ある日の姉の日記
「だから、ちょっと水をみてみなさいって!」
051528  玉井としみ

 

◯月◯◯日

今日は、弟に海の水の偉大さを教えた。今「ミズ」を受講しているので、最近日常生活の中でふとしたときに水を意識したりする。授業で、水って実はすごかったんだ、と感動させられること数回。誰か、まだ水のすごさを知らない人に、うんちく(と言えた物ではないのはわかっているが)を傾けたい。そんな時、私のターゲットはいつも弟である。

「水ってすごいよね」と弟に話かけたが、高校最後の学祭に向けての劇の準備がどうたらこうたらでパソコンに向かいっぱなしの弟は、私を無視した。が、なおも話しかける。

「水は、無味、無臭、無色透明でありふれたものだとか思ってるでしょ」

うんと答えたらここぞとばかりに否定してやろうと待ち構えた。

「思ってないよ」 当てが外れた。読まれていたか。

「はっは。実は、ありふれたものなんだな」

口からでまかせと言うわけではないが、さあ、ここからどう話を持っていこう。

「だって、全地球上にどれだけ水があると思う?100兆トンだよ。地球の表面積の殆どが海だ。人間の体だって70%は水だ。水に囲まれて生きてるのに、どうして水はありふれてないなんて言えるのさ?」

「ああ、はいはい」 全く私のことはどうでもよさげである。が、私もそんな事は意に介さない。

「まあちょっと聞いてよ。水がありふれた物だからこそ、人は水を無味、無臭ととらえるんじゃないかと思うわけよ。つまり、自分も水でできてるから、水を異物として感知しないようになってるんじゃないかとね」 これは少し前から私が思っていたことである。

「はあ、なるほどね。そうかもね」 そっけないが、聞いてはくれているようだ。

「で、人は水から生まれたから、水に惹かれるんだろうと思うのね。『母なる海』とかよく言うでしょ。生命は海から生まれたってのは知ってるでしょ。じゃ、どう生まれたかは知ってる?」

「どう、って、どういうこと」

「具体的に、どう生まれたか」

「知らない」 やった。優越感を感じた。

「原始の大気を循環させると、無機物から有機化合物ができるっちゅう実験をした人がいるらしいのよ。えっと…」 持っていたミズのファイルから資料を取りだし、ミラーの原始大気再現実験の図を見せてやった。水素ガスと、他に当時存在し得たメタンやアンモニアなどのガスを、図のような装置の中で一周間循環させたら、なんとアミノ酸や糖や、DNAの原料となるアデニンなどが発生したという説明をしたら、弟はかなり興味を示した。

「うおー、やってみたい」 さすがに無理だ。説明を続ける。というか、プリントを読みあげる。

「で、有機化合物ができて、海に溶けた、と。えー、“それらが、火山周辺の岩のくぼみに蓄積し…”」

「あーいい、貸して」 言うが早いか弟はプリントを私から奪った。勝手に目を通して、ひとりで理解している。

「はあ、コアセルベート(原始細胞)ができたと。液泡からできたわけね。有機化合物を包み込んで。ふんふん…。で細胞膜ができて…発酵システムを持つようになって…ATP(エネルギー)つくって…遺伝子ができて、タンパク質を合成するようになったと。そんで、植物と動物に分かれた、と。なるほどね。へえー。面白い」 私は面白くない。が、気を取り直す。

「だから、生命の始まりは、海の泡つぶだったわけよ。なんだかすごくない?そんなとこから始まってたんだって気がしない?」 弟はうなずく。

「実際、海の成分と人間の成分はめっちゃ似てるんだって。ほら」 成分表を見せた。炭素、カルシウム、塩素、ナトリウム、マグネシウム……。ほとんど同じだ。確かに、人間も海から生まれたのだろう。

「こんなにいっぱいの物質が海に溶けてるのかとお姉ちゃんは思ったね。そしたら、なんと92種類全ての元素が溶けてるらしいよ」

「水はなんでも溶かすからね」 それは私が言おうと思っていたのに。と思いつつ、付け加える。

「そう。水を永久に留め置ける容器は存在しないんだよ」

「そういうことになるね」 そういった弟は、何となく新鮮な気持ちで納得している様だった。よしよし。今日はもう満足だ。何よりこれ以上続けると、弟の方が知識をひけらかしてくるかもしれない。はっきり言って弟の方が物知りではあるし。

 

◯月◯◯日

 今日、図書館で、ミズのレポート資料になるかと思って借りてきた「流れの科学」という本を読んだ。数学的なところはとばしとばしで読んだが、面白かった。特に、カルマン渦の実験が!授業でカルマン渦についてのビデオを見て以来、ずっと興味を持っていたのだ。一見混沌に見える水の流れに、実は秩序があったとは。しかもあんなに綺麗な形になるなんて。縄文人が土器に渦を描きたくなった気持ちも分かる。そして岡本太郎さんの展覧会を以前見に行った時、「ああ、いいな」と思ったのは、気まぐれでなく、カルマン渦つながりだったのだ。

そんなわけで、本に書いてあったカルマン渦の実験を試みることにした。牛乳パックに、墨汁に、割り箸。なんともお手軽だ。横に開けたパックに水を溜め、墨汁をごく少量水面につけてから、割り箸を水に入れてゆっくり水平方向に動かす。おお、おお、おお、おお!カルマン渦ができた!

「ちょっと来てみー!!!」 即、二階の弟を台所に呼びつけた。興奮した私の声にタダならぬものを感じたのか、弟は階段を落ちる様に下りて来た。その間に私は水を捨て、もう一度新しくセッッティングする。

「何?」 私の様子を見て、非常事態ではなかったらしいと判断した弟は不機嫌そうに答える。

「ちょっと、ちょっと見ててみ」 そう言って私は割り箸をさっきの様に動かした。牛乳パックの容器の中、割り箸の後には、小さな墨汁の渦が右、左、右、左と規則正しく生まれてゆく。

「おおおおおー」 弟も歓声をあげる。やらしてやらしてというので、割り箸を渡した。

弟はそっと割り箸を水につけ、すっと動かした。渦は、不規則に乱れた。

「箸を動かすのが早過ぎるんだよ。もっとゆっくり」

今度は綺麗な規則正しい渦巻き模様になった。さっきと比べて、渦が大きかった。

「おおー」 二人して歓声をあげた。

「カルマン渦。カルマン渦。きれいでしょ?」 

「これは割り箸の早さによってできたりできなかったりするわけ?」

「そう。あと、割り箸の太さと、水の粘度によって、できたりできなかったり、渦の大きさが違ったり。気象衛星とかの雲の写真にも、カルマン渦は映ってたりするんだってよ」 

へぇーと弟はパックを見つめる。そういえば…といった感じだ。

「縄文人は、これを見て、土器に渦巻き模様を刻んだんだってよ」 ほぉーと弟。

きれいだよねぇ、と言うと、弟は素直に同意する。

「普段は気にも止めないけど、水って、実はずっと見てても飽きないよね。私の崇拝するレオナルド・ダ・ヴィンチ様も、水のスケッチを残してるし」

「ああ、近代になって観測された水の動きと照らし合わせたら、驚くほど正確に水の動きを捉えてた、ってやつね。ダ・ヴィンチは天才だからね」 弟は箸で水をかき回している。

「天才じゃなくても、人は水に惹かれると思うよ。ちょっと待ってて」 実は、もう一冊、一緒に借りてきた本があったのだ。正確に言うと、絵本だ。タイトルは、「水」。カバンから取り出して、弟と一緒に見た。中表紙は、何をかくそうダ・ヴィンチの水のスケッチだった。水をテーマにした古今東西の画家の作品。ターナー、北斎、モネ、広重、ゴッホ…。『この本の中の作品に、似たものはありません。しかし、これらの絵を描いた画家たちはみな、水について何らかの考えをもっていました。そしてその考えをわたしたちに伝えるのに「絵を描く」というすばらしい方法を使ったのです。水はだれをもひきつける力をもっています。……』『自然が美しいこと、水が美しいことこそ、ほんとうに「芸術的」なことです。……水辺で遊ぶことや、海岸を美しく保とうとすることなども、今日では「芸術的行為」とみなされるようになりつつある、そのことをつけくわえたいと思います。』

私が弟に言いたかったことが全て代弁されているような気がした。

「ふーん」 半ば感心し、半ば興味を失ったような声と共に弟は絵本を閉じた。美術関係になると目が輝いてくるのは専ら私で、弟は正反対の理系人間である。弟が2階へ上がってまたコンピューターを相手にしだす前に、私は言った。

「水がテーマの音楽も、数えきれないくらいあるんだよ」

「ふーん」 

「テーマとまでは行かなくても、水がタイトルや歌詞に使われてる曲って、考えてみると多くない?雨とか川とか、涙とか血とかまで入れると、使われてない曲を探す方が難しいんじゃないかね?」 そう言うと、弟は当たり前ダといわんばかりの顔で、

「そりゃあ、ね…そうでしょうね」と言った。

「だから、それだけ私らは水に囲まれて生きてるってことでしょ?水の中で生きてるって言っても良いんじゃないかね?この……」 私は、再び「流れの科学」という本を取り上げた。

「…この本の中にでてきたんだけどさ、『地球流体』っていう概念があるんだって」

「何それ」 弟の興味が戻ってきた様だった。やっぱり理数系か。

「地球の内も外も、マントルも大気も海洋も、流体は全て共通の条件のもとに流れている、って考え方らしいよ。だから、自然界に生じるあらゆる流れの性質は、理論的には統一できるんだと。ってことは、水を知れば地球が分かるってことも言えなくはないよね?」

「そうなんじゃない。うん。へぇ…ちょっとその本貸して」というと、弟は私の返事も聞かずに本を手に取り、ぱらぱらとページをめくりだし、そのまま回れ右をして階段を上がっていってしまった。とことん理系なやつめ。今度は水の「美しさ」を絶対に分からせてやる、と思った。

その夜、私は風呂でもう一度カルマン渦を作っていた。指ですーっと線をひいてみるのだが、やはり墨汁でも垂らさないことには渦が見えない。しかし、じーっと注意深く見ると、くるくると渦が指から左右に散って行くのがかすかに分かる。透明な水の観察。レオナルド・ダ・ヴィンチのすごさを再確認した。

 

参考文献

 

 

添付資料

 


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