奇跡の産物
041784  吉岡澄麗

 

 「水」という漢字とそれに関連する漢字も思い浮かべてみてください。皆さんもよく見慣れている「さんずい」や「したみず」のついた漢字のことです。漢字の「漢」もそうですし、他にも「派、洋、酒、浸、深、消、渋、温、、、」と日常茶飯事に見かける漢字が多くあります。あなた達の中にも水に関連した漢字を名前に含んでいる人は沢山いるのではないですか。それでは、水がなくなってしまい、その結果水に関連する漢字も全てなくなってしまったと仮定してみてください。何か文章を書くとき、何かを読むとき、とても不自由に感じるのではないでしょうか。言語というものはその言葉を使う人々の生活や文化を反映するものです。現在漢和辞典に載っている「水部」の漢字は多岐に渡り400字近くにもなります。また、ことわざや慣用句にも「水」はよく使われています。こうしてみると、「水」は昔から日本人の生活の中で欠かせないものとして君臨していたことが分かります。

 「欠かせないもの」というのは実際あまりにも身近にあるのでなかなかその重要性を認識されにくいものです。特に日本は島国で海に囲まれていますし、今は科学技術も進んでいるので蛇口をひねればすぐに水が出てきます。その為に水を「ありふれていて」、「特に注目すべき特徴もない」物質として認識してしまいがちなのかもしれません。けれども、逆に考えて見ると、水ほど私達の生活に浸透していてあらゆるところに存在する液体は他にありません。そのこと自体、水が「特別」だということを証明しているように思います。つまり、その私達の生活に「ありふれて」いるところが、まさに水の持つ驚異的な「特徴」の結果によるものなのです。

 水はいくつかの「他の物質とは異なる」性質を持っています。例えば、アメンボが水面上をスイスイと歩くことが出来るのは何故だと思いますか。10m近くもある高い木が地面から栄養や水分を得ることが出来るのは何故でしょうか。それは水の持つ表面張力が非常に大きい為です。この性質なくして木々は育つことがなく、自然構造に大きな支障が出ていたことでしょう。

 また、皆さんが唸るほどの熱を出して寝込んだときに汗をかくと気分が楽になるのは何故でしょうか。真夏の暑い日、木陰に入ると涼しくて気持ちがいいのはどうしてでしょうか。それは水が蒸発しにくい物質だからです。つまり、蒸発するときには沢山の熱を奪うということです。これによって私達の体温は調整されています。それから太陽の熱が照りつけているにも関わらず一定の温度が保たれるのは、大陸上の水や海が大気に蒸発する際に多大な熱を奪っていくためです。さもなければ私達は干上がるどころか焦げあがってしまうかもしれません。

 水は溶解能力にも優れています。水と何か別の物質を混ぜて溶かすことは皆さんも通常よくしていると思います。この能力は私達生き物にとってはとても大切な特徴です。私達が栄養を吸収できるのは、栄養分を溶かした水ベースの血液や体液が体中をくまなくめぐるからです。私達の体の中で休むことなく行われている化学反応も水があって初めて可能なものばかりなのです。

 地球に生命が存在出来る理由の多くは水によるものです。生命の源となったDNAは海の中で偶然生まれました。その時偶然にDNAが出来なければ、DNAを結果的に創りだした海がなければ、皆さんはここにいなかったということになります。海が地球にあるのも偶然の一致にすぎません。地球の太陽からの距離と重力の程度がちょうどぴったりだった、その結果地球上に水が存在することが可能となっているのです。そしてこの水が異常な性質を持っていたために多くの命が育まれることとなったわけです。

 ここまでで、水が「物理・科学的に特に注目すべき特徴もない」どころかとても興味深く不思議な物質であることが分かっていただけましたか。次に、地球規模で考えた時の水のあり方について考えて見たいと思います。

 水が地球上のどこにでもあるというのは本当でしょうか?アフリカのサハラ砂漠のど真ん中でいくら水を欲しても手に入れることはかなり困難です。また、近くに水道がないので水をわざわざ遠くの川まで汲みにいったり、ほんの少量の水を大切に使って生活している人たちも沢山います。例え、「水が豊富」なイメージがある国でも実際に綺麗な水というのはあまりありません。エジプトはナイル川の印象から水が豊富とされていますが、実際のナイル川は泥色に濁っていますし、水道の水も細菌で溢れています。日本人観光客は水を買って飲みますが、果物や野菜、ジュースといったものは水を多く含んでいる為その経由で病に感染するケースが多く見られます。地元の人たちはそのような濁った川で洗濯したりしています。日本は水道管設備が整っていて蛇口をひねればすぐに水が手に入り、飲むことも出来ますがそれはとても恵まれたケースなのです。ヨーロッパですら水道水を直接飲むことはためらわれます。

 水は無味・無臭・無色透明といったイメージが強いかもしれませんが、世界中を回ってもむしろそういう水を見つけることの方が難しいといえます。超純粋水は自然には存在しません。とても綺麗に済んだ山の水にはミネラルが沢山詰まっていて甘く美味しい味がします。雪解け水でもやや埃っぽい味がします。水道水が飲めるというのに「EVIAN」や「VITTEL」といったボトル・ウォーターが売れるのはなぜだと思いますか。何故なら同じ水でもそちらの方が美味しいからです。本当に無味であるならば「どちらが美味しい」などということは比べられないことです。また、水道水は時には生ごみのような悪臭を持っていることもあります。様々な川を見てみると、大体が鈍く濁っており、透明な済んだ川はなかなか見つけることができません。上流河川くらいなものです。

 水とは母親のような存在ともいえるでしょう。あまりにも身近すぎてその優しさ・尊さには気付かず「当たり前の」存在と感じて特に意識して感謝することもありません。けれども、離れて暮らすこととなったり、その存在を永遠に失った時に初めて母親の存在の意味の大きさや大切さに気付かされるのです。そして日本ではそのように「母親がいつも傍にいる」という日常が当たり前のように思われていますが、アフリカの内戦が続く各地などでは両親を失い、母親の顔すら知らないままに育った子供達があふれています。日本で「ありふれた事実」が世界のどこかでは「あまりない事実」として映るのです。

 水が私達にとって欠かせないものであっても、「ありふれていて」つまらない平凡な物質であるわけではないことを分かっていただけたかと思います。水とは様々な奇跡を生みだしていく地球の産物なのです。

 


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