自然の化学的基礎 期末試験

―水はどこにでもあるありふれた物質か―

 

                          021385 塩路小倫

 

 水の特異性を説明するものは数多い。ここではなるべく、水の人との関わりを中心として、その特異性を述べていきたい。水はどこにでもあるような物質ではない。そもそも水がこの地球という惑星に存在するということ自体が奇跡のようなものである。ちきゅうは太陽からほどよい位置にあるため、常に温度が平均して15度に保たれているので水は凍りもせず、蒸発もせず、地上に液体として存在しえている。ほかの惑星では水は凍りついているか蒸発してしまっているかのどちらかである。また、地球は水を地上にひきとめておくのにちょうど良い大きさをもっている。水はある程度の引力がないと宇宙に散らばってしまう。月に水がないのは、月が小さいため、水を地上にひきとめるだけの引力がないからである。

 このように、地球が水を液体のまま保っていくことができなかったら今の私達は存在しなかった。生命が誕生したのは水のおかげなのである。水はほとんど全ての物質を溶かすことができる。そのため、原始の海にはさまざまな物質が溶けこんでいた。この海に溶けこんだ物質が太陽からの紫外線などをうけて化学反応をおこし、生命のもとのようなものが誕生したのである。この生命のもとはオゾン層ができるまで、有害な紫外線から守られた海の中で進化を続けた。全ての生き物はこの生命のもとから生まれたものである。つまり私達はもとをただせば、原始の海に溶けこんだ一握りの化学物質なのだ。この化学物質は水がなければ存在しえなかったし、また、海というものがなければすぐに消えてしまっただろう。私達は海から、つまり水から生まれたのである。そして私達は今も水に深く依存している。人間の72%は水分であり、12%を失うと死んでしまう。地震などの災害がおこったとき、まっさきに水を蓄えることが肝心といわれるのはそのためである。人間は水なしでは生きていけないが、水さえあればそれだけで何日かは持つのである。しかし、残念ながらこのような事実は日本のように恵まれた環境の中にいる場合、あまり認識されることがない。水が「どこにでもあるありふれた物質」であるというのは世界共通の常識ではない。

 たしかに日本では蛇口をひねるといつでもきれいな水が出てくる。しかし、これは日本や少数の先進国くらいである。それに、先進国の中でも日本でのように出てきた水をそのまま飲める国は少ない。たとえばドイツなどのヨーロッパ諸国では水は出てくるものの、石灰質が含まれているため、飲用にはならない。レストランなどにいってもじつはミネラルウォーターが一番高いというような場合も少なくない。これが発展途上国になると、水の問題はもっと深刻になってくる。水不足がその代表的なものであろう。そのため中東のように大きな国際問題にもなっているところがある。このような地域では水は貴重品である。蛇口をひねっても水は出てこない。実際、蛇口がついた上下水道設備が備わっている地域が少ないくらいである。このように水道設備が備わっていない地域では今も井戸や川から直接水をくんだりしている。そのため、伝染病などが伝わりやすい。日本人が東南アジアなどへ行くさいに、決して生水を飲んだりしてはいけないといわれるのはこのためである。日本では生水を飲むのはまったくさしつかえないので、このような常識がない。また、水がふんだんにある地域でも水の問題はつきない。洪水など、河川の氾濫も大きな問題になっている地域が数多くある。たとえばバングラデシュなどでは毎年、洪水が起こるたびに国土の四分の三くらいが水につかってしまう。このため、毎年死者が数多くでる。水の脅威の前に、人間は無力なのである。

 これまで、人類はなんの考えもなしに水を気ままに使い、力ずくでコントロールしようとしてきた。しかし、水は決して人間の思いどおりになるようなものではない。水を完全にコントロールすることは不可能である。その一例がエジプトのアスワンハイダムである。もともと古代エジプトでは豊かなナイルの氾濫を使って農耕が行われていた。雨季にナイルの上流で降った雨でナイル川が氾濫を起こす。氾濫したナイルには農耕に必要な肥沃な土壌が含まれており、この土壌を使って麦などが育てられていた。ナイルは大洪水を起こすこともあったが、そのほかは毎年ナイルの沿岸に住む農民達に大地の恵みをとどけてきた。しかし、アスワンハイダムが建設されて以来、ナイルは氾濫を起こさないようになった。その結果、洪水による被害は減ったものの、農耕は困難になっている。大地は乾き、砂漠化が進んでいる。人間の、水をコントロールしようとする試みは失敗に終わった。

 水はどこにでもあるものでも、ありふれたものでもない。たしかに私達のまわりのものには全ていくらか水分がふくまれている。しかしだからといって水を軽視してはならない。全ては水にはじまり、水に終わっている。人間は水がなければ生まれてくることもなかったし、水がなければ生きてはいけない存在である。人間はその事実を謙虚に受けとめるべきである。ひょっとしたら水をコントロールしようとする人間の考え方自体がまちがっているのかもしれない。いまも水はかわることなく地球を循環している。その流れは途切れることなく続いている。たとえ人間がどんなに環境を破壊し、本来の水の流れを変えてしまったとしても、水の循環はとまらない。これからはいかに人が水の循環にそって生きていくかを考えるべきである。

 


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