考文献】