水への思い

              ID:041270 村戸康人

 

 * 私が、「水は無味、無臭、無色透明で、物理・科学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」と考えている一人の高校生に語りかける、という形式で書きます。

 

 突然ですが、あなたは水が好きですか? どうやら、あなたは、水がこれといって特徴のないありふれたものだと思っているようですね。たしかに、そう見えるかもしれません。匂いもしない、色もない、蛇口をひねればでてくる。しかし、よく考えてみてください。無味無臭無色透明、このような特徴をもった物質が他にあるでしょうか。ないでしょう。考えれば考えるほど、これほど不思議な物質はありません。なぜ、0℃で凍って、100℃で沸騰し気体になるのでしょう。どうしてこんなに美しい数値を取るのでしょう。他の物質と比べてみれば、奇跡に近い特性だと思いませんか?あまりにも身近な存在で、私たちはついつい、このような不思議なことを、当たり前でありふれたもののように錯覚してしまうのでしょうか。私自身、あなたと同じ高校生の時、このようなことに気がついていませんでした。いや、気がついていたかもしれませんが、認識できていなかった。私はたまたま大学で、水をテーマにした授業をとり、水の一つ一つの特性を、改めて、いや、初めて知ったかのような驚きとともに、認識したのです。今、私の水への思いは、あの頃とはまったく違います。私は、もしかしたらこれから先、水について深く考える機会がないかもしれないあなたに、水について、すこし考えて欲しいのです。別に、化学物理的な話ばかりするつもりはありません。ただ、水に思いを馳せて欲しいのです。

 

 人の体の約70パーセントが水であることはご存知でしょうか。人体と言うと、筋肉、骨、内臓など、固体を想像しがちです。しかし、例えば、血液のことを考えてみてください。

 液体でしょう。その構成成分のほとんどは水です。骨も、構成要素に水が入っているのです。水は、人体のあちこち、いや、すべての部分に、くまなく浸透しているのです。なぜこうまで私たちの体は水からできているのでしょう。それを解く鍵は、生命の誕生にまでさかのぼります。太古の昔、地球上には生命など存在しませんでした。海が広がっていました。ただ、その海は栄養素豊富で、自然環境や、偶然的な要素があいまって、ある日、生命が誕生したのです。それは、ごくごく単純な仕組みの生命体で、意思があるわけでもありません。しかし、長い長い年月をかけ、だんだんと、生命は進化していきました。その結果が、いまの地球上にいる生命体すべてなのです。想像できますか?いわば、まったくなにも生命的な要素などない環境から、偶然命が生まれ、それが今に至って、私たち人間のような、高度な文明、文化、を創り出す生物にまで進化したのです。私たちは、水から生まれたのです。

 こんなことを聞いて水を見つめていると、なんとも不思議な気持ちになりませんか?もちろん、今あなたが水道の蛇口をひねってグラスに入れた水と、生命が生まれたときの海の水は、随分ちがうことでしょう。しかし、水は水です。この不思議な液体は、このような奇跡を起こす神秘の液体なのです。

 

 ところで、あなたは川を眺めていると、なんとなく気分が落ち着きませんか?吉野川のような清流とまでいかなくても、例えば、多摩川原橋のちかくの堤防で多摩川の流れを見つめていても、どこか不思議な安らぎを得られるものです。私は泳ぐのが苦手ですが、それでもなお、川の流れは私を魅惑してやまないのです。私だけが特別だとは思いません。誰しも、さらさらと流れる川を、水を、見つめていたいときがあると思うのです。どうしてだと思いますか? 一つには、私たちが水から生まれ、私たちの体の大部分が水でできているから、と言えるかもしれません。つまり、あの安らぎは、懐かしさなのではないでしょうか。川はどこでも流れていきます。いろいろなものを動かし、溶かし、そのなかに住まわせ、流れていくのです。そして、川は私たちの中をも流れていくのです。私たちの中を流れ、つらいことや悲しいことをそのうちに溶かし、流してくれるのです。ときには、記憶の上流から、昔のことを流してきて、人をノスタルジックな思いに浸らせることもあるかもしれません。水は、体なかでも、心の中でも、常に私たちに一番近い場所にいるのです。

 

 水は、比喩にもよく使われます。方丈記をご存知ですか?「行くかはの流れは絶へずして、しかも元の水にあらず。」有名なくだりです。流れる川の水は、つねに流れており、一瞬として同じ場所にとどまっていることはない、という意味です。ここで、鴨長明は、川、水を、何にたとえているのかお分かりですか。時間です。今、この一瞬は、今後二度とありません。時間は常に流れ、世の中のすべてのものは、絶えず変化していくのです。この考えを、無常、常なるもの無し、と言います。この究極的な宇宙観のような壮大な概念の比喩として、水(川)は使われているのです。常に変化する、この概念を伝えるために、川は格好の対象だったのでしょう。また、川の流れに生じる、泡、も万葉の時代から比喩によく使われてきました。今できたと思うと、次の瞬間には壊れてなくなってしまう泡。人の一生は、この水面に浮かぶ泡のようにはかないものだ、と歌った和歌も幾つもあります。面白いのは、無常という壮大な観念を思い起こさせる川の流れの上には、はかなさを感じさせる泡が存在すると言うことです。水は(氷のときをのぞいて)一定の形をとることがない柔軟な物質です。それゆえ、水に対する人の思いも、一つに定まることなく、実にいろいろなのです。水は、私たちそのものを例えているといっても、あながち過言では内容に思われます。

 

 どうでしょう。水への思いが、少し変わりましたか? 私が今回お話しただけで、あなたの水に対する思いが変わるのかは、分かりません。しかし、どこか、あなたの頭の中にひっかかるものがあるならば、私の話が、あなたの中を流れ、まるで水面を流れる木の葉が一本のくいにひっかかるように、頭の片隅に残ってくれるのならば、幸いです。いつの日か、川べりで物思いにたたずむあなたの脳裏に今日のお話がさらさらと流れてくるかもしれません。そうしたら、もう一度、水について考えてください。より多くのことに気がつくことと思います。

本日は、私の水に対する思いを少しお話しました。ではまた。


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