051436 坂本 耕
「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ」と考えている人が多いようです。確かに水は私たちが生活する上で、何の不自由なしに、蛇口をひねれば出てくるし、いくら「水不足だ!」とみんなが騒ぐときがあっても、プールの時間がなくなったりする程度です。私はプールが大嫌いだったので、小学生のころ水不足は大好きでした。
今日はこのありふれた物質である水に関して、経済学的な視点から見ていきたいと思いますが、経済学といっても金儲けのためとか、企業を経営するためにというのではありません。水という目には見えてもあまり正体のわからないものが、一般的にお店で売られている商品とどのようなところが違うのかを見ていくことで、水の大切さ、そして水にまつわる問題が理解できればと思います。
■一般的な価格のつき方
まずはじめに、ものにどうやって値段がつくかについて考えてみます。ハンバーガーやノートパソコンなど、普通にお店で買えるものはどれも、価格がついているのがあたりまえです。例えばマクドナルドではハンバーガーは60円です。60円というのは、供給者であるマクドナルドが、この値段で売れば最低でも元が取れ、多少の利益がでる値段です。この価格はつまり、ハンバーガー1個を作るためにかかるすべてのコスト(材料費、作った人に対して支払われる人件費、お店の設備費、肉を焼くために使った光熱費など)を反映している事になります。
消費者からみたら、この同じ60円という価格は、その製品を買うか買わないかの選択基準になります。もしある人がハンバーガーの自分にとっての価値を60円以上ととらえたら、この人はこれを買いますが、もうおなかがいっぱいで60円を出してハンバーガーを買うことに何の意味をもたせられない場合は、60円を現金で持っていようとするでしょう。
<図1>の赤い線は、ハンバーガーの値段とハンバーガーの売れる数をグラフにしたものです。値段が高ければ当然ほしい人が減るし、値段が安くなればその逆です。これは価格の変動に対しての人々のハンバーガーの需要量を示す線なので、需要曲線と呼びます。
つぎに、ハンバーガーの供給者であるマクドナルドは、商品が高く売れるならより多く生産するでしょうし、あまり高く売れないならたくさん作っても意味がないので生産を減らします。この場合、必ずいえることは、つけられる値段はハンバーガーをひとつ生産するための費用より高いか、少なくとも同じでなくてはいけないということです。これが緑の線で示されていますが、これを供給曲線といいます。供給と需要がちょうどマッチしたところで、ハンバーガーの価格(60円)と量(Q*)がきまるのです。
■水の値段のつき方
さて、普通の商品において、需要と供給がマッチしたところで価格と量がきまるということをみてきましたが、水の場合はどうでしょうか。
水の市場があるとすれば、需要者は私達一般大衆です。そして、供給者は水道局、つまりは(地方)政府です。これはほとんどの国において言える事ですが、なぜハンバーガーは民間企業によって供給されるのに、水はされないのでしょうか?理由は二つほどあります。まず水はハンバーガーなどとちがい、生きていく上で絶対に必要なものであり、企業にその供給を任せておくのは危険だから。そして、企業はそもそも水を供給することで儲けを出す事ができない(しにくい)からです。これがどういうことかということを、もうすこし詳しく見ていきましょう。
私達の社会では、水は大型のダムや貯水池、河川、地下水脈などから得ています。これらのソースから得られた水は殺菌消毒され、成分が飲み水にふさわしいように調整され、長いパイプを通り私達の家まで運ばれてきます。この一連のプロセスを経て、ようやく水が供給されるのですが、水源にしろ処理施設にしろパイプ網にしろ、かなり大規模に整備が必要なものばかりです。これを企業に行わせるのは無理があるし、できたとしても一社の独占になってしまう危険性があります。そこで日本など多くの国ではこれは国が責任をもって管轄しているのです。
私達は水を使うとき、使用量に対して水道代を払っています。市町村によって異なりますが、基本料金+累進的は単位料金というしくみが主流でしょう。<図2>においてこれはP1にあたります。水道代は平均的な家庭で一ヶ月5000円未満ですので、収入に対する比率としてはそう大きくはありません。この比較的「安い」コストを実現しているのが政府による水供給なのです。しかし、よく考えてみれば、水道代によってまかなわれるコストは、水を供給する総コストの一部に過ぎません。なぜなら、ダムや貯水池、そしてパイプ網といった大型インフラには、私達の税金が使われているからです。結局水道に対する支払いはすべて私達がしているのですが、その一部が税金から間接的に行われているために、水に対しては大した額を払っていないという錯覚をもたらしているのです。私達が本当に水に対して払っている価格は水道代+税金の一部ということになります。<図2>でいえば、P2がそれにあたります。(企業が水を供給するようになったら、この総費用が直接水道代として跳ね返ってくるかもしれません) これが、私達が本当の水の価値を見誤る一つの原因といえるでしょう。
■コストはこれだけではない
いままで私たちが考えてきたコストとは、単純に金銭で計れるものばかりでした。税金にしろ水道代にしろそうです。しかし実はこうしたコストは氷山の一角に過ぎません。
私達は水を使うときに、必ずといっていいほどそれを汚した形で(下水などに)戻します。一般の家庭も、企業もそうです。この汚れた水は処理場で無害化されることが多くなったとはいえ、特に一昔前までは河川や海に垂れ流していました。
また、水源を開発するときにダムなどをつくったりしますが、これは水の本来の流れを微妙に狂わせ、思わぬ災害を引き起こしたりします。最近治水対策としてダムをつくるということが見直され、森林の育成など代替的な、自然の力を利用したしくみが考案されているのはこれを裏付けています。
こうして私達は水を使う事で、水のサイクルの上部(水源)と下部(汚水)、また中間においても自然に対して何らかの悪影響を与えているのです。こうした事柄は、金銭でははかれない広い意味での「コスト」であるといえるでしょう。今私達が水の無責任な使い方をすれば、将来必ずその結果が跳ね返ってきます。かつて多摩川は生活廃水・工業排水によって汚され、それを浄化するのに膨大な経費と労力がかかりました。こうしたときに川をよごした「コスト」がはじめて表面化するのです。
金銭で直接評価できないコストを計算するのはとても難しい事です。<図2>の青い線はこうしたコストをも含めた水の総コストを描いていますが、実際にこれを推定するのは不可能に近いでしょう。しかしこの線が物語っているのは、私達が水を使うときに、常になにかしらの環境負荷をあたえているということで、これを忘れてはいけないということです。総コスト曲線と需要曲線の交点からきまるQ3は、通常のQ1よりも少ない値を示しています。総コストを意識できれば、水の消費量も自ずから減るという事が示されています。
■必需品の価格
今まで、水の供給サイドから話を進めてきましたが、次に水の需要に関する特徴を考えていきます。まずはハンバーガーの話にもどりましょう。ハンバーガーははっきり言って必需品ではありません。いくら好きな人でも、価格が上がればそれなりに消費量をおさえるでしょう。例えば今60円で供給されているハンバーガーが明日から、(牛肉不足が原因で)120円で売られるようになったとしましょう。いままでなんとなく安いから買っていた人は、突然買わなくなるので、需要は一気に落ちてしまいます。
水の場合はどうでしょうか。水は食料や衣類以上に私達の生活の根本を支えるもので、人は水無しで三日持たないといわれているほどです。いくら水の値段が上がろうと、人は急にはその消費量を変える事ができません。もちろん出来る範囲で節約はするようになるので、多少需要量も減るでしょうが、洗濯・炊事・シャワーと、なにをするにも必要な水ですので、そこまで切り詰める事はできないのです。
ハンバーガーと水の価格の変化に対する需要の変化を比べたのが図3です。価格がP1からP2へ変化する間、ハンバーガーの需要量はかなり減ってQ1からQhに変化する一方、水はQ1からQwと、少ししか価格の変化に「反応」していません。(このとき水の需要はハンバーガーのそれに比べ、価格の変化に対して非弾力的であるといいます。)
これが意味するところは大きいです。もし仮に政府が水の料金を突然二倍に引き上げたとしましょう。ハンバーガーのケースでは単にその消費をやめて、そのお金を他のものに使えば良かったのですが、水の場合はそうはいかず、そのまま値上げされた金額を支払わなくては行けません。この高い価格を払える人はともかく、最貧困の人々は危機的な状況に陥ってしまうのです。これは今世界規模で起きている問題そのものです。戦乱や乱開発によって水の価格が高騰することがあります。それによってお金をあまり持たない人が極度に苦しむこととなっているのです。これは人事ではなく、将来世界的に水不足が広がったとき、お金を持った人達だけが生き延びるという悲しいことになりかねないのではないでしょうか。
■水と経済
今回こうして水の経済的な特質について説明をしてきましたが、なにか理屈だけのような印象をもたれたかもしれません。しかし、私達のくらす経済のなかで、今後水がどのような位置付けをされていくかを理解するために、以上のことがとても重要なのです。
まずは水の総コストに結びついた話として、WTOが推し進める農作物の自由化についてです。戦後の世界は「民主主義」と「自由主義経済」という二つの言葉がまさに信仰され、自由貿易が双方を豊かにすると考えられてきました。その流れをうけて最近ではアメリカを先頭に、農作物の自由化を世界的に進めようという動きが出てきています。自由貿易が相互利益につながるのは確かです。農作物はすべて輸入し、日本は自動車やカメラに特化すれば、短期においては生産性があがるかもしれません。しかし、このときに問題となるのが先ほど述べた総コストの問題です。田畑を失い、土壌の治水能力・浄水能力が落ちるにつれ、国土は著しく荒廃しはじめるでしょう。こうした長期における「見えないコスト」を考慮に入れず、単に自由貿易を推し進める事は危険な事です。
次に水の価格非弾力性に関連して、水不足について考えます。近年温暖化などによって降水量が不安定になったり、世界人口が劇的に増えていることを背景に、真水の絶対量の不足が生じはじめています。水は石油などの天然資源同様、年を重ねるごとにその希少性を増しているともいえるでしょう。実際シンガポールでは、マレーシアから輸入していた水の値段が近い将来100倍に跳ね上がる事を警戒しています。シンガポール政府は水の完全自給を達成するため、大量の税金をつぎ込み下水のろ過や海水の逆浸透ろ過の技術を急ピッチで開発しています。いずれにせよ、水価格の高騰は一般市民の生活水準に大きく響いてくる事は確かです。
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このように水という一見ありふれた物質は、私達の経済の中で実に特別な性質を持ち、そのために水問題も一般的な問題とは比べられないほど複雑で理解しにくいものとなっています。今回、経済と水の密接な結びつきが少しでも提示できたとすれば、今後私達の経済をどのように運営していく事で水に関する問題を解消していけるかが見えてくると思います。
<<参考文献>>
● Microeconomic Theory _ Basic Principles and Extensions
Walter Nicholson South-Western
● 「素敵な宇宙船地球号 - 命の水を生み出せ シンガポール」
2/23日23時 放送 (テレビ朝日)