漂流民の聞き取った英語
水と日本語

 

 みなさんは、江戸時代に、日本人が最初「水」のことをアメリカに漂流した時にその発音から、「水」であるwaterをなんと聞き取ったと思いますか?「時規物語」という漂流記では「ヲアラ」と聞き取っています。アクセントのついていない部分は聞き取りにくく、tの発音が完全に抜け落ちてしまってしまっていますね。そして、日本語にはないerの発音もできていませんね。また、「ジョン万次郎漂流記」では「ワタ」と聞き取っています。日本語に「綿」という単語があり、その影響を受けて、「ワタ」と聞き取ったのではないかと私は推測しています。真水のことを「フラシヲアラ」とかきしるしています。これはきっとfresh waterを聞き取ったのだと思います。海水のことは「サルヲアラ」と書き記していて、これはきっとsalt waterを聞き取ったのだと思います。しかし水に関する言葉で書き記されているものの中にもなぜそのように聞き取ったのか予測がつかないものもあります。例えば、「小川」を「レワ」、「海」を「セー」などというように意外と聞き取りやすそうな単語が予測不可能の聞き取り方をしているのは面白いと思いませんか?

 

<漢字の中の水> 

 「決」・・・物事を決める、きっぱりと分かれるという意味の「決」。この字のつくりである の原型は「手の指一本をコ型に曲げ、物に引っ掛ける様や、コ型にえぐられる様をあらわした象形文字です。そこに水を意味する を加えた「決」はもともと「水によって堤防がコ型にえぐられることという意味をもっていました。漢字発祥の地である中国、とりわけ黄河流域にすむ人々はたびたび氾濫に脅かされていました。そんな人々にとって治水は生活の重大事でした。堤防の一部を切って氾濫を防ぐことは命がけの大変な決断がひつようであったのです。そこから堤防をコ型にえぐること、すなわち、「決」は重大な物事を「決める」というような意味をもつようになり、それが転じて、きっぱりと別れるという意味を表すにいたったのです。はるか昔からの人と水の格闘の歴史が「決」という一字の中に刻まれているというのは興味深いと思いませんか? 

 「演」・・・「水」の字形はさざなみやながれをあらわしたしょうけいもじからうまれました。水を意味するさんずいはそのはせうけいです。漢字にさんずいが使われる場合、何らかの形で水に関する意味をたくされていることになります。さんずいと という文字からなる「演」。「この 」はもともと両手で矢竹の曲がりをまっすぐにのばす形をあらわした象形文字。だから「演」の本来の意味は「長くまっすぐにのびた水、つまり、長い川」だったのです。それがてんじて「のびる」や「演技」「講演」などに見られる、「徐々に事が展開され、行われる」という意味の現在の意味になりました。「講演」と「講義」はよくにたじゅくごですが、師が生徒へきっちり教えを授ける「講義」にくらべ、「講演」のほうには何か聴衆の反応をみながら話の内容を臨機応変に変えるといった感じがしなくもないと思いませんか。「水は方円の器に従う」という言葉がありますが、「講演」の字の姿にそんな柔軟なニュアンスを見るのは早計に過ぎるでしょうか。熟語の成立の陰にも水に対する人間の確かなイメージが息づいているような気がします。

 

<日本語と英語の違いを「水」でみる

  アメリカの人が「寒いお水ください」といったとします。私たち日本人は「冷たい水のことだな」と想像できますよね。Itユs coldを寒いと覚えたのでcold waterを「寒い水」といったとかんがられます。しかし日本語が母国語の人にとってはcold waterは寒い水ではだめで、冷たい水ならOKということになります。しかし又その逆もあります。日本語で水はH2Oという液体の総称ではなく、温度の低いH2Oを思い浮かべます。ところがえいごでのwaterにはそんな温感はありません。それで、hot,coldなどの温度を表さないといけないのです。日本語では「お湯」という語で表される「熱いH2O」は英語ではhot waterと表さなければならないのです。

 

[まとめに変えて]

 

  以上に述べてきたように水と日本語には深い関係があります。漂流民があめりかについたとき、「演」「決」なその漢字ができた時にだれがいったいげんざいのみずもんだいをよそうなどしていたでしょう。そのような水問題を作り出してしまったのは他でもない、私たち自身なのです。そのようなことをしっかり自覚しなければなりません。水は時には私たちに災害などをもたらしますが、それは私たちへの戒め、警告だとおもうのです。それと同時に水は私たちに安らぎを与えてくれたりするのも事実です。これから一人の人間として、日本の国民の一人として、グローバルな視点を持ち、生活していくのが私たちの使命であるし、これから私自身もそのように生活していかねばならないと改めて決意しました。   

 


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