日本では日常生活において飲み水に困ることはありません。ありがたいことに。雨が降らなくて水不足だと騒いだ夏もありましたが生命に危機を及ぼすほどのものではありませんでした。だからでしょうか、日本では水の存在を当然のことと思い、普段あまり気にとめないものとなっているようです。しかし、考えてみると私たちの生活に水は不可欠です。朝起きて顔を洗うとき、トイレのみずを流すとき、コーヒーをいれるとき、食器を洗うとき、、などなど。ずいぶんとたくさん使っているようです。平成12年度版「日本の水資源」によると、日本人一人あたりの一日の生活用水使用量は324リットルで、一回のトイレだけでアフリカの人の一日の使用量10リットルの水を使っているそうです。こうやって見ると、日本では確かに水に対して深く考えて使っているとは考えにくいです。けれども、飲み水ということになると最近ちょっとうるさい人が増えてきたように思います。ミネラルウォーターとか買ったことあります?多分あるんじゃないかしら。ヴォルビックとかエヴィアンとか六甲のおいしい水とかいろいろな水が売られています。皆が、よりおいしいと感じる水を求めてゆくあたり、日本人の水に対する意識は敏感なのだなと思います。たしかに東京の水道水とミネラルウォーターだと口に含んだ感じが違うと思います。ミネラルウォーターのほうがまろやかというか、口の中である程度の重みと液体独特の流れをもってとどまる感じがします。田舎出身のものとしては東京の水道水はやはり無臭とはいえない気がします。皆さんはどうです?一度水の飲み比べとかやってみると面白いですよ。微妙に味が違ったり、匂いも違ったりしますよ。 どうやら私自身が水にうるさい人のようです。
さらにおいしい飲み水の探求に限らず、日本では水資源が豊富であったがゆえに起こりえた文化があります。日本人は古くから日々の営みを自然と密接にかかわらせてきました。衣食住、生活のすべての分野において自然の恵みをうけて感謝し、自然とともに生きてきたのです。四季の移り変わり、自然の彩りの豊かな日本では、虫の声といったものまでも一種の音楽となり、風や水の音を愛でる文化がうまれました。ここでいくつか水に関連した文化を紹介しましょう。
水琴窟
「水琴窟」は水の音を楽しむ文化の代表です。庭の手水鉢や蹲などの周りに瓶を埋め、その中に水滴をおとしてその反響音を楽しむものです。江戸時代に庭園のしつらえとして扱われ、明治時代にいたってさかんに取り扱われたそうです。その流れ落ちる水音は妙なる琴の音を響かせるのです。
鹿威し
引いてきた水を竹筒に注ぎいれ、いっぱいになると重みで反転して水を吐き、元に戻るときに石を打つなどして音を発するようにした仕掛けです。もともとは農家で猪や鹿を脅すのに用いられましたが、今では日本庭園のしつらえのひとつとして使われています。「添水、僧都」ともいいます。
枯山水
日本庭園には水音を生むさまざまな意匠が使われています。ほんものの水を用いて滝や川など自然のダイナミズムを庭に表現したり、水を使わないで滝や流れを表す庭、枯山水などがあります。石で滝を表し、白砂で流れを表す枯山水は、聞こえない水音に耳を傾けているようです。
茶の湯
「茶の湯」の水音の代表は、釜にたぎる湯の音でしょう。千利休は湯のたぎる相をとても大事にしたといいます。湯のたぎる最適な湯相の音が、松に吹く風の音に似ていることから「松風」としたそうです。静寂な茶室に心静かに座り、湯のたぎる音に松風を聞く。茶に汲み入れる湯に筧の音をおもわせ、茶筅通しに谷川のせせらぎを覚える、、なんて。
こういった文化が日本にあるのだと知ったら日本人は水に無関心どころか非常に興味を持っていたのだなということがわかるとおもいます。みずが豊富にあった日本ならではの奥深い水文化のひとつといえるのではないでしょうか。日常生活では気にとめにくいかもしれませんが、ゆっくりとしたときの中でこういった日本の水文化を堪能して見るのもよいかもしれません。
水の音に感じる安らぎ、それは何なのだろうか、という疑問から日常の水に対してもおもいを馳せられるようになればよいです。