「水が与える試練」

                           041023 浅井 俊貴

 

 あなたがもし水に対して、「水は最もありふれていて、物理、化学的に特に注目するべき特徴もない」と考えているのだとしたら、その考えに対して私は2つの立場から反論することができる。ひとつめは、「自然の科学的基礎」という授業を受け終えた直後の大学生としての立場から、もうひとつは一個人としての見解、「水は私たちに試練を与える」という立場からである。

 「水は地球上にありふれている」と、昔の人は考えていたのかどうかというところからはじめたい。もし水があなたの言うような何の特徴もない物質であるとしたら、なぜ現在にいたるまで非常に多くの人たちが水についてさまざまな研究や、考察をしてきたのであろうか。たとえば古代ギリシャの哲人であったターレスは、万物の根源は水であるといった。彼は、この世の中で水を含まないもはないと主張し、水が折にふれ、機にふれ、姿をかえて、気となり、土となる。そして形作っているが、水であることにはかわりがない、と考えた。確かに私たちの身の回りの物質について考えてみると、水なしで存在しているものは無いように思われる。どんなに水と関係なさそうに見えるものであっても水を使った行程を一度は通っている。また世界四大文明の発生場所がすべて豊富な水が存在した大河周辺であったという事実も見逃すことが出来ない。このように考えると水はありふれているのではなくて、たくさんあるが、それをありふれているとみなすことが出来ない存在であるといえる。

 水には物理、化学的に特に注目するべき特徴もないと考えるあなたは、きちんと他の物質と比較した上でそういっているのであろうか。私たちが普段暮らしている付近の温度、つまり常温付近の温度で固体、液体、気体の三体を見せてくれる物質は1.4%ほどという少ない数なのである。もし水が−100℃になってやっと固体になる物質であったら今の世の中は、南極や北極の水が溶け出して大変なことになっているであろう。水の密度について考えてみると、水が凍ったときの密度は0.92g/cmである。一般に固体の方が液体の密度よりも大きいのである。氷のほうが水の密度よりも小さいため、氷は水に浮く。通常の物質でこのようなことはないのである。そこでもう一度考えてみよう。もし氷が水に浮かぶことがなかったらどのような影響をもたらすであろうか。水は4℃で密度が最大になる。そのおかげで冬でも魚は底の方にある4℃の水の中で寒さに耐えることができる。しかし氷が沈んでしまうと魚は表面に押し出されることになる。結果魚は寒さに耐え切れず死滅することになる。このように見てきたように一見すると水はありふれていて、何の特徴も持ち合わせていないように見えるかもしれないが、実はこの世界を成り立たせているものは水の特異な性格と考えることもできる。

 次に一個人として水の特徴について述べたいと思う。私は水というものが私たちに与えてくれたものが、決して良いものばかりであるとは考えない。水は私たちに生きる源として存在しているが、それと同時に私たちに試練を与える存在として私たちの目の前にあるのである。それというのは、水が常に私たちの生命、暮らしを脅かす存在であるからだ。まだ記憶に新しいと思うが、那珂川の氾濫(資料1)した姿を見ると「水」というものがただ何の特徴もなく存在している、という考えを吹き飛ばしてくれると思うので参考資料としてのせておく。

 

那珂川

那珂川の氾濫 http://www.idi.or.jp/vision/wwv-01.htm

昭和22年9月洪水状況(水府橋付近) 昭和61年8月洪水状況(水府橋付近) 昭和61年8月洪水状況

主な洪水記録

洪水名 降雨規模 被害
昭和57年9月洪水 160mm/2日 浸水家屋   201戸
昭和61年8月洪水 247mm/2日 浸水家屋 3,580戸
平成 3年9月洪水 151mm/2日 浸水家屋   336戸

平成10年8月 那珂川

大量の流木が打ち上げられた大洗海岸(河口右岸) JR水郡線那珂川鉄橋 水戸市三の丸地区(12.0km右岸付近)
水戸市青柳地区 浸水した水戸市田谷町のガソリンスタンド 水戸市水府地区(水戸市民プール前)
水戸市下国井町地区(20.0km左岸付近) 茂木長大瀬地区(53.0km右岸付近)

 

河川の氾濫の前にわれわれ人間はほぼ無力といえるだろう。このような姿を見ると、水は私たちに対して「生きよ」といっていると同時に「生きるな」といっているようにも思われる。水には何か「神」のようなものを感じざるを得ない。

 また、水は人間同士の争いを生み出してしまうことがある。世界的規模で見れば、「自然の科学的基礎」のレポートの中で多くの人が調べていた水紛争がまさにそれである。(資料2)「20世紀は領土紛争の時代だったが、21世紀は水紛争の時代になる」といわれています。 発展途上国の人口増加と生活の向上は、水の需要を爆発的に増大させると予想されています。特に、アジア、中部ユーラシア、中近東、アフリカなどには慢性的な水不足に悩む国々が数多くあり、人口増加に伴って急激な水質の悪化も見られます。

 先進国においても、国際河川をはじめとして上下流で水をめぐる問題が起きており、水量や水質に関して、国際的な取り組みが始まっています。また、洪水はアジアモンスーン地域をはじめとする世界の多くの地域で、尊い人命を奪い、経済活動に大きな打撃を与えています。

 地球上で人間が利用できる淡水には限りがあり、かつ地域的なかたよりのある水の取り合いも懸念されています。また、この水は人間だけのものではありません。自然や生き物にとっても必要なものです(資料2終わり)。水なんか蛇口をひねれば出るじゃないか、などと考えてはいけません。そのような国は先進国や一部の国だけなのです。多くの国の人々は生きるために水を手に入れなければならない状態になっているのです。その結果が水紛争という形になって表れているのです。日本人はもう少し自分の国の水のことだけではなく、他の国の水事情について知っておくべきであると私には思われます。

 次に日本での水に関係する争いを見てみますと、ダムや河口堰の問題が出てきます。資料3には長良川河口堰反対運動の一部を載せています。政府側が長良川河口堰の有用性を持ち上げてきているのに対し、それを論破すべくたくさんのデータを持ち出してきています。実際長良川河口堰だけでなく全国のダム訴訟などを見てみると、生態系を壊してまで水を手に入れる必要があるのかという声をよく聞きます。このような意見は実に日本的である。水は当然のように私たちの周りに存在すると考えられているのです。ダムや河口堰問題の根は、水不足や水害に備え用と考えている政府側と美しい自然や生き物たちを守ろうと考えている住民側との対立であるといえるのではないだろうか。この対立は、お互いが守りたいもの、政府側であれば市民、住民側であれば生態系と違っているので完全な解決には導かれようがない。水が私たちに与える試練は厳しく、簡単には解決できるようなものではない。

 以上見てきたように、水は世界中ありふれた存在であるとはいいようもなく、私たちが生きていく上で最も重要にして、常に私たちに試練を与えてくる存在であるといえる。そのような存在に対して今でもあなたは何の特徴もない存在だ、などといえますか?

 

参考文献

科学のドレミファ・水―この不思議なもの  米山正信著
http://www.kt.moc.go.jp/kyoku.2_now/3_tokimk/7_hanran/15_htchi/stage2/
那珂川の氾濫
http://www.idi.or.jp/vision/wwv-01.htm
世界水紛争の話
http://na.rim.or.jp/モnagaraask/network/network22/net221.html
長良川河口堰の話

 


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