海のリベラルアーツ‐化学、生態学、環境学の視点から

 

 水がありふれたもの、と考える理由の一つに地球上に海が存在することもあると思います。そこで今日は、この海について、様々な角度からお話したいと思います。流れとしては、はじめに海の諸データについて、次に海水の化学的性質について、その次は海が地球環境に果たす役割について、そして最後にその役割を脅かす海洋汚染について説明したいと思います。海水と水は違う、と考えるかもしれませんが、それは2番目にお話しする海水の性質のところで取り上げますので、少し我慢して聞いていてくださいね。

 

1. 地球上の水のうち98%は海!

   「地球は青かった」と言ったのは宇宙飛行士のガガーリンですが、地球は表面の約7割が水に覆われた“水の惑星”なのです。だから水はありふれたもの、といえるかもしれませんね。しかし太陽系の惑星の中で水が存在するのは地球だけなのです。また、地球表面の水もその内訳を見ると、海水、淡水、大陸水、水蒸気の順に98.3%、0.037%、1.65%、0.001%となっています。このように宇宙空間の水、地球上の水、そして海水と真水…と範囲を狭めていくと、無味無臭で無色透明な水の存在が意外に限られてきたと思いませんか?

 

2. 水はすべてを溶かし込む‐水の化学的性質

地球規模の話ではあまり実感が湧かないでしょうから、次は海水についてフォーカスしてみたいと思います。

海水は1リットル中に約35gの塩類が溶けています。この塩分濃度は、海面からの蒸発や、氷河の形成による濃縮などのため、地域ごとに違いますが、中に溶けている塩類の成分比はほぼ同じです。表1は海水に含まれている化学物質の比率を示しています。

 

   

 

このように海水の中に多くの物質が溶け込んでいる理由は、水が物質を取り込む性質を持っているということです。例を挙げると、1リットルの水には食塩なら358g、ショ糖なら2039gまで溶かし込むことができます。だから、雨にも大気中の物質が溶け込んでいるし、水道水にも消毒で利用された塩素が溶け込んでいるのです。つまり、わたしたちの目にする水のほとんどは、厳密な純水ではないということになります。また、この水が物質を取り込んでしまう性質は、わたしたちの生命活動にも深く関わっています。体内を循環する血液は、生命維持に必要な栄養や老廃物を運ぶのに役立っています。また、生命維持に必要な有機化合物も体内に水があるから生産が可能なのです。

人間の生命活動、という話がでましたので、これと海水を関連付けてみたいと思います。表2は、産業や生物が耐えうる塩分濃度の最大値を示しています。

 

表2.塩分濃度と水利用(水は地球の命綱p135より引用)

塩分濃度(ppm)

耐えることのできる産業・動物・植物

200

パルプ・製紙

250

発電、製鉄

450

クローバーのある種類

500

人間の飲料水としての上限としての基準値(WHO)

600

柑橘類、ウメ、モモ

1050

ブドウ

1500

人間の飲料水としての限界値(WHO)

2000

豆類

3000

レタス、ニワトリ

4400

ブタ

5800

大豆

7000

9000

ヒマワリ、小麦

13200

35000

海水の塩分濃度

55000

ラクダ

人間の飲料水としての限界値は1500ppm、一方海水の塩分濃度は35000ppmですから、人間の生命活動に海の水は利用できないことがわかると思います。地球上に水はあふれているけれど、その水は生物が生命維持するためには使えないのです。

 

3. 水中の食物連鎖と炭素循環‐海の果たす役割

   産業にも飲料にも使えない海水ですが、全くの役立たずというわけではありません。海水はその化学的性質を利用して、一部の産業や地球環境に大きな役割を果たしているのです。ここでは、水中の食物連鎖と炭素循環について取り上げることにします。

   初めに食物連鎖です。ここでは、水が物質を溶かし込むという性質のおかげで海に生物が存在するということを説明したいと思います。これは、なぜ海から生命が誕生したかということにもつながります。

   海の食物連鎖でもっとも下位に位置するのは植物プランクトンやバクテリアです。植物プランクトンは、海水中に溶け込んだ窒素やリン、ケイ素(これらを栄養塩といいます)、水、二酸化炭素、太陽光をもとに光合成を行い、増殖していきます。これは、太陽光が届く範囲である有光層、水深数100mで盛んに行われています。こうして増殖した植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、それを小型魚が食べ、さらにはそれを大型魚が食べるという図式になります。

   この食物連鎖のピラミッドは、各々の存在比が一定であってはじめて上手くいくものであるので、ある生物が増減しただけでバランスが崩れてしまいます。このため、特定の魚介類を乱獲したり、海の生態系のバランスを崩さないようにしたりすることが求められています。

   次に、炭素循環です。これは、海が二酸化炭素の循環に起因していることを示しています。

   地球は大きく分けると大気圏(気圏)、地圏(岩石圏)、水圏の3つに分けることができ、各々の圏内、また圏同士の間で物質の循環が起こっています。炭素循環は圏同士の物質循環のひとつです。以下の表3は、炭素循環を模式的に表したものです。

 

表3.地球上における炭素循環(地球の水圏p98より 

出所 角皆静男「炭素などの物質循環と大気環境」『科学 59、593-601』岩波書店 1989)

:単位ギガトン(Gt)1Gt=10_ トン)

炭素は海の中では重炭素イオンや炭酸イオンとして存在しています。そして先ほどお話しした植物プランクトンの光合成に利用されます。表3のように、地球における炭素循環で、海の果たす役割は大きいことがわかります。この炭素循環も食物連鎖同様、各々のバランスが大切なのですが、人間活動の活発化に伴う熱帯雨林の破壊や化石燃料の使用増加などによって、そのバランスが崩れてきています。

 

4. 海が二酸化炭素を放出する?‐海洋汚染

   このように、地球環境に大きく貢献している海ですが、深刻な問題を抱えています。

   まず、先程お話した食物連鎖に関連して、アザラシの大量死について触れたいと思います。

   1988年の4月から89年にかけ、北海において1万7千頭のアザラシが大量死するという事件が起こりました。直接の死因としては、ウイルス性の病気が考えられていますが、海に流れ込む大量の化学物質がアザラシの抵抗力を弱めていったと指摘されています。北海はイギリスやオランダ、ドイツなどの工業国に面しており、それらの国々からは多くの川が海に流れ込んでいます。

アザラシは海の食物連鎖のピラミッドで頂点に位置する、最高位捕食者です。このため、植物プランクトン、動物プランクトン、小型魚と化学物質が濃縮されていき、その小型魚を大量に食べるアザラシに被害が出たといわれています。このような濃縮を生物濃縮といいますが、これは化学物質の多くが水よりも油に溶けるので、生体内の脂肪に貯蔵されるためだと考えられています。

さて次は、炭素循環に関連した問題点です。

海は二酸化炭素を吸収していますが、それにも限界があります。北海道大学の水産学部教授である松永勝彦氏は著書の中で、“表層水と深層水が混ざるのには数百年から千年はかかる。このため、二酸化炭素の放出が続けば、二酸化炭素濃度は2050年には危険濃度である600ppmに到達する。”と警告しています(陸と海を結ぶ生態学 156-157)。さらに松永教授は地球温暖化に伴い、海水温が上昇し、海から二酸化炭素が放出される可能性を危惧しています。

でも、海からの二酸化炭素放出と言われても、あまり実感が湧かないかもしれませんね。そこで、日本で経験しうる温暖化の影響を挙げてみましょう。温室効果によって気温が上昇すると、海水の熱膨張や氷河の融解が起こります。この結果、海面が上昇します。このことにより、海岸線が後退したり、低地国では水没の可能性もありえます。海岸線が後退してしまったら、日本の政治家は領土が減ったと騒ぐことでしょう。また、塩害も深刻な問題になります(海の環境学 42-43)。日本で塩害の被害を受けると考えられている地域は、東海・近畿地方の太平洋沿岸側や瀬戸内海沿岸です。温暖化による海面上昇に伴い、これらの地域では、水田や灌漑用水への海水の進入が心配されます。海水が水田に流入すると、塩水の浸透圧の高さが稲の給水を阻害したり、塩分による代謝異常が起こることが考えられます。中ほどで海水と生物・産業の関係を示す表を挙げましたが、海水は生物にとって役に立たないばかりか、ほとんどの農業や産業には利用できません。このため、地球温暖化が進めば、世界各地で生物や産業に多大な被害をもたらすと考えられます。

 

5. ひとりひとりが出来ること

   それでは、海洋汚染を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。結論を言ってしまえば、やはり一人一人の取り組みが期待されます。とはいっても、国家間の取り組みも重要ですので、最初に国際的な保全の動きについて述べたいと思います。

   国際的な海洋保全への取り組みとしては、1982年に国連海洋法が採択されました。日本は95年に環境基本法を制定した後96年に批准しています。この法は、60カ国の批准をもとに発効されるものであったので、94年になってようやく効力を発揮しました。その他には、地域的な保全を進める動きもあります。これは国連環境計画が世界の海をブロックごとに分け、その中の国家同士が互いを監視しあったり、データを採取しあったりと協力関係を築きあって海洋保全に努めようというものです。アジア地域としては韓国、北朝鮮、中国、日本、ロシアがひとつのブロックとして位置付けられています。しかし海洋の問題は各国の経済水域などの利害問題もはらんでいるため、一筋縄ではいかないのが現状のようです。

   それでは、次に個人個人で取り組めることについてお話しますね。海洋汚染を防ぐには、やはり汚染の原因となる物質を海に流さないことが大切であると思います。これは、わたしたちの飲み水を守るための取り組みとも共通しています。例えば、使用した食用油は直接流さないことだとか(油を固めて捨てられる凝固剤も市販されていますね)、そんなことをする人はあまりいないでしょうが、海にごみを捨てないことも大切です。

 

   以上のように、結局行き着くところは、一人一人の取り組みにかかっています。

これで今回のレクチャーは終わりですが、これを機に皆さんが少しでも海について関心をもってくれたら嬉しいです。それではこれで、海についての講義を終わりたいと思います。

 

参考文献・情報

 

国連環境計画(UNEP) <http://www.unep.org>

 


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