水と身体、特に舌と皮膚の感覚について
051600 山口京一郎

 

  まったくどうしてだか見当がつかないのだが、母校の高校で夏休みに行われる講演会(というのも大袈裟だが、卒業生が軽く勉強などについて話す会)に駆り出されるはめになってしまった。さてさて、いったい何を話そうか。

 

 

突然だが今日のテーマはズバリ「水」だ。いきなり水の話だなんて、少しわくわくしている人もいるかもしれないけれど、「退屈だな。寝るか」と考えた奴も多いのではないかな? ともあれ、僕としても今から小一時間ほど話さなくてはならないわけで、もちろん君たちに無駄な時間を使わせるつもりも無いから、それなりに実になることを喋ろうかなと思っている。さぁ、さっそく始めようか。

 まず、なんで水を題材にしたのかを話しておかなければならないね。この夏休みの何回かのイベントで君たちはいろいろと面白い事をする予定になっているのだけれど、より広い分野に手を出す前に、君たちにとって非常に身近なもの、もっとも、このあとで随分と途方も無く広がる分野だとわかるかも知れないが、について考えてもらいたいからだ。君たちは水というものは一体全体どんなものだと思っているかな? どこにでもある? 無色透明? 確かにそんな風に言えないこともない。でも、それだけで片付けるにはちょっと興味深すぎる物質だって事を今日は話したいわけさ。

 実は水ってのはとても特殊な物質なんだ。その性質をみていくと、あまりの特殊さに驚愕する。でも、そんな話は最後の方で少し触れるだけにしよう。それよりも、なんら専門知識なしに身近な水について想像するだけでどんなに楽しいかってことを追っていきたい。では、本題に入ろう。

 

 では、まずは君たちの体にとって水がどんな事をしているかを考えてみよう。例えば今は夏休みの真っ最中でとても暑いね。だから汗をかいてのどが渇く。人間の体ってのは7割くらいが水分だってのは聞いた事があると思うけど、その水分のうち2%が失われただけで脱水症状に陥るんだ。もしもこの暑さの中でスポーツをしたとしよう。例えばバレーボールをするだけで、君たちの体は3リットル、多いときは5リットルも汗をかく。これはあくまで極端な概算だけど、体重が60kだとしたらそのうち水分は42kつまり42lなわけで、5lも汗をかいたら失われた水分は12%だ。死んでしまうね。

さて、そんなにのどが渇いたときに君たちはどうするかな? 水を飲む? そのとおり。でも、一気にがぶ飲みするのは間違ったやり方だ。なぜなら吸収可能な量を超えて摂取された水はすぐに体外へ排出されてしまうからだ。ほら、がぶ飲みした後って汗が滝のように出てくるでしょ。確かに蝶が水を排出しながら飲みつづけるように、体を冷やす効果はあるかも知れない。でも、体の渇きを癒す役には立たないわけだね。そればかりか、内臓に負担がかかって体調を崩してしまう事さえあるんだ。正しい水の飲み方はコップ一杯程度を何回にも分けて飲む事だ。それも、冷たすぎない水の方がいい。あまりに冷たい水だと内臓がびっくりして血管が収縮し、働きが鈍ってしまうからだ。

 そういうわけだから、今後はこのイベントに飲み物を持参するのを許可しよう。しかもできればただの水がいいね。少なくとも糖分の入ってないものにした方がいい。なぜか? ペットボトル症候群というのを聞いたことがあるだろうか。ともあれ簡単に説明しよう。大部分の清涼飲料水にはかなり大量の糖分が含まれているんだ。当然だね、あんなに甘いんだから。ちなみに、ここで言う清涼飲料水は、食品衛生法上の定義に従う。つまり、スポーツドリンクなども含む広い意味での清涼飲料水だ。もしも水分が不足しているときに糖分を多く含んだ清涼飲料水をがぶ飲みするとどうなるか? まず、血糖値が急激に上がる。すると、血糖値を下げようとして体が水分を要求する。つまり、のどが渇くんだ。ここでさらに清涼飲料水を飲むと血糖値はいっそう上がる。悪循環だね。こうなるともう手元にジュースがないと生きていけなくなる。かくして糖尿病状態に陥るわけだ。こんなに極端ではなくとも、あまりしょっちゅう糖分を多く含む飲料を飲んでいると糖尿病になりやすくなる。だから、持ってくるのは水やお茶にしよう。

 

 ところで、純粋な水というものは確かにH2Oだけで構成されている。でも、僕らが普段口にする水は不純物でいっぱいだ。この不純物が水の「味」をつくっているわけだ。水道の水がまずいというのもこのためだね。もっとも、僕は水道水の味も好きだけど。さて、さっきから気になっていたかも知れないが、ここに色々な水を用意してみた。それぞれがどんなものかみんな自身で違いを確かめてみようか。

 まず、一番端にある濁った水は匂いだけでも何となくどこのものかわかるね。そう、近所の佐鳴湖のものだ。これはちょっと飲むわけにはいかないな。それでは横に置いてある二つはどうだろう。見た目には違いはないね。では、ちょっと飲み比べてみよう。大丈夫、どちらも飲用水だから。…どうだい? そう、右が水道水で左がスーパーで売ってる「六甲のおいしい水」だ。たしかにこの二つは味の違いがある。どんな風に違うかな? 水道水の方が臭い? 確かにそうだね。味はどうだろう。水道水の方がまずい? なるほど、ではミネラルウォーターの方はおいしいのかな? 少し自分の舌に神経質になってみようか。果たして「味」を感じられるかな? …もう少し注意深く、結論を出すのはまだいい。…さぁ、どんな「味」がしたか言えるかい? 「味はない」と言っては大袈裟かも知れない。でも、明確に「こんな味」と言うのも難しいね。けれど、どうだろう、なんとなくぼんやりとまろやかな滑らかな感触を舌にかんじるだろう。そう。それが今君に感じられる「水の味」だ。いつもは意識したことなかったんじゃないかな? こうして舌に意識を集中させることでいつもよりも味に敏感になれる。これはとっても大事なことなんだ。

 それじゃあ、次にこの水を飲んでみようか。これが「ティナント」だ。きれいなボトルに入っているだろ。この青いガラスのボトルはヨーロッパのガラスデザイン賞をもらってるんだよ。普通に売ってるミネラルウォーターは2lで¥200前後。でもこいつは700mlで¥600以上するんだ。さぁ、飲んでみて。「六甲のおいしい水」と比べてどうだい? ずっとおいしい? なるほど。そうだよなぁ。おいしいよ。僕もウィスキーを割る時はいつもこの水を使ってるんだ。では、ここでちょっとゲームをしよう。僕が片方のコップに「六甲のおいしい水」を、もう片方に「ティナント」をいれてシャッフルする。君達はそれを飲み比べてどちらがどちらかあててごらん。さっきみたいに舌に集中するんだ。やってみよう。…どうだい? わかる? わからない? 君は? こっちだと思う? 君はあっちだと思うか。…さて、正解はこっちが「ティナント」だ。正解は4分の1くらいかな。中には運良く正解しただけの人もいるかも知れない。でも、本当にどちらが「ティナント」かわかった人は自分の舌を誇っていいぞ。皆、意外に違いがわからなかっただろ。別に恥じることはない。さっきの訓練で皆の舌はいつもより敏感になってたはずなんだ。それでもわからないのが普通さ。もっとも、これからは舌の感覚をもっと鍛えてほしいけどね。さて、なぜこんなに二つはそっくりの味なのか? 実は二つの成分は良く似ているんだ。普通ヨーロッパの水はミネラルを多く含む硬水なんだけど、「ティナント」はミネラルが少な目で日本の軟水に近いんだ。だから二つの味はとても良く似ている。ただ、「ティナント」の含有ミネラルはバランスが絶妙なんだ。だから違いのわかる人にはおいしいのがはっきりわかるね。

 あれ? ではどうして最初は「ティナント」が抜群においしく感じたんだろう。それは想像力の賜物さ。君達はこの水が普通よりもずっと高価なことを知っていた。だからおいしいに違いないと想像して、実際にそういう風に感じたんだね。この想像力ってのも大事な力だ。自分の想像力がどれほどのものか、自分で知っているのとそうでないのとではかなり違う。今回は、自分の想像力の大きさを実感したんじゃないかな?

 ともあれ、最期の一杯も試すとしよう。こちらは「コントレックス」。けっこう慣れない味だから慎重に飲んでみて。…どうだい? まずいって? うん。きっと初めての味だからね。ともあれ、少し我慢してさっきみたいに舌で分析してみよう。舌がしこしこする? なんか刺激があるみたい? 渋いのに似てる感じ? そう。それが僕らが「重い」と呼んでいる味だ。実はこの水はヨーロッパでも最強と言っていいほどの超硬水。この味は、含まれる大量のミネラルのせいだ。なんと日本のミネラルウォーターの20倍のミネラルが入ってるのさ。そしてそのミネラルはやっぱり皆が不純物と呼ぶものなんだ。この不純物があるおかげで水はおいしい味を手に入れているわけだね。

 

 さて、ここで少し休憩をかねて想像力の羽を伸ばしてみよう。まずはこの写真(図1)を見てごらん。これは炭化珪素の原子の写真だ。さぁ、こいつを参考にして想像してみよう、君の指先が水に浸かっている場面を。なるほど指が水に浸かっている。…それだけかね? もっと近づいてみよう。だんだん皮膚の表面が鮮明になってきた。では、さっきの写真を思い出しながらもっと近づいて。水と皮膚の接点がミクロの世界でどうなっているか。まだ滑らかだ。あれ? そういえば皮膚の細胞内の水と外の水との違いが、境界が、どうなってたのか? そういえば細胞って水が満ちてるんだな。もしもこれが凍ったら…。凍傷になるわけだ。…もっと近づいて。だんだん何かの形が見えてくる。分子だ。原子だ。水、いやH2Oのぶつぶつと皮膚を構成するぶつぶつとが……。ひぃっ。…と、なにか吸い込まれそうな気分にならなかったかい? ちょっと心臓がどきどきしてるだろ? これが、想像力だ。

 

 休憩終り。さて続き、としたいところだけど、なんだかそろそろ時間みたいだ。仕方がないからしめに入るとしよう。

さっきは水と不純物の話をしたね。では、不純物を含まない水とはどのようなものか? それについて話し始めると、水がどんなに異常な物質かっていう話に繋がるんだ。この不純物を含まない水、超純水ってやつは恐ろしい力を持っている。物を溶かす力が桁外れに強力なんだ。それに、実は電気も通さない。変な話だろう? 電気が流れるのは不純物があるからなんだよ。でも、本当は超純水が水のありのままの姿なんだ。他にも、ほら、水は凍らせると、つまり固体にすると、水、つまり液体に浮くだろう? 実はこんな物質水しかないんだ。だって固体になるってことはそれだけ分子の運動が少なくなって狭い範囲でくっついてるってことなんだから。普通は密度が増すから重くなって、沈むんだよ。でも、水も圧力をかけて固めると、その時はちゃんと沈むんだ。ほかにも、水には粘り気があるとか、狭いところだと凍る温度、つまり融点が下がるとか、いろいろ専門的で面白い話がある。

 でも、今日のところは君達の肉体感覚の中で水を感じてもらうことで、水って一体何だったのかを感覚的に捉え直してもらっただけで十分だ。さぁ、のこりは次回ということで。また明日。

水。
流れるもの。とどまるもの。
非力に見えて、何よりも力があるもの。
水の中に潜ると、きっと見えない物が見つかる。

 

≪図1≫

    

 

参考資料

 


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