NS-III 最終試験
〜水が世界を動かす〜
041083 早川晶子
水、それは水素原子2個と酸素原子1個でできた無色・無臭の極めて単純な物質であり、地球の3分の2を占めている。ここ日本では水道の蛇口をひねればいつでも手に入れることが可能である。そのため昔からあって当たり前とみなされ、限りなく使うことの例えとして、「湯水のように使う」という慣用句もあるくらいである。しかし、近年その水をめぐって世界中で様々な問題が起きている。
まず、今現在最も深刻なのは水質汚染である。工場の排水や生活廃水に含まれる有害物質が河川や海を汚し、そこに棲む魚などの生物を汚染し、その汚染された魚を食べることによって、人間の体内に汚染物質が蓄積されるのである。汚染物質は食物連鎖を繰り返すことによってどんどん濃縮され、最終的に人体に行き着くときには何十倍にもなっている。日本では過去に水俣病やイタイイタイ病などの公害問題を引き起こし、現在は発ガン性物質ダイオキシンによる生態系の変化などが懸念されている。また、時々起こるタンカーからの石油流出も、魚や水鳥に大きな被害をもたらしている。水は人間が生きていく上で欠かすことができないものであることはヒトの体の60%が水分からできていることからもわかるだろう。水を飲まなくては生きていけない.でも汚染された水は体に良くない。このことに健康ブームが加わって日本など先進国ではミネラルウォーターや浄水器が売れている。しかし、施設が未整備な途上国では汚染された水のために多くの子供たちが病気になり、8秒に1人が死んでいっている。水質改善や水源保護のための運動はずいぶん前から世界中で展開されているが、いったん汚染された水を元に戻すにはかなりの努力と年月を要する。
また、最近では水が足りない、という事態が起きている。人口増加や産業の発展で需要量が増えたのが主な理由であり、アジア・アフリカなど31の国が絶対的な水不足に悩んでいる。現在まったく水不足の問題がないのはカナダなどごく一部の国だけである。アメリカには高温のために干上がってしまった川もある。遠い国の話のように思うかもしれないが、身近なところで野川の水は部分的にではあるが干上がっている。それは開発のために川の流れを人工的に変えてしまったからであるが、水質汚染も少なからず関係しているだろう。水不足は農業に大きな影響を与える。水の問題が食糧問題にも発展する可能性があるのだ。逆に、森林伐採をともなう開発のため洪水時の水の流出量が増大し、過去には考えられなかったような被害が出ることも増えていくだろう。
この水をめぐって国と国とが争う、いわゆる水紛争が世界各地でおきている。かつての文明の発祥地であるナイル川やチグリス川なども例外ではない。今後も人口は増えていくため、水の需要量も増え、それにともなって水をめぐる争いはますます増えていくといわれている。また、川の上流の国での森林伐採が下流の国の洪水被害を増大させた場合、両国の関係悪化は必至であろう。
ほかにも、水をめぐる問題は数多くある。水は確かに特徴もなくありふれた物質である。しかし、地球誕生からずっと生物にとって欠かせないものでもあった。特に人間は飲料水としてだけでなく、色々な産業や、生活を豊かにするための研究などに使われてきた。生物の中で1番水に親しんでいるのは人間であるといっても過言ではないはずだ。だが、1番水を汚染しているのも私たち人間である。地球の歴史を考えたとき、人間が存在している時間はごくわずかである。そのわずかな時間で何億年もきれいなままだった水を汚染しているのである。さらに、水をめぐる争いまでも起こしている。これはエゴ以外の何者でもない。水が、地球が大洪水などをおこして反乱しても文句は言えないのではないだろうか。人間の持っている力は自然の前では実は微々たるものであるという認識を持ち、謙虚に生活すること、それが今の私たちに求められていることである。これ以上人間本位な開発を進めていくことは結局自分で自分の首を締めていることになるのである。しっぺ返しの怖さは今までにも十分味わってきたはずだ。
このように言うと、水は怖いものであると思われてしまうかもしれない。しかし、水には楽しい面があるのも事実である。身近なところにある水、水道水でもお風呂に張ってある水でもなんでもいいからもっとよく見てほしい。思いもよらない面白い動きをしているかもしれない。さらに、凍らせたり、熱したり普段何気なくしている動作にもっと注目してほしい。無色・無臭で特徴のない水がこんなにも複雑な性質を持っているのかと必ず気づくはずである。