NS-III CHEMICAL BASIS OF NATURE

RAGNAROK EX. #05

- BLACK MENTOR-
- 黒い家庭教師 -

 

                041488 Kenichi Torii(鳥居謙一)

 

 「うーん………」

 一人の、16・7歳と見える少女を前にして我が相棒リロイ・シュヴァルツァーは唸っていた。黒髪黒瞳、さらに黒のレザージャケットを羽織った黒ずくめの男だ。たった一人の少女に言いくるめられてはいるが、これでも《リロイ・ザ・ライトニングスピード疾風迅雷のリロイ》、《ブラック・ライトニング黒き雷光》と称された元・S級の傭兵である。

この男にとって、今のこの瞬間ほど、進退窮まったことはないに違いない。

 ここは大陸でも随一の美しさを誇るヴァナード王国の神都ソフィア、その中央に位置する王宮「ノアトゥーン水上宮」の中だ。二人がいるのは城内にある科学局の一角。以前、相棒が護衛を務めたエイミー・ブレナマン博士が、局長をつとめている場所だ。

こぎれいな椅子と机が備えられ、かすかに聞こえる換気機構の駆動音以外に騒音はない。集中して作業をするにはもってこいの場所だ。

 だが、そういう場所ほど、相棒にとっては不利な状況を生み出す。

 「あのな、ルーナ。水というのは………」

 「また、話が元に戻りましたよ。リロイさん」

 ルーナ、と呼ばれた少女が、冷静につっこむ。

 栗のような茶色の髪を肩口で切りそろえ、糊の利いた白衣が似合う少女だ。ふむ、相棒と出会って以来出会った人の中で、数少ない非常にまともな人の一人といえよう。

 まあ、仕方があるまい。というのも、相棒はこの言葉をすでに20回近くも繰り返しているのだ。頭の回転がどこまでも鈍い相棒にできる唯一の延命策だろう。

 そもそも、なぜ相棒がこんなことをしているのか?

 相棒の話を意訳すると、ルーナは南方の港湾都市カナンから最新の蒸気機関工学を学ぶために留学してきた少女、いわゆる科学者の卵で、エイミーがヴァナードの南部にある小さな街で行われる会議に出席している間のお守りを頼まれた、ということらしい。

 ヴァナード王国は蒸気機関の最先端国家であり、同時にその核となる水に関する研究も最も進んでいる。その蒸気機関について学ぶにはまず水について学ばなければならない、とその核となる水について話を始めたが、そのことでエイミーとルーナが口論になり、それを相棒に押しつける形で彼女は行ってしまった、というわけだ。

 ドーン…ドーン…ドーン…ドーン…ドーン…ドーン…ドーン…

 水上宮の尖塔の一つにとりつけられた時の鐘が七回、その清らかな声を響かせる。

 もうそんなに時間が過ぎていたのか。

 「あ、もうこんな時間か………」

 と、ファイルを閉じ、キッと鋭い視線をリロイに向ける。

 「ど、どうかしたか?」

 おいおい、こんな年端のいかない少女に気後れしてどうする。

 「明日こそ私を納得させるような言葉を聞かせてもらいますからね」

 厳しい一言をおいてルーナは去っていった。その毅然とした背中とは対照的に、相棒の脱力した背はなんとも情けない。一人の少女によって一時間もの間、ずっと精神的に追い詰められれば仕方がないかも知れないが……、すこしはしゃんとして欲しいものである。

     はてさてこれは厄介なことになった。

 「エイミーの奴………」

 相棒は実に恨めしそうに歯を鳴らす。

 まあ頑張れよ、相棒。これを切り抜ければ、おまえの使えない頭も、少しは回るようになるだろう。

 ……おっと、自己紹介を忘れるところだったな。

 私の名は《ラグナロク》。

 相棒の椅子の背もたれに立てかけられて静かにたたずむ剣。

 それが、私だ。

 

 

 大広間のソファに相棒はどかっと腰掛ける。ここは水上宮西翼の大広間。近衛騎士も多く待機しており、私たちはなにかというとここへ足を運ぶ。城内に数多く居る厄介な人々に捕まらない可能性が一番高い場所が、ここであるからだ。

「どうかしたんですか?」

 と、赤い制服に身を包んだ近衛騎士の一人がリロイにコーヒーを、私に紅茶を出しながら不思議そうに問いかける。

 問いかけたくなる気分もよくわかる。リロイがここまで長時間にわたり、頭を悩ますというのはこの私ですら初めて見たのだ。エイミーも、まさかこれほどの大事になっているとは思うまい。

 「いや……、ちょっとな」

 相棒は、苦虫を二十匹ほど同時に噛み潰したような顔をしている。

 今の私の姿もその一因だろう。今、私は空気中の分子を空気中の分子を利用して作られた超高密度の幻像を用い、そこへ意識を移して銀髪碧眼の青年としてその場に座っている。私の本体である剣は、テーブルの上だ。

 無論、紅茶を飲みたかったがためだが、リロイはやはり、私がちょくちょく姿を現すことをあまり好まないようだ。そのぐらいいいだろうが、相棒なんだから。

 「それじゃ、私はこれから巡回がありますので。失礼します」

 丁寧な挨拶を残し、彼女は去っていった。

 近衛騎士と言っても女王にいつもべったりしているわけではなく、このヴァナードでは警官の役割も兼任している。特に冬ともなると《闇の種族》の出現数が増すばかりでなく、凍死しかかる浮浪者なども現れるため、気が抜けないようだ。

 「さてと、エイミーが戻ってくるまであと二日だ。ルーナの質問をはぐらかし続けるのは、今日の調子では無理だな。なんなら手を貸すぞ」

 「おまえは、手を出すな」

 相棒は私の暖かな提言を無下に取り下げた。まさか、おまえの頭ではあれに対して答えられない、ということを自覚してすらいないんじゃないだろうな?

 無下な扱いへの文句を押しとどめ、私はティーカップに持ち上げる。ふむ、いい香りだ。ヴァナード王国は、大陸でも有数の茶の旨い国と多くの人がおとずれるが、それに違わぬほのかな香りを放っている。これに比べればコーヒーなど墨汁を水に薄めたようなものだ。

 ふむ、これもルーナの質問に答える手がかりになり得るな。お茶をこうして味わえるのも我々がそれに水を使っているからこそだ。相棒が気づくかどうかは、全く別の話であるが。

 蒸気機関においては最新鋭の技術を有するヴァナード王国で、科学局長官を務めるエイミーはその分野の第一人者ともいえた。「水は無味、無臭、無色透明で、物理・化学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この世界のどこにでもある最もありふれた物質だ」というルーナの一言が、そのエイミーさえも困らせたのであり、相棒の窮地を造り出した根元である。蒸気機関のエンジニアを目指す者の言う言葉ではないと思うが、まあそれは今話しても仕方がないので放っておくとしよう。

 私が出ていって説明してやればその場でけりがつく話なのだが、何分相棒がそれを良しとしないのだから仕方がない。そろそろ、自分の頭の程度を自覚しても欲しいものだ。

 「黙ってろ、なまくら。頭を使うのは一番得意なんだぞ」

 おっと、最後のは思わず口にしていたようだ。用心せねば。

 もっとも、相棒が頭を使うといっても頭突きがいいとこだろう。

 さて……、困った。《闇の種族》を駆逐するために造られた我々、前時代文明の「汎用」兵器である《ラグナロク》シリーズも、悩める家庭教師を助けるようにはできていない。その相手が我が相棒となれば、なおさらだ。

こうなってみると、今のところ私の他に唯一所在が知れているもう一つの《ラグナロク》、オルディエの手も借りたくなるというものだ。

 ふぅ。

 思わず溜息をついてしまった。

 ん?溜息………?

 その時、私の脳裏に一つの考えが浮かんだ。そうか………、この手があったのだ。

 しかし、ある意味単純なこの発想の転換をエイミーが思い浮かばなかったとは考えずらい。

 「リロイ」

 「ん?」

 疲れを満面に表した顔をリロイがこちらにむける。まあ、連日のハードワークで相当疲れているのだ。まあ、一番の理由は今のこの状況だろうが。

 「お前、空気は好きか?」

 これは一種の賭けだ。相棒がこの短い言葉から私の真意を汲み取ってくれるだろうか。成功すれば、この問題を解く確かなカギをリロイが手にすることになるのは間違いあるまい。

 「おい」

 リロイが逆に呼びかけてきた。その面にはにやっと不敵な笑みが戻っている。やはり、自然の神秘に挑む科学者の表情よりもそちらのほうがこの男には似合う。    どうやら賭けは私の勝ちだ。

 「なんだ?」

 「そろそろ俺たちも雪の中を街の見回りだ。行くぞ」

 そうか、そういう仕事もあったんだったな。以前壊したロビーの修理代を働いて返さなくてはならないとはいえ、女王陛下も酷な仕事ばかり考えてくれたものだ。エイミーといい、フレイヤといい、この国に来てからリロイは女性に振り回されっぱなしのような気がする。まあ、そのおかげで本人の自滅的行動が抑えられているともいえるのだが。

 事実上私の質問が無視されたに近いことはこの際さておき、私は飲み終わったティーカップをプレートの上に置き、立体映像の姿を解除して本体へ意識を戻す。

 リロイは私の本体を腰に下げ、白い帳につつまれた神都へと向かった。

 見回りに出たのはいいが、廃止された下水道に住み着いた《闇の種族》の駆逐を初め、雑務を矢継ぎ早に依頼され、リロイが戻ってきたのは翌日の昼近くであった。いかな相棒とはいえ、さすがにこれはきつかったのか、帰ってくるなり自室のベッドに倒れ込む。

 「時間が近づいたら、起こしてやるから。安心して寝てろ」

 「ああ……、頼む」

 しかし、相棒にしては疲れの度合いが酷いな。ここ1,2ヶ月酷使され続けているのだから無理もないか。これだけ動いていてなおも疲れていることに対してまず不審さを思わせる相棒の体力は相当なものだ。私は疲れを感じたりはしないが……、ひとまず休息をとることにしよう。

 数時間後、相棒は再びかの科学局の一角に腰かけていた。今回は私の本体を椅子にはかけず、腰に差したまま、常に左手でその柄を握って居続けるように指示しておいた。まあ、いうなれば何かの時の非常策、というものだ。

 「リロイ」

 「ん?」

 私は一応最後の確認をしておこうと話しかけた。私に向けられる視線が妙に震えている。相棒にとっては数十の敵に囲まれるよりも困難な戦いにもう一度挑むのだ、致し方在るまい。

 「出来る限り私の口調を真似るんだ。細かく言うべき根拠などは私が声真似でなんとかしてやる」

 「なんとも釈然としないやり方だがな……」

 先日は無下に断っていたものを、今回はやんわりと首肯する。ふむ、ここまできて自分一人ではあまりに不安に思ったのだろう。

 「これぐらいはいいじゃないか、相棒なんだから」

 リロイはその一言ににやっと笑い、拳でこつっと私を小突く。

 「ありがとよ、相棒」

 コツコツ、と小気味良い靴の音を立てて、小さな影が現れる。

 そして、相棒の戦いは始まった。

 

 

 「それじゃ、リロイさん」

 一言発しただけで場の空気が変わった。ルーナの瞳から発せられる気合いに負けまいとリロイも精神力を振り絞っている。一言言われただけでこれでは、先が思いやられる。

 「どうして、私が言ったことが間違っているのか、説明していただけます?」

 相棒がチラリと私を見やる。

 これは少々私も気を入れてかからねばならないようだ。

 柄を握るリロイの左手を通じ、リロイの精神に直接語りかける用意をする。こうすれば、口に出さずとも我々は意志の疎通を図ることが出来る。

 「リロイさん?」

 ルーナが訝しげに問う。これ以上待たせるなという裂帛の気合いがこの場を支配していた。

 (まず、言ったように空気と水と比較しろ)

 (あ、ああ……)

 私のアドバイスに相棒はなんとか口を開いた。だが、その口調はなんとなくぎこちない。

 「ルーナ、君は……水がありふれたものだって言ったが、まずは、同じように味も香りも色もなくて俺たちの周りにあるもの、空気や光と比べてみよう」

 ふむ、まずまずの出だしだ。

 「空気は、俺たちの周りにつねに存在する、いうなれば「ありふれた」もんだ」

 「そして空気は味がないし、匂うとしてもそれは気体に混ざっている物質のにおいだ。そして、当然無色透明でもある。」

 後半は私の言葉だ。上手く最後まで声真似できるかどうかは疑問の残るところだが、なんとか相棒の話に調子を合わせてみよう。

 「だが、空気が無くては人間も動物も生きられない。そう言った意味では重要なものだと、いえる。人間は自分でそうしようと思わなくても、呼吸して生きている。自分で呼吸しようなんて思っているのはほんの一握りに過ぎないから、ありふれたものととらえてしまうのも仕方がない。それは空気が常に必要であるから、いちいち意識しないでも呼吸ができるようになっているだけだ。いつも呼吸するのに意識してそれをやる必要があったら、とても人間生きてられやしないからな」

 相棒にしては非常に上手い話の運びだ。

 ふむ、少しは頭も成長してきたか。感心、感心。

 「だが、ありふれているから、どうでも良いものと言うことにはならない。それは俺と違って頭の良い君なら……、すぐわかるだろう」

 ルーナはリロイの話を黙して聞いていた。このあたりは、ちゃんとしている。相棒のように人の話を最後までちゃんと聞くことすらできないのとは大きく違う。

 「こうかんがえると、水と空気はすごい似ているように、感じる。だが、俺たちは空気を掴もうとしても、ただ言葉通り空を切るだけし、水よりもさらに見えにくい。実際に俺たちが空気の存在を感じることが出来るのは……」

 「風が吹いた時ぐらいだ」

 それぐらい助けてもらわなくても思い出せたのに、とでも言いたいのか。相棒はちょっと強めに私の本体をこつんと小突く。

 だが、その先の言葉が出ない。どうやら、相棒はここまで来て力つきてしまったらしい。仕方がない、ちゃんと口をあわせろよ。相棒」

 「水だけでなく、空気も、味も匂いも色もないのは、なにか訳があるんじゃないだろうか」

 「どんな?」

 ルーナはすかさず追い詰める方向でつっこみを入れてくる。さすがは科学者の卵、口を挟むタイミングも口調も相手のペースに持ち込ませない方法をちゃんと理解するだけの頭を備えているようだ。

 「味がない、臭いがない、色がないとないない尽くしだ。この無いという言葉は負の印象を相手に与えてしまうことが非常に多い。だが、無いということはある意味「中立」と言えるだろう。ここは一つ見方を変えて、もし水や空気がある特定の味、匂い、そして色を持っていたらどうなるか。頭の良い君なら想像できないわけではあるまい?」

 と、話をルーナに振ってみた。

 当のリロイは……、ぎこちなげに口をパクパクとさせている。まるで酸欠状態に陥りかかった金魚だ。もう少し自分の行動が周りからはどう見えているかを考えんか、馬鹿者め。

 「それが好きな人と、嫌いな人が現れるでしょうね。料理の好き嫌いと同じで」

 「それが問題だ。料理や茶とは違って空気や水が嫌いだからと言ってそれ無しで生きていくわけにはいかない。そのために、水には味も香りも色もあってはならないのだよ。そして、それこそが水の最も注目すべき特徴だろうな」

 その時、ルーナがクスッと笑みを浮かべた。

 いかにも何かが含まれていそうな笑みだ。

 「エイミーさん、どう?」

 ルーナが壁の向こう側に向かって話しかけた。

     エイミーだって?

 「リロイも少しはわかるようになったじゃないのよぉ。合格、合格」

 と、明るい声を上げて奥から現れたのはなんとまだ学会に出かけているはずのエイミーだった。相棒はこの状況が理解できないようで、目を白黒させている。

 「学会ってのは、ウソ。実は、今度からリロイがここで雑用係をしてもらう前に、一応どれほどの事が頼めるか、見てみたかったの」

 と、小声で話しながらチロッと舌を出す。

 なんたることだ。最近女性に振り回されっぱなしの相棒だが、ここへきてまたも仕組まれていたのか。まあ、気づかない相棒も相棒だ。自業自得と言うことにしておこう。だが、声真似の方はなんとか最後までばれなかったようだ。思いきり安堵する。

 当の相棒は、はめられていたことをようやく自覚したのか、この無下な扱いに対して、こめかみのあたりがぴくぴくしている。目の前の女性たちがそのことに気づかず、キャハハハと笑い続けていることがそれをさらに増幅させているようだ。

 私に言えることがあるとすれば、ただひとつだけ    

 いい気味だ。

 


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