昨日の夜、夢を見たんだ。ものすごく、のどが渇いて渇いて、水をがぶがぶ飲む夢。1.5リットルのペットボトルに入ったミネラルウォーターを、がぶがぶ飲んで、それでも足りなくて、水道から出てくる水を、そのままがぶがぶ飲んで。でも、それでも、渇きは癒えなかったから、怖くなって、目がさめた。なんか、よくないことの前兆なのかと思って。だって、普通、水飲んだら、のどの渇きってすぐ癒えるじゃない?気になったから、ネットで夢について調べてみたんだけど、のどが渇く夢は、いい前兆みたい。なんか、いいことあるかな?
話は、変わるけど、大学で今取ってるクラスで、高校生に水について語る、っていう課題が出てね。うん、まあ、変わった課題なんだけど、何書いていいかわからないし、高校生って言えば、あんたも一応、高校生だから、なんか、いいアドバイスないかな、と思って。え、一応は余計?ごめん。でも、水って、けっこう不思議なんだよね。あたしたちの60~70%、水って知ってた?え、知ってたの?じゃあ、地球に水がないと、生物が生きていかれないとかは?え、常識?そっか。でも、よく考えてみると、人って、生まれた最初の時から、水と関わってるんだよね。まず、お母さんの体から出てきたら、泣くでしょ?涙も、水。それで、つぎに、産湯に入れられて、体きれいにしてもらって。そういえば、あんたが生まれた時、サルみたいだったよ。あ、うそうそ、電話切らないで。それで、お母さんのおっぱい飲んで。あれは、水じゃないって?水だよ、おっぱいだって水分なんだから。
そういえば、むかし、あたしたちが小さかったころ、よく、多摩川とか、野川とか、遊びに行ったよね。多摩川に行くと、深いところは、絶対行っちゃだめ、ってお母さんに言われてさ。急に流れが速くなるところがあるからって。むかし、子どもが死んだから、とか。あれって、本当だったのかな。川といえば、この間、あんたが帰ってきた時、千と千尋の神隠しって言う映画、見たじゃない?うん、宮崎駿の。あれで、千のこと助けてくれた男の子が、実は、川の神様だったじゃない?あれって、日本の川信仰みたいなの、よくあらわしてるよね?川が身近にある生活で、川にも畏れを感じて信仰の対象にする。あたしね、最近、嫌なことあったりしたら、川まで行って、石投げたりとか、夕日見たりとかするんだ。え、暗い?ほっといて。だって、わかるでしょ?水って、人を癒す力があるから。なんか、ドラマとかでも、慌ててる人とかに向かって、「まあ、水でも飲んで落ち着け」とか、言ってるでしょ?それとか、おふろはいって、おもわず、「ふ〜うっ。」とか言って、落ち着くじゃない?え、親父くさいって?
それも、大きなお世話。
そっちは、まだまだ寒いだろうから、風邪ひかないようにね。
弟ととの電話を切ってから、私は、水を飲んだ。冷蔵庫の中から、よく冷えた水のペットボトルを取り出して、コップに注ぎ、そして氷を浮かべた。冷たい水は、心地よかった。弟には、昨日見た夢、と言ったけど、もう、2週間ぐらい続けて、のどの渇く夢を見ている。のどが渇く夢を見てから、現実でも、よく水を飲むようになった。良くない前兆かと思ったのは本当だ。最近、なんだか、心が渇いている感じがするから。何か、良くないことでもあるのかと思った。インターネットで、夢について調べたら、のどが渇く夢を見るのは、いいことが起こる前兆です、なんて書いてあった。飲んでも飲んでも満たされない渇きについては、何も書かれてなかった。ここ2週間、そんないいことの前兆は、微塵も感じられない。
街に出ると、何でこんなにみんな慌てているのか、わからなくなる。何で、みんな、こんなに歩くのが速いのか、本当にわからない。むかしは、感じなかったけど。最近歩いていると、よく人にぶつかる。別に私が悪いとも思わないけど、思わず「すいません。」といってしまう。 中学生の時は、自分は人と違う何かを持ってるんだ、なんて幻想を抱いていたけれど、今はそれはない。でも、人と違う何かを持っていたら良かった、とは思う。才能みたいな、人と違う何か。人より優れている何かを。でも、そんな考えを浮かべては、自己嫌悪に陥る。
弟は、高校から、家を出た。北海道で、全寮制の学校に通っている。農業をやりたい、と言った弟に、典型的サラーリマンの父と、典型的主婦の母は、猛反対した。何を言っているんだ、現実を見なさい、とか、毎日言われてた。私は、反対しなかった。自分の人生だから、好きにしたら、といっただけ。結局、弟の情熱が勝ち、北海道へ行った。一週間は電話がなかった。一週間目にかかってきた電話で、こっちは、水がおいしいよ、といっていた。自分のやりたいことを見つけた弟が、うらやましかった。
水を飲みながら、コップの中をのぞいた。氷が浮かんでいる。揺らすと、からからといい音がした。氷が水に浮かぶことは、けっこう不思議な現象らしい。普通は、固体は液体に沈んでしまうんだって。そんなこと、今まで、気にとめて考えたことがなかった。私たちの周りにありふれている、水。
私は、心って水のようだなと思う。今みたいに、取り留めのない考えが浮かんでは消え、熱くなったり、冷めたり。水を永遠にとどめて置けないように、人の心も永遠にとどめておくことはできない。水は、コップさえも溶かすらしい。形のない水。でも、水は、たしかに、水。雲になっても、雨になっても、雪でも、私の頬を伝う涙も。そうやって、姿を変えながら、水は、ずっと昔から、地球を循環してきた。
今では、水が循環することによって、汚染も広がってしまうんだって。流しに、氷を流しながら、この氷も溶けて、また循環するんだ、ということを考えた。ここから、世界につながっているのかと思ったら、少し奇妙な感じがした。
おととい買ってきた花の水を取り替えるために、流しに花瓶を持ってきた。本屋で立ち読みした雑誌に、風水では、黄色とオレンジの花を飾ると元気が出るといわれていると、書かれていた。鵜呑みにして、帰りに花屋さんによって、黄色とオレンジのチューリップを合計3本買った。オレンジが1本と、黄色が2本。でも、別に、元気は出ない。風水と言うのは、気の流れとか、水の流れが関係するらしい。よくは、知らないけれど、土地によって、育つ植物が違うように、人間も土地のもつ特徴に逆らうな、というようなことなのだろうか。
水を変えながら、花も水を飲むんだな、と思った。昨日入れた水よりも、明らかに少なくなっていた。私と同じように、花も水を飲んで生きている。すべての生物が水を必要としているのに、人間は、水を汚染している。地球カレンダーという、地球の45億の歴史を1年に当てはめて計算する課題が出た時知ったけど、人間が現れるのって、12月31日の夜になってからだ。20世紀は、12月31日11時59分59秒の1秒の間にはじまり、終わった。その間に、汚染された地球、そして、水。
将来、深刻な水不足になる、といった、教授の言葉を思い出した。将来といっても、ほんの何年後のこと。2005年には、地球の3分1の人は、生活に必要な水を確保できなくなるらしい。一方で、水を商売にして、お金を稼いでいる人々がいた。“ブルーゴールド”という言葉をはじめて聞いた。採水地を買い上げて、そこから、水を輸出してお金を稼ぐ人々。その採水地では、オレンジに水気がなくなってきたそうだ。結局、自然とは関係なく、水もお金のあるほうへ流れていく。水道から、水が出ない現実が、インドにはあった。水が、水道から出ることは幸せだ。私の夢のなかでも、水道から水が豊富に出る現実があるから、水を水道から飲んだのだろう。私ののどの渇きは、夢の中だけだけど、現実に、のどを枯らしている人々がいるのだ。
水は、奇跡の物質だ、と授業で見たビデオの中で言っていた。水があるから、地球上のすべての生き物が生きることができる。味もなくて、透明で、個性なんか、まるでないように見えて、強烈な個性をもつ物質。すべての生き物が必要としている物質。水がなければ、私もいない。私の中の60~70%は水だから。60~70%が奇跡の物質でできている、私。だったら、私も奇跡なのかも知れない。奇跡の物質に生かされている、奇跡の生物たち。
弟との会話を思い出した。人は、生まれた最初の時から、水と関わってる、というようなことを話した。よく考えたら、生まれる前から、人間は母親の胎内で、水に浮かんでいるんだった。やっぱり、ずっと、水に生かされてるんだ。
水は、何の変哲もないように見えて、でも、本当は、すごく変わっている。固体、液体、気体と形を変えても、水であることには変わりない。いれものに合わせて、自由に動いて、でも、そこに永遠にとどまることがない。汚されても、自らきれいになろうとする。そんなふうになりたいなと、ふっと思った。奇抜な個性ではなくても、自分なりの個性をもって、前へ進んでいく自分に。どこにいても、自分でありつづけたい、水のように。
高校生に水について語るという課題をやるために、パソコンの前に座った。何を書こうか、授業を思い出しながらあれこれ考えている。水という奇跡の物質について、いろいろ学んだ。科学的なことは、難しくてよくわからないけど、奇跡の物質水について書きたいことがある。 奇跡の水に、生かされている自分について。