ちいさなさかな

061394 野澤なつみ

 

 あおくしずかなうみの底にいっぴきのちいさなさかながいました。ちいさなさかなは海が大好きでした。だって、海はさかなにいろんなものをくれるから。海が、そして水がなければ自分も、友だちも、みんなみんな死んでしまうことを、ちいさなさかなはよく知っていました。

 

 それでもさかなには知らないことがたくさんありました。この水はいったいなんなのか。いったいどこからきたのか。そして、どこへいくのか。どうしてじぶんたちさかなはここにいるのか。さかなはいつもふしぎにおもっていました。

 

 あるとき、さかなはじぶんよりふたまわりもおおきいさかなに出会いました。それはタビウオでした。タビウオは世界中の海を旅してまわるさかなです。たった一人で旅をして、いくつもの海をまわるのです。ひとつの場所からまた別の場所へ。タビウオは気ままな旅人でした。そしてタビウオは世界中のいろんな海のことを知っていました。

 

 ある日、ちいさなさかなはタビウオにきいてみました。「水ってなあに?」タビウオは一瞬、びっくりして、そのあとちょっと困ったような顔になりました。それは、タビウオが水について知らないからではありません。むしろ、彼は水というものについてよく知っていました。しかしだからこそタビウオは、水とはなにか、説明するのが難しいこともよく知っていたのです。

 

 「うーん、」とうなってからタビウオはなしはじめました。「水っていうのはね、ちょっとするとありふれているけれど、その実、非常にふしぎなものなんだ。」「どうして?」ちいさなさかなはたずねます。「うん、水のふしぎははね、まず、水の個体である氷のほうが液体の水より密度が大きい、ということなんだ。そのせいで、氷が水に浮くんだよ。北のほうの海に行ったことがあるかい?あそこでは氷が水に浮いているだろう?あれは本当にふしぎなことなんだよ。だってほかの物質、たとえば陸地にあるベンゼンやロウ、それにぼくが好きなアルコールにだってそんなことはおこらないからね。実際にはね、水の最密充てん、つまり、おなじ大きさの球を詰めたときの最大値は、水が12であるのに対し、氷はわずかに4なんだ。また、充てん率は水が73%であるのに対して、氷の充てん率は30%たらずなんだ。つまり、氷の70%はすきまなんだね。だから氷は水に浮くんだよ。」

 

 「それからね、水は4℃でもっとも体積が小さくなり、重くなる、というふしぎな性質をもっているんだよ。水は4℃になると重くなって底の方へ沈んでしまう。だから、0℃になって表面の水が凍っても、底のほうは凍らずに、ぼくたちは生活できるんだ。考えてもごらんよ、もし氷が水に浮ばなかったら、4℃で水が底のほうへ沈まなかったら。」「みんな、こおっちゃうの?」ちいさなさかなはおそるおそるいいました。「そう、誰もいなくなってしまうんだ。」

 

 「いなくなるの・・・。」ちいさなさかなは少しこわくなってつぶやきました。ちいさな泡がこぽ、こぽぽ・・・と上の方へあがりました。タビウオはしばらくだまっていましたが、やがて「そしてね、」とくちをひらきました。

 

 「そしてね、水は本当にぼくたちの生活を支えているものなんだよ。ぼくたち生物がどこからきたのか、どうやって生きているのか、その答えも全部水がもっているんだから。」「・・・水が?」ちいさなさかなはおどろきました。ずっと知りたいとおもっていたことの答えが、こんなちかくに見つけられるかも知れないからでした。

 

 タビウオはいいました。「そう、水だよ。生物はね、水の中で生まれたんだよ。」

 

 タビウオはつづけます。「もともと、原始の海は今と違ってつよい酸性だったんだ。そのため、地表からナトリウムやカリウム、アルミニウム、鉄などが溶けこんで中性になり、つづいて大気中の二酸化炭素がとけた。これは、現在ぼくらが暮らす海に近い状態だね。この頃から水はそのなかに大量の成分を溶かしこむことができたんだ。そしてこの海の中で最初の原始生命体が生まれた。でもそこにはまだ酸素がなかったんだ。だから、どうやら彼らは発酵によってエネルギーを得ていたようだよ。やがて、光合成によって酸素を出す生命、ラン藻が出現する。これは画期的なことだった!それは、ラン藻の出現によって地球の環境が一気に変わってしまったからだよ。というのも、せっかく生まれた単純な生命体は酸素になれていなかった。なれていないというより、猛毒だったんだよ。」「それで、その、微生物たちはどうなったの?」「みんな死んでしまった。」ちいさなさかなはなんだか無性にかなしくなりました。だって、なんにもないところから、ようやくちいさな命がうまれたのに。

 

 「でもね、水の中にはあたらしい生命が誕生するんだ。」タビウオはいいました。「これによって生物の進化は爆発的にすすむんだよ。それは、呼吸によってエネルギーを獲得するほうが、以前のように発酵で得るよりもはるかに効率がよく、成長も繁殖もはやいから。生物が海から発生した、そのなごりはいまでもぼくたちの体のなかにあるんだ。たとえば、生物細胞に含まれる無機質の種類と量は海水のそれと一致しているし、生物の身体は未だに、60%〜70%が水分なんだもの。そしてこの原始の海からDNAも生まれたんだよ。」

 

 「そして、水の役割は生命をつくりだすだけじゃない。生命を支えているのもまた、水なんだよ。」ちいさなさかなはなんだかもう言葉がでませんでした。じぶんがいつも泳いでいる、この海でそんなにふしぎなことが起こっていたのです。こんなに近くにありながら、じぶんの知らないところで、水がそんなはたらきをしていたのです。

 

 「水はね、1つの酸素と2つの水素でできていて、水の分子、つまり一番小さい水はね、こんな形をしているんだ。」タビウオはそう言って、貝がらをつなぎあわせて水の形をつくりました。(資料1)「この酸素1つと水素2つは電子の共有結合によって104.5°という角度で結合しているんだけど、この中の1つの水素はね、別の酸素とも同時に結合しているんだ、水素結合という引力によってね。この104.5°という水分子の結合角はそれだけでとても珍しいんだ。というのも、水素原子二つと別種の原子が結合する他の分子では、普通なら90°が最も安定する角度だからね。そしてこの結合は非常に強い分子間力を生み出す。分子間力っていうのは分子と分子とが引き合う力のことだよ。分子間力が強いために、水は熱しにくく冷めにくいんだよ。それじゃあ、このことは、生物にどんな利点をもたらしているとおもう?」「うんとね、まわりが寒くなってもへいきってこと?」ちいさなさかなが答えると、タビウオはにっこり笑っていいました。「そのとおり。環境の変化に対応できるようになっているんだ。生物はその体のほとんどが水分だからね。」

 

 「それからさっきも言ったように、水は高い溶解能力がある。1リットルの水の中には、なんとその4倍もの物質を溶かしこむことができるんだ。そして、この能力のおかげでぼくたちは栄養を吸収できるんだよ。栄養分は血液に溶けて、全身をくまなくめぐっているのさ。」「血液も養分を溶かすことができるの?」ちいさなさかなはふしぎそうにくびをかしげました。「できるさ!だってね、血液の85%は水なんだもの。」「そうなんだ。」「そうだよ。あの、一見硬そうにみえる骨だって、22%は水なんだ。ぼくたちはまさに、水によって生きているんだよ。」

 

 「それだけじゃない。きみは毛細管現象というものを知っているかい?」「毛細管現象?」ちいさなさかなは眼をくるくるさせました。「そう。細い細い管を水に立てると、重力に逆らって水がその管を上がっていく現象のことだよ。この水の特性のおかげで、血液や体液が体中をくまなくめぐっているんだよ。高い木のてっぺんに栄養を届けるのも、ぼくたちの体の中に栄養を運ぶのも、みんなみんな水がやっているんだよ。」

 

 タビウオの話をきいて、ちいさなさかなはなんだかふしぎな感じがしました。そしてちいさなさかなはかんがえてみました。はるかむかし、光合成が始まったころの海。寒くなってもけっしてすべてはこおらない水。じぶんたちに住む場所を残しておいてくれる海。そしてちいさなじぶんのからだ。この中にも水はめぐって、やがてまたどこかへながれてゆくんだ。そんな小さなことが、いままで考えもしなかったことが、ちいさなさかなを嬉しくさせました。さかなはみんなにありがとうと言いたいきもちでいっぱいでした。

 

 水はみんなつながっていて、みんなをつなげていて、そしてもうだれもひとりぽっちではなかったのです。

 

 

 あおくしずかなうみの底にいっぴきのちいさなさかながいました。ちいさなさかなは海が大好きでした。だって、海はさかなにいろんなものをくれるから。海が、そして水がなければ自分も、友だちも、みんなみんな死んでしまうことを、ちいさなさかなはよく知っていたのです。それはまるで、奇跡のようなことでした。

 

 

 

 

参考資料

 

ライアル・ワトソン 『水の惑星』 河出書房新社 1988

ラザフォード・プラット 『水=命をはぐくむもの』 紀伊国屋書店 1975

奥野良之助 『魚 陸に上がる』 創元社 1989

北野康 『水の科学』 日本放送出版協会 1995

北野康 『水と地球の歴史』 日本放送出版協会 1980

久保田昌治 『新しい水の基礎知識』 オーム社 1993

高橋裕(編集) 『水のはなし』 技報堂出版 1982

多紀保彦 『魚が語る地球の歴史』 技報堂出版 1993

中村運 『生命にとって水とは何か』 講談社 1995

西村三郎 『地球の海と生命』 海鳴社 1981


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