<ラテン語を勉強している三人…>
B:…じゃあ、次のセンテンスは…。
A:"'...Aqua vita' est magna..."、「…『生命の水』は偉大なり…」ですね。
'Aqua vita'ってなんですか?
C:知らないんですか?錬金術の過程で蒸留技術が開発された当時、ウイスキーのこ
とをこう呼んだんです。彼らは黄金色に透き通ったアルコールの美しさと旨さを讃え
て、「生命の水」と言ったんですよ。
A:それは粋な発想だねぇ。いかにもラテン系の言いそうなことだ!
B:しかし、この発想は矛盾していますよね。我々人間の体の70%は水分で、10
日間水を飲まないと死んでしまうでしょ。しかも人間だけではなく、あらゆる生物の
生命活動は、水抜きにはありえないことでもある。このような事実を鑑みると、水、
それ自体が生命を支えるものであることは自明のことで、「生命の水」という発想は
ユーモアとしてはともかく、ちょっと傲慢じゃないかな?
C:そうですねぇ。実は先日、GEの「水」で、「高校生に水について語れ」ってい
うファイナルをやったんですよ。
B:なんて書いたの?
C:「水はどこにでもある普通の物質」ではないことを科学的に解説した後、水に対
する、そのような軽薄な態度が環境汚染の原因となりうることを指摘しました。その
上で、"Think Globally, Act Locally"という視点から…
B:ははぁ、如何にもICU生が書きそうな模範的な答えだな。そう言うことは誰に
もできるさ。でもね、「自由は奪われて始めて気付くもの」なんだよ。キミが宣う言
葉に、どれだけ現実感があるのかはビミョーだね。そんなことも分からないキミは、
この問題に対して発言する資格はないよ。ルターのように、「それにもかかわらず」っ
て言えるかい?
C:でも、我々は世界に対して"imaginative"であるべきじゃないですか。自分にとっ
ては今そこにある危機ではなくても、例えば、今アジア・アフリカを中心に慢性的な
水不足に苦しめられている地域があります。南アジアや、西アフリカなど貧しい地域
です。そこでは、爆発的に増える人口に対して、満足な水が供給されないのです。
「水紛争」が実際に起きているのもこういった地域なんですよ。このような事実に対
して、無感覚であることは責任の放棄でこそあれ、責任の発揮だとはとても思えませ
んね。
B:いやいや、そういう話じゃないんだよ。そういう「イマジン」は結構。だけどさ、
水って身近なものでしょ。"Think Locally"っていう発想も必要じゃないの。今の日
本、確かに水はまずくなってるし、異常渇水も増えてきた。これを我々にとってアク
チュアルな問題として、どう捉えればいいのかってことだよね。
C:我々のことを問題にするなら、やっぱり自然への畏敬の念が無くなったのが原因
でしょう。自然との付き合い方を考え直して、…
B:筑紫哲也か、朝日新聞の社説か…
C:は?
B:宮崎駿の「もののけ姫」とか、「風の谷のナウシカ」とか見た?
C:「千と千尋」も見ましたよ。
B:あそこに描かれているテーマはさぁ、一貫して現代文明への痛烈な批判だよね。
だけれども、道具主義的な自然観へのアンチテーゼを提出しようとしているだけじゃ
なくて、自然と人間の共存ってことを問うてるね。その意味で一枚深いと言えると思
う。
ただ、アニミズム的な汎神論にコミットする部分があるよね。そういう意味では、道
具主義的・即物的な文明に対してのアンチテーゼに留まる部分もあると思うんだよね。
C:それの何がいけないの?
B:つまり、『文明の衝突』のような決定的対立の構図なんだよ。一神教の世界があ
り、そこは"Creatio ex nihilo"の世界だから自然は利用するもので、他方には多神
教の世界があり、そこは共存共栄の豊かな世界だっていう価値観ね。でもこれは、分
かりあえない「他者」を無理矢理造り出してしまう仕組みなんだよ。「自然への畏敬
の念が無くなった」だとか、「付き合い方を考え直す」という発想は懐古的かつ決定
論的で、とても自然との共存の手段とはなり得ないってことですよ。
C:でも今の話は、「自然と人間の共存」の方法論として認めないってだけで、その
理念自体は積極的に評価できますよね。だとしたら、我々の課題は、ジンテーゼとし
ての自然論を展開することにあるんじゃないですか。
B:ヘーゲルが泣いて喜ぶね。そう考えてゆくと、「共生する」とはどんなことか?
という問に帰着すると思うんだけど、そこでは、「それぞれの努力が大切」だとか、
「地球の一員だから」という論理が、皆にどれほど説得的に響くかってことを考えな
いといけないな。幾ら"Act Locally"と言っても、「他者」である、他の人々・地域・
国家etcとの連係がないと生きてこないでしょう。
C:そうですね……うーむ。
……確かに、共生の概念をどう規定して、どう他者と共有していくか、というの
は水の問題のみならず、環境問題一般を考える上での大問題だと思います。発展途上
国の人々にとってみれば、産業廃水・生活廃水を垂れ流して、散々水を汚してきた先
進国が、「環境問題」という概念を打ち出したことに違和感は拭えないでしょう。さ
らに言うならば、使える水は有限です。先程も述べたような紛争が起きているのは、
まさに水が「有限な資源」だということの証左です。
B:先進国の都会に住む我々は、一日に一人当たり300リットルもの生活用水を使っ
ているのだそうだ。途上国の生活水準は、紆余曲折はあるだろうが、近代化していく
だろう。そのとき、総量として必要な水がどれほどになるのか、検討もつかないな。
C:「海水の淡水化」によって水の問題を解決しようという向きもあるそうですが、
いかんせんコストもエネルギーもかかりすぎます。それが新たな環境問題を引き起こ
すことは、もはや明白ですしね。
B:そういった技術的なアプローチでは、迷宮に入り込むだけだよ。仮に可能であっ
たとしても、いつかはまた同じ問題をよりタチの悪い形で引き起こすことになるだろ
うね。
C:となると、やはり「共生」の問題を徹底的に考えなければなりませんね。しかし、
こんな大きな問題に答えはあるんですか?何とか早く答えを見つけて、それにそって
世界中で行動を起こさないと、もはや手後れになりますよ。市場主義は当分無くなら
ないでしょうから、途上国も先進国も、廃水を流す「必要」が当分は無くならないで
すよ。それより先に、水や自然環境のほうが無くなるでしょうね。
B:ふむ、Cよ、一つ言っておきたいのは、「共生」の問題に答えはないってことだ。
自然と人間との関係は両義的なものだ。時には助け合う関係にもなるし、時には傷つ
けあう関係でもある。水だって、人間の助けになっている例には枚挙にいとまがない
し、洪水などで人間を襲うことだってある。こういう関係は人間同士だって同じだろ?
ここで始めて、「他者」という概念の必要性が生まれるんだよ。これが「共生」の難
しさと言えるし、逆に可能性とも言える。
C:今までの話から、難しさということはよーくわかるんですけど、可能性って?
B:ここまでを振り返ると、われわれは「個々人の努力」だとか、「地球の一員」だ
というイマジネーションが、どれだけ説得的な射程を持つか、ということに疑問を持っ
た。これが「共生」という問の出発だった。そこで、「他者」との連関性が共生の問
題に関わって来ることを見たわけだ。でだ、「他者」は複数あるってことを確認する
ことで、共生の可能性を見たいって話になるんですよ。
C:ああ、なるほど。「人間と自然」という訳じゃないですもんね。人間と言ったっ
て、色々な区分があり得るし、自然にだってそうですよね。その複雑に絡まった他者
同士がコミットしあうことで、共生ということを主体的に学んでいくってことですか?
B:まあ、そういうこと。「個々」にブッた切られた、今の世の中からは出てこない
発想かも知れない。卑近な例で言えば、他人との連関のない、アパートの一室にこもっ
て誰とも話さず、隣人がどういう人なのかが分からずに過ごしていて、ゴミを分別し
て出そうとするかい?仮にそうしたとしても、それは根拠のない、個々人の倫理観に
まかされることになるんだよ。
C:相手の顔が見えない…
B:それが「共生」にとっても決定的に重要な点だと思う。われわれにすべきなのは、
「水との関係を考え直して、これからちょっとでも改善しましょう」ではなく、水を
相手として認識することなんだよ。確かに、「途上国の水事情が悪い」という事実を
イメージできる人間はいると思う。我々のように、大学にいる人間は特にイメージ出
来なくてはならないとすら思う。だけれど、それだけで共生の問題は語れないし、語っ
てはいけない。
C:具体的には?
B:難しいなぁ。まあ試論的なものを一つ挙げておこう。対人関係と同じ発想でね。
つまり、「他者(ワケの分からない、定義出来ないもの)」としての水と触れあう機
会を出来るだけ設けるってことが必要じゃないかな。子供の頃から。これは教育とし
て成されるべきことだろうね。色々なレベルで。「共生への強制」ってところだ。
それが、道具としてでもなく、抽象的な倫理的議論の対象でもない水の姿を捉える機
会だと思う。水と思い出を作れと。
C:「矯正」ではなくて?
B:自分の掲げる価値は、取り合えず卑下しといたほうがいいんだよ(笑)
もちろん、これ自体も多くの問題を含んでいると思う。ただ、君が答えを焦るように、
思ったよりも残された時間は少なそうだ。そのような状況下では、思いきって試論を
展開したほうがいいと思うんだよね、叩き台でイイからさ。
C:…"Aqua vita est magna"…か。
A:じゃあ話がまとまったみたいですから、取り合えず繰り出して"Aqua Vita"でも
飲みに行きますか!
C:暴れないで下さいよ(笑)