自然の中の水・人間にとっての水
ID#031394 佐藤 順真
「水は無味、無臭、無色透明で、特に注目すべき特徴もないありふれた物質だ」
確かにその通りでしょう。さらに言えば、今現在の我々にとっては、水道水の蛇口をひねればいくらでも手に入る、特に意識するまでもないものともいえます。しかし、水がどのような物質であれ、「人間にとって生きていく上で絶対に必要な物質」であることはまちがいありません。
自然にあるものは本来有るがままに有るものです。しかし、それは我々人間の視点から見ると、あらゆる形で意味をもちます。必要なもの、危険なもの、貴重なもの、邪魔なものといった、それぞれに応じた形で我々はその物質(物体・現象)との関係を意識しなければなりません。
「水は無味・無臭・無色透明」確かにそうです。しかし、それは我々にとってすばらしい事ではないでしょうか。たとえ体に影響がなくとも、色や臭いや味が不自然に(我々の知っている水と違って)ついていたら、瞬時に我々は拒否するでしょう。つまり「変質した水」は認識しやすのです。逆に元から水に刺激な味・臭い・色がついていたら、異物が混入していてもわかりづらいでしょう。第一ちょっとしたのどのかわきをいやすのも一苦労でしょう。
「水は地球上のどこにでもあるありふれた物質」これもそうでしょう。しかしその量の(地球レベルで見れば)ほんのわずかな偏りが、我々人間にとっては生命にかかわっているのです。少なければ干ばつなどの被害で、多ければ洪水などで何億人という人々に、その存在の存続が危うくなるのです。人間が知恵をもって以来、貯水や水路の整備、時には雨ごいなどに力を注ぎながら、一方で堤防た下水道などを造って、水の量のバランスの調整に苦心してきました。「ありふれた物」でありながら、そのわずかな量の違いによって人間の生命を左右する。水はそういう物質なのです。
「人間の2/3は水でできている」といいます。「生命は水(海)から生まれたというのもよく聞きます。やはり人間は水を無視して生きるわけにはいかないのです。物理・化学的な視点で水を見るのもいいでしょうが、「あなた自身にとっての水」を考えてみる事も、時には大切なのではないでしょうか。