NSIII 自然の化学的基礎 2000年6月21日
水のある偶然とその恩恵
992003 古屋 理恵子
水は私たちにとって、とても身近な存在です。飲んだり、料理に使ったり、トイレを流すためにも使っていたり、それから自然に空から降ってもくるし、川として近くに流れてもいます。最近はミネラルウォーターなどが出回って水に対する価値観も変わってきていますが、それでも水があることに根本的な興味を覚えることはありません。水があることが当たり前であるために、当たり前のことがどんなに大切な働きをしているのか考えることは難しいことです。でも本当は、水があることは奇跡に等しく、そのために受けられる恩恵は計り知れないのです。
水の惑星、奇跡の存在
地球の表面の70%は海です。このように地球は水で満たされていますが、ほかの惑星にも水があるかといえば、実は液体としての水が存在するのは太陽系に地球だけです。その理由は二つあります。一つ目は太陽からの距離です。太陽系には九つの惑星があり、太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星と並んでいます。そして太陽に近い惑星ほど表面温度が高く、水星では330℃、金星では200℃、地球は15℃、火星は−30℃になっています。ここで水の三態変化について思い出してください。水は温度によって氷、水、水蒸気と形を変えますが、水としていられるのは摂氏0℃から100℃の間です。ですから、液体としての水が存在できるのは、地球だけなのです。もう一つの理由は地球の大きさです。地球と同じ距離にあるものにもう一つ、月がありますが、月には水はありません。それは月が地球よりも小さく、重力も1/6のために水分子を自分の周りに引きつけておくことが出来ないからです。月に存在しうる水分子は宇宙空間に散ってしまっています。
このように、太陽からの距離と地球の大きさが、奇跡的に水の存在を可能にしているのです。太陽は太陽系の中心ではありますが、宇宙の中心ではありません。だからもし太陽系と同じようなものが他にも存在していて、上の二つの条件を満たす惑星があるなら、地球のほかに水と生き物を育む星があるかもしれません。しかしそれはまだ見つかっておらず、それほど水のある惑星が稀有だという事がわかります。そして水のある環境、温暖な気候が、生き物を育む奇跡的な星を創り出したのです。
水の恩恵、その循環
水は私たちに計り知れない恩恵をもたらしています。水は雨、雪、氷、雲、液体とその姿を変えながら地球規模で循環していますが、それだけでなく、小さな生物や人間や木々の中でも小さな循環をして、生命維持に必要な養分を運んだり不用物を排出したり、気温・体温維持に役立ったりしています。つまり、大きな水の循環の中で私たちはそれぞれ小さな水の循環を内に持ちながら生きているわけです。地球規模で見ると、水は海や湖、河川などから蒸発し、それが雨になって再び地上に戻っていきます。そして大気中の全水蒸気は10日に1回の割合で、降水と蒸発を繰り返しています。その中で水は循環しながらさまざまなものを溶かし運んでいます。鉄やアルミといった金属も溶かしますし、何らかの原因で空気中の炭酸ガスが増えれば、増えた分だけ海の中に溶かし込んで再び放出し、空気組成を一定に保つ働きもしています。それだけでなく、雨が地上に降って地中を通り、川を流れて海にたどり着くまでに、さまざまな物質を溶かし込んで海にもたらすことで、海は天然に存在するすべての元素の宝庫となり、太古の海水の中で生命を生み出すまでに至りました。
また、水はその熱しにくく冷めにくい特性から、太陽が当たっている時と当たっていない時の激しい気温差を和らげる働きももっています。地球には海があるので、海の水が熱を吸収したり蒸発するときに奪ったりして、また、大気中に水が豊富にあれば日中は太陽の熱をゆっくり吸収し、夜にゆっくり大気中に熱を放出して、気温を一定に保ってくれます。そのため、水が近くにある土地と雨も降らない砂漠では、砂漠のほうが気温差が激しくなります。そしてさらに水の全くない月では、太陽から同じ距離にあるにもかかわらず太陽の熱を受け昼は110℃、夜は−180℃と大きく気温が変わります。昼夜美しい姿を見せている月ですが、生き物は住むことの出来ない厳しい環境が取り巻いているのです。
その中での水の循環を見てみると、人は生命活動を維持するために1日約180リットルの水を必要とします。大人では体の60%分しか水はありません。しかも成人男性(体重70kg)が1日にとり入れる水分が約2,5リットル、尿や汗などから排出するのが約2,5リットルと収支がついているので、180リットルの水を運搬役として使うために、腎臓でろ過しながら何回も繰り返してからだの中を巡回させていることになります。体液は体に養分を運び、尿は老廃物を排出し、汗は主に体温調節をするといったように、体の中の水循環も、だいたい地球の水循環と同じような役割を果たしています。
海や川を見ていると心が安らぐのはなぜでしょう。自然に対して抱く人間の思いはそれだけで大きなテーマになるほど内容の深いものですが、ここで挙げられる理由のひとつとして、生き物がすべて海から生まれたことが考えられます。水はその驚異的な特性になんでも溶かしてしまうという力があると前に触れましたが、約40億年前に生まれた海は、約38億年前には海水中にさまざまな無機・有機成分を溶かし込んでおり、それらの複雑な相互作用の中から生物が生まれたと考えられています。そしてもちろん人間もその生物に起源をもっています。動物の体液の塩濃度が約3,5%で海水の濃度に近いのは、生命が海から生まれて育った名残りと言われています。地球の表面の70%は海ですが、人の体の65%は水分で、どちらもナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウムを含み、その組成がとても似ています。また、哺乳類の胎児は母親の子宮の中で羊水に漬かって育ちますが、この羊水の成分も海水の成分と同じです。つまり私たちは、陸から上がった後も、母親の海の中から生まれ、生まれた後も体の中に内なる海を持っているのです。人間の成長過程は、人間の進化の過程をそのまま辿っていると聞きますが、海の中から生まれてきたことまで再現されているとは驚きです。だから私たちは水を見たときに、母親の中の海、ひいては生き物の生まれた海を思い出して安らいだ気持ちになるのでしょう。
ここで述べた水の恩恵はほんの一部ですが、このように水は奇跡的な条件の一致で地球に存在し、またその特異な性質から生命を生み出して地球の活動や生命活動を担っている大切な存在だということは明らかです。生きていくために水以外の液体を必要とする生物は地球上におらず、また水と比べられるほど重要な働きをしている液体がないので、水について意識することは難しいけれど、水は"奇跡"の地球を"あたりまえ"にしてしまうほど、謙虚で恐ろしい力を持っているようです。
月や太陽や、他のたくさんの惑星も神秘的で美しいけれど、白い雲に覆われて青く光っている地球は本当に美しいと思います。それは、水が三つに姿を変えながら存在している唯一の星だからというのではなく、何よりも生き物が命を繰り返す、生命感にあふれた星だからです。地球が生き物を育む星でなかったら、水に対して興味を感じることはなかったかもしれません。しかし水は、化学変化と物質変化を繰り返す宇宙の中に、命や思想まで持った生き物を生み出しました。わたしはその大きな豊かさに惹かれるのだと思います。人間の思想と宇宙の思想と、どちらが偉大かなんてことはわからないけれど、わたしたちは水が何十億年もの間流れ続け、木々が何百年もかけて育っていく傍らで生まれては移ろっていく存在です。その事実を前に謙虚になって、はかなさを悲しむよりも、豊かさをいとおしく思いたいと思っています。
参考文献
- 上平 恒、「生命から見た水」、共立出版(1990)
- 梶谷 喜久、「水は生きている」、恒和選書(1981)
- 山口 勝三・菊池 立・斎藤紘一、「環境の科学」、培風館(1998)
- 自然の化学的基礎 講義資料