「日本史における水の位相」

041026 安宅 弘展

授業案

  私は現在、地歴・公民の教職課程を履修中で、六月には高校に教育実習に行かなければならない(本当に)。そこで、命題にあるような高校生に向かって水に関する授業をするとしたら、どのような授業案が可能かを考えてみたい。私の専門は高校の日本史なので、ここでは日本史において水がどのような位相に位置してきたかを時代別に概観してみることにする。そして、生徒の水と日本史に関する認識を新たにさせることがこの授業での目的である。

  まず、(1)神話時代・古代、(2)中世・近世、(3)近代・現代と三つの大まかな時代区分をする。ここで神話時代を取り入れたのは何も新しい歴史教科書の流れではない。古代の日本人がどのように自分たちを意味付けていたのか、根拠付けていたのかを、水という視点から神話を例にして考察するためである。そしてそれぞれの時代からは、水の四つの位相、すなわち(1)宗教性(2)経済性(3)軍事性(4)政治性、が浮かび上がってくる。ではさっそく授業に入ろう。

教育実習にて

  …なるほど。みんなが水がありふれたどこにでもある物質だと思っているんだね。では、実は水が日本史の中で決定的に重要な存在だと言えば、どうだろうか?水は日本史の中で、非常に歴史性の高いものなんだ。まだよくわからないよね。じゃあ、時代を追って、水がどのような役割を果たしてきたのか、そしてそれがどのように変化してきたのかを、見ていくことにしよう。

神話時代・古代−水の宗教性

  古代史の時間に習った、「日本書紀」や「古事記」を覚えているかな?それらの成立年代は八世紀初頭、奈良時代だね1。みんなはそこにどんなことが描かれているか知っているかな?日本書紀や古事記は、当時の日本人が日本の誕生からそれまでの歴史を、自分たちの言葉で語ろうと苦心した労作なんだよ。勿論歴史的な事実ではないことも書かれているけど、その当時の日本人が自分たちをどのように捉えていたかを知る上で非常に重要な資料なんだ。そしてそこには、水がとても重要な存在として登場しているんだよ。では、いくつかの神話を例にとってそのことを紹介しよう。

  国生み神話 

   日本神話の中でも有名なのがこの国生み神話だ。これは、イザナキ・イザナミという夫婦の神が、日本列島を生み出すという話なんだけど、実は、ここでは日本は水から生まれたとされているんだ。未だ世界に陸地がなく、水−海に覆われていた時、イザナキ・イザナミは、槍でその水をかき混ぜた。そしてその槍の先端から滴った水滴が海に落ちると、それが最初の島になったというんだ2。これは、おそらく性交と暗示しているのではないかと考えられる。滴る水の雫は精液を、海水は羊水を象徴しているのではないだろうか。つまり、古代の日本人は、生命の根源と水を関連付けて捉えていたわけだ。

  天照の誕生

   神話の中で天皇の祖先とされ、現代でも神道の最高神として祭られている天照大身かも、実は水から生まれたとされているんだ。イザナキが死者の下る黄泉の国から帰り、汚れた体を水で洗ったところ、左眼を洗った水の雫が天照となったと記述されている3。ここでも水は生命の誕生に関わる物質として認識させていることがわかるね。そして、自分の体や精神を清める、神秘的な浄化の力を持った物質としても捉えられていることがわかる。今でも神社に行くと、神主さんが御神体に水を撒いたり供えたりしている風景を見たことがあるよね。また、禊といって、罪で穢れた心身を清める儀式の際にも水を用いている。水は日本史の中で非常に宗教性の高い、畏敬と神秘の存在なんだ。

中世・近世−水の経済性・軍事性

  中世以降になると、水には新たな側面が見られるようになる。中世・近世は日本の各地で都市化が進み、都市間の物資の輸送・交易が盛んになり、日本の諸地域が経済的な関係を深めていった時代だ4。そして、利権抗争や日本の統一への機運が高まり、戦国時代を経て江戸幕府開闢へ向かっていく。そこでも、水は欠くことのできない存在として歴史の中に位置しているんだ。

  商工業の発達と貨幣経済の成立−水の経済性

   中世に入ると、個々の地域の経済的な繋がりが強くなり、問丸や廻船などの運送業者が活躍するなどして、全国の、特に都市が発達するようになったのは覚えているかな?しかし、当時は車や飛行機なんて勿論存在しない時代だ。では、どうやって物資を輸送していたのだろうか。そう、水だ。川や海などは、重要な幹線道路のようなものだったんだよ。陸路に比べて輸送が早く、また一度に大量の物資を運べる水運は、中世の経済変動に欠くことのできない動脈だったと言えるだろう。そしてそれは近世に入るとより整備されていく。東京の都心に、「橋」のつく地名が各地に残っているだろう?新橋・飯田橋・日本橋…今は橋も川もなくなってしまったけれど、江戸時代には、ベネチアのように水運が整備されていて、盛んに取引や輸送が行われていたんだ。このように、日本の中・近世の経済と都市化には、水運は必要不可欠だった。水には経済的な側面もあるんだ。

  戦国の権謀術数−水の軍事性

   しかし、歴史は常に発展に向かう平坦な道を行くわけではない。さっき言った江戸時代の幕開けの前には、戦乱の時代もあったのは、知っているね。みんなは戦国時代の英雄と言えば誰を思い浮かべるかな?「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」とは、戦国の三英雄を詠んだ川柳だけど、この中で最も巧みに水を利用したのが秀吉だったと言えるだろう。その好例は、やはり高松城の水攻めでしょう。戦国大名の中でも最も策略に長けた秀吉は、毛利氏の有する堅城、備中高松城の攻略に苦心していた。そこで正面攻撃のリスクを考慮し、高松城を包囲した秀吉は、何日も続く長雨で増水した水を利用して、高松城の周囲を水で取り囲み、城を完全に孤立させてしまう。この奇策によって兵站を完全に絶たれた高松城は、秀吉に克服し、城を無血占領してしまったんだ。戦国時代の兵器と言えば、鉄砲や騎馬が思い浮かぶけれども、水も兵器として利用されていたんだよ。

近代・現代―水の政治性

 開国・明治維新とそれ以降の急速な時代の変化の中で、日本が近代化を遂げていっ

た過程は、もう勉強したかな?しかし、急速な発展の一方で、日本にはこれまでにな

い様々な問題が生まれたきた。水も、そのひとつなんだ。

  足尾銅山鉱毒事件

    近代化の中で日本で初めて発生した公害問題が、この足尾銅山鉱毒事件だ。足尾は栃木県にある江戸時代から続いた大きな銅山だった。明治以降は、近代化・工業化の中で最新式の西洋製採掘機を導入し、銅の大量生産に乗り出し日本の重工業をリードしていた5。だがその中で、工場から出る鉱毒が渡良瀬川に流入し、住民の健康被害や農作物への影響が深刻化していたんだ。そのことを地元代議士の田中正造が議会で必死に訴え、言論人やマスコミもこれに反応して大きな社会問題となった。政府の曖昧な対応に不満をもった住民はデモを起こしたりしたが聞き入れられず、ついには田中自身が天皇に直訴するという事件にまで発展した。そして最終的には政府が強引に村を廃村にして遊水池を作るという結果となった。日本で最初の環境汚染問題は水からだった。そして水は、生まれたばかりの日本民主主義の試金石とも言える政治的な問題だったんだ。

  60年安保闘争

    1960年、経済復興を終えた日本は高度経済成長への道を進み、新たな時代へと移行しつつあった。その中で、岸信介首相は対米従属的と批判されていた日米安保条約の改正を試みた。しかし、学生や革新勢力が日本全国を巻き込む反対運動を展開したんだ6。みんなの中にはヘルメット被った学生たちが警官隊と衝突する映像を見たことがある人がいるかもしれないね。警官隊の武装の中で、学生封じ込めに最も威力を発揮したのが、放水だったんだ。銃の使用は勿論できないし、警棒などで直接もみあうのは双方にリスクが伴う。そこで活躍したのが放水車だ。強力な圧力で水を放ちデモ隊を押し返す放水車。放たれる水は、運動を圧殺する政治権力の象徴として人々の目に映ったことだろう。

このように、水は日本史のいたるところで存在している。確かにそれは、みんなの言うようにありふれているということなのかもしれない。だけど、どこにでもあるということは、なくてもいい、意味がない、価値がないということでなはい。水は、日本史のなかで非常に重要で、おもしろい役割をしているだろう?日本史において、水は自在にその位相を変えながら、歴史の中をしなやかに流れているんだよ。

 

 

 

 

参考文献・資料

 1、5、6 『詳説日本史』 五味文彦・高梵利彦・鳥海靖編 山川出版社 1998

 2、3 『日本書紀 上』 宇治谷孟著 講談社 1988

 4 『海から見た戦国日本』 村井章介著 筑摩書房 1997

 

 


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