自然の化学的基礎 Final Report              2000、6、21

         “水”という神秘的な存在

                             匿名希望

 

1.序論

 水とは一体なにものであろうか?まず、人間は毎日水を飲む。体内の70%をしめる水の2%が失われただけでも体は痛みを感じ、5%では幻覚が見え、12%失われると死に到り、水なしでは人間は4日と生きることが出来ないのである。そして水が必要不可欠なのは他の動物も植物もそうである。例えば、カエルは80%、トマトは95%が水である。そして不思議なことに地球上の生命のあるもの全てが水を欲しているのです。

 日本のような、どこからでも水道をひねれば飲むことの出来る水が流れ出てくる、という大変恵まれた環境に生きている人にとって、「水は無味、無臭、無色透明で、物理・科学的に特に注目すべき特徴もない。しかも、この地球上のどこにでもある最もありふれた物質だ。」と考えることはそう珍しいことではないのだろう。しかし、人々にとってありふれた存在であるからといって、地球や生命にとって注目に値しない平凡なものであるということが言えないということは、水という存在の奥深さを知るにつれてわかることだろう。まず、「水には特に注目すべき特徴もない」という考えを覆すために水の持つ大変不思議な科学的特徴について述べ、次に、「水」というものの存在の神秘性について話していきたい。

 

2.水の不思議な科学的特徴

 水には様々な、他の物質とは違った特徴がある。いくつか挙げてみたい。例えば水特有の性質として、比熱があげられる。比熱とは、1gの物質の温度を1℃上げるのに必要な熱量のことで、水は他の物質と比べてこの比熱が高いという特徴を持つ。比熱が高いと言うことは、水は「温まりにくく冷めにくい」という特徴をもつということである。例えば水の比熱が1であるのに対し、陸地(砂)や空気の比熱はそれぞれ0.23、0.24と、低い。よってこれらは気温の変化が起こりやすいことを意味する。水はこのような特徴を持つことによって、地球上の表面積の2/3を覆う海において、温度の変化が起こりにくく、温度を一定に保つという効果がある。人の体の中も同じである。この水の、比熱が高いという性質により、体内の約70%が水である人間の体温もほぼ一定に保たれているのである。

 水の溶解能も大切な性質である。溶解能の高さにより、水は様々な物質を溶かすことができる。例えば、海中において水は、イオン性物質、有機化合物、気体なども溶かし、92種類もの元素全てが溶けている。海の中には金なども溶けこみ、混在しているのである。

 生命は、海がその様な性質を持っていたために誕生したのである。海中に様々な川から流されてきた塩分がたまった海水が海面に膜を作り、それが原始生物の誕生につながったのである。このように誕生した生命の一つである人間もまた、体内の水分において様々な栄養素を溶かし込んだ血液を持つことができるのである。

 また、密度も特殊である。普段飲み物に氷を入れて飲んだりする際に、氷が液体の上に浮いていることを普通のことだと思うかもしれないが、これはとてもめずらしいことなのである。一般的に、温度が高くなるにつれ密度は小さくなるため、水以外の物質は、液体が固体になると密度が高くなって下に沈む。水の場合は密度が4℃の時に最大になり、不思議なことに液体から固体になることで密度は1/11と小さくなる。このような性質により、海においても氷は底に沈むことなく(沈んだ場合、海全体が0度以下になってしまい、生命は生きてはいけない)表面に浮きあがっていられるのである。

 その他にも、蒸発熱が大きい(水が蒸発しにくいし、蒸発する際には多くの熱を奪う)、表面張力が大きい、融解熱が大きいなど様々な特徴があるが、これらの特徴を支える原因として重要な事は、方向性のある水素結合の結果としての、水の分子間力の強さであると考えられる。

水は、化学の法則に当てはまらない、未だに謎の多い物質であると言える。

 

3.“水”の神秘性

前述した、科学的な水だけが持つ特殊な性質だけを考えてみても、これはとても不思議である。また、生命活動を維持するのに必要な有機化合物はすべて水H2OとCO2からできているという事実も考えてみても、これもまた大変不思議なことである。

 この不思議な水について考えてみると、水は原始時代から人々にとって神秘的で特別な存在だった。古代からの水と密接な関係を持つ宗教は多いし(例えばヒンズー教におけるガンジス川の役割)、世界四大文明はいずれも大河から始まっている。BC600年の古代ギリシャの哲学者ターレスは、「万物のもと(アルケー)は水である」と本質的な鋭い考えを示している。人は本能的に水にたいして感じるものがあるのかもしれない。

 水の始まりを考える事は、生命の源、宇宙、人生を考えることにつながる。宇宙が始まり、絶妙な条件が揃い、地球に水が誕生し、そして生命が誕生した。どの条件が足りなくても生命の誕生は起こらなかっただろうし、水という生命誕生の母の、科学的な特殊な性質(例えば、水の溶解能の高さなど)があってこその人類なのである。水が、正常の自然の法則に従う物質であったならば、生命は誕生しなかったと言えるのではないか。水は気体、液体、固体と形を変えながら、45億年もの昔から地球上を大循環している。このよなプロセスから、水は「地球の血液」とも言えるような、地球にとって、またあらゆる生命にとって、母のような存在なのである。

 このように考えると、何気なく生活している自分とその世界全てが不思議に、奇跡的に思えてくるだろう。水という一つの物質は、なぜだかわからずに存在し、生命を与えられては死んで行く人間の人生についても考えざるを得なくさせるような、大変奥深く神秘的なものえあるということができる。このように考えが進むととても、水は「注目するような特性もない平凡な物質」などと言えないようになるだろう。

 現在、奇跡の星地球の血液である水を見てみると、そこから悲鳴が聞こえてくるようである。水の重要性を知るならば、地球の、そして生命の根源的存在である水が汚れ、とり返しのつかないような状態になってしまっているということの重大性がわかるだろう。現在、環境問題は大変に深刻である。この問題を何とかしていこうと思うとき、このような水という物質の理解は大変役に立つのではないだろうか。なぜなら、水を理解しようと思うとき、人は身の回りの小さな世界を越えて、壮大な神秘的世界と地球という星の奇跡にまで考えが進み、そこにおける一つの動物である自分、という存在の理解、自分の今立っている位置の正確な理解ができるようになると思えるからである。そのような意味で、現代社会において、水という物質の理解は、キーワードとしてその威力を発揮することができるのではないかと考えられる。

 


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