西暦2050年、世界の水資源とその権利は慢性的な財政不足に悩んでいた諸国家から、巨大な資本とネットワークを持つ一握りの企業たちによって買 収、管理、および住民に分配、販売されていた。
水 ――― それはたしかに無味、無臭、無色透明で、人間の生活に必要であるが地球上のどこにでもある物質であった。そのため水を地 球上におけるその他の物資資源、家畜、野菜、魚介類、材木や化石燃料など、と同一とみなし、おりからの国家の財政不足、行政改革への過度の要求、そして民 間に任せるのが最も効率がよいとする市場経済主義の声の高まりによって、地球上の「水」の管理権も幾つかの国際資本の手中に収められ、市民に供給されるよ うになった。それによって多くの人間が、効率的に、よりおいしく、より安全に、そしてより身近に水を消費できるはずであった。
しかし、実際の結果状況は惨憺たるものであった。まず、取水権を持つ民間企業間で国際的な競争が起こり、ここN国ではさまざまな国々からの水が輸 入され、いままで見たことの無かったボトルドウォーターが店に並び、家庭でも蛇口からでる水を、欧州原産の硬水や、アマゾンの水、カナダの雪解け水など、 自由安全に、かつ以前より安く選べるようになっていた。その結果、人々の水に対する尊重心は全く崩壊し、自国の、自分たちの生活によって汚染された水を 嫌って、世界中からの水をそれこそ湯水のようにむやみやたらに使いたおし、国民一人当たりの水の消費量は過去最高を記録し続け、そしてその水に関連する経 済活動も活発なものになっていった。けれどもそれはこのN国のような豊かな消費国における話であって、一方の、水を採取される側の国や、世界全体の水消費 においては全く好ましい話ではなかった。
K国のある湖のある町、そこでは世界中に輸出される雪解け水の加工工場が立ち並んでいた。その湖の雪解け水を、水不足に悩むT国に輸出しようとあ る企業家が思いつき、州から湖の取水権を買い取ったのが1996年。その後50年余りで状況は一変した。最初の数年間は、輸出事業も好調で、地元において も雇用や税収増加を生み出すなど、まさにバラ色であった。しかし次第に同じような水資源事業が世界中で勃興し始め、競争が激しくなり、また市場がひろがる ことで、更なる価格低下や過度の摂取をせざるをえなくなった。そしてちょうどそのあたりから、採水地のある地元ではさまざまな異変が起き始めていた。まず そこの湖で取れていた魚介類の質が下がり、またそもそもほとんど取れなくなってきたのである。そこで漁業を本職としてきた地元漁師は廃業を余儀なくされ、 そのうえ、近隣の果実園や農場においても作物の成長や品質が著しく落ち売り物にならなく、商売にならないどころか、地元住民がそこでの生活自体に不気味さ を覚えるようになったのである。これは「余っている水を売るなら問題ない」としてきた州政府や企業側の甘い見通しの結果であった。「あまっている」といっ てもその水の中ですら不断の生態系が形作られているのであり、またその湖自体が、周辺地域の人間の諸活動を含めた全生態系のかなめであることからすれば、 誰にもそこで「余っている水」などというものを判断し、作り出すことなど不可能であったからである。水は「注目すべき特徴もない、この地球上のどこにでも ある最もありふれた物質」などではなく、生態系の基礎を司る、地球上で最も尊重されるべき物質であったのである。
そのような異変の後、地域環境はさらに悪化の一途をたどり、そしてその環境悪化は地域の枠を超えて、国全体、そして大陸全体にも広がりを見せて いった。取水国内では、これ以上の環境悪化を防ぐための節水政策として、あらゆる生活に必要である水の値段が上昇し、およそ人間に身近な存在ではなくなっ てしまった。それでもやはり、取水は続けられていったのである。なぜなら、もはやその国にはほかの漁業、農業などの諸産業は全く成り立たず、水貿易をする ことによってしか、主に外貨を獲得する方法がなくなってしまったから、そしてなにより、そういった背景を無視して、高い値段でも水を買う国があったからで ある。
そう、水は人間と人間の生活に密着した物質から、贅沢な嗜好品へと次第に変わっていったのである。世界中の自然から採取された、きれいで、安全 で、おいしい上質な水は、豊かな国々の間だけで取引され、それらの国々の生活排水や工場廃水としてだされた、汚くて、臭く、まずい水は、上質な水を買うこ とのできない途上国にまわされるという、世界の水消費の二極化が進んでいったのである。このような状況で、水をめぐる争いが人口の急増している途上国を中 心に世界中で後を絶たず、世界中の重大関心事となっていった。そしてそんな間にも、後先考えない、場当たり的な水使用による生活排水や、行き過ぎた自然か らの取水は止まらず、それらによる地下水資源の枯渇、環境汚染や環境悪化が進み、地球上の全生態系の崩壊が始まっていくのであった。
この50年後の水と人間の関係の未来を予測は、いま現在起こっている水に関する(好ましくない)動きを多少誇張して予測してみた物です。水とい う、非常に大事だけれども、「地球上のどこにでもある最もありふれた物質」は、しばしば日々の生活においてその重要性を見落としてしまいがちです。しかし 水は人間にとってだけでなく、地球上の生命が生きて行くうえで無くてはならない必須なものであり、無くなってからその重要性に気づくのでは遅いのです。そ れを防ぐために普段の生活の中から、自分たちができることをしていくのは重要なのですが、実際に実行するのはなかなか難しく、スローガン止まりで終わって しまうこともよくあると思います。実行されなくては意味が無いので、そうならないためにも、人間と水との関わりを今回のように極端な例でも良いから意識 し、もうすこし水との関係が身近になれば、水に対する上の高校生のような無知な態度も取れなくなって、無理なく水と生命とのいい関係が続けられるのではな いでしょうか。
参考資料
「世界の水不足」 社団法人国際建設技術協会 http://www.idi.or.jp/vision/wwv-02.htm
「The 3rd World Water Forum」 http://www.worldwaterforum.org/jpn/wwf02.html
「水不足が世界を脅かす」 サンドラ・ポステル World Watch Japan http://www.worldwatch-japan.org/publication/mizu/mizu.html