水質汚染と新たな問題

021129 岩村大輔

 

 水という物質は状態を問わず我々の周囲に満ち溢れていて、それだけに地球に住む生物にとって欠かせない物質となっている。実際、我々が目にする液体 のほとんどは水溶液であるし、我々自身を構成する物質の実に70%以上が水である。このようなありふれた物質に生命を危険にさらすような物質が混入したらどうなるか。水に混入したもの以外でも人類が作り出した化学物質によって様々な障害が何十年も前から報告されつづけている。そしてそういった問題は今日においても増えつづけているのである。

 わが国におけるこういった問題の代表例は水俣病であろう。水俣病は熊本県の水俣湾周辺において発見されたいわば奇病とも言えるもので、四肢末端の感覚障害、運動失調、など、中枢神経が犯されることによって様々な障害がおこる。原因は化学工場が排出したメチル水銀化合物を水俣湾に住んでいた魚介類が摂取し、それを人間が摂取したことによっておこったとされている。自然界における、生物濃縮と食物連鎖という長い経路を通って最終的に人間に有毒な物質が回ってきたわけである。まさにレイチェル・カーソンが「沈黙の春」において指摘したことが現実の問題となった典型的な例といえよう。水俣病の他にも水を初めとした環境が汚染されたことによっておこった病気は公害病として広く知れ渡っている。

 しかしこういった明らかに生物に対して有害な物質の他にも最近になって新たな汚染源として話題になっているものがある。環境ホルモン、正確には内分泌撹乱物質として有名になりつつある一連の化合物である。これらの物質はその名が示す通り、ホルモン類似作用を示し、すでに何種類かの動物において深刻な影響が報告されている。こうした化学物質群がヒトに対して影響を与えているという“はっきりとした”証拠を示す論文や研究報告は今のところないようである。しかし、動物実験によるデータの蓄積やその他もろもろの研究報告に目を向けてみると、深刻な現実の状況を示唆しているようにみえる。

 実際に自然界で動物に対しておこったものの中でもメス化したオスのコイの例は比較的有名である。これはイギリスの河川で見つかったコイの一種である川魚がメスのような特徴を示していたことを発見したことに端を発する。具体的にはオスの血液にビデロゲニンというタンパク質が発見されたのである。このタンパク質は卵を生む生物が持ち、女性ホルモンが肝臓に作用して生成される。これが卵巣で卵黄ホルモンに変化して卵を作る。件の川で発見されたオスのコイは卵を持っていたのである。この現象が下水道の排出口付近で著しいことから人間が下水に排出した何らかの物質が原因であることが示唆された。その後の研究によって女性ホルモン、すなわちエストロゲン様の働きをもつ化合物がいくつか候補として挙げられた。アルキルフェノール類、フタル酸化合物などである。いずれも身の回りにごく普通に存在し、特にフタル酸化合物などは各種プラスチック容器の原料として広く使われている。そして、実際に我々は日常生活においてもこれらの化合物に暴露しているのである。

 環境中に放出された内分泌撹乱物質によって起こったわけではないにせよ、女性ホルモンが人体に与える影響に目を向けることは非常に大きな意味を持っていると考えられる。社会的に大きな関心を向けられている問題のひとつに男性の精子の減少が挙げられる。これは近年男性の精子の数が減少し、同時に質も低下しているという報告が相次いでなされたものである。この現象にエストロゲンが関与する仕組みは込み入っている。ごく簡単にいうと、エストロゲンは胎児のセルトリ細胞という精子の前駆体が埋め込まれた“ゆりかご”のような細胞の増殖を抑えてしまうのである。セルトリ細胞が減れば結果として将来精子の数が減ってしまうのである。しかし男の胎児であっても母親の子宮の中ではエストロゲンにさらされているし、ある程度暴露される必要があるのも事実である。問題は男の胎児が過度にエストロゲンに暴露されることである。我々の体はホルモンは目的の細胞に正確に働くようにできているが、それでも過度に暴露された症状を示すことから外部の物質が疑われたのである。

 過度の女性ホルモンが深刻な影響を与えるのは何も男性だけではない。DESの例は典型といえる。DESは合成エストロゲンとして意図的に製造された医薬品である。これは当時の無知もあいまって避妊薬、妊娠中の病気に対しての治療薬として乱用に近い形で使われたようである。もっとも悲惨な例が妊娠中に投与された例である。妊娠中に母親がDESの投与をうけた場合、その子供、特に女性に深刻な影響が出ることが明らかになっている。具体的な例としては子宮や卵管がゆがむといった生殖器の奇形や、流産や子宮外妊娠などの深刻な生殖障害、さらにはそういった女性がガンにかかりやすくなったりしたのである。 ここまでによく知られた例をいくつか挙げてみたが、内分泌撹乱物質となりうる可能性を秘めた物質はさらに存在すると考えるのが普通だろう。ここでは女性ホルモンに話を限定したが、ホルモンはエストロゲンだけでなく実に多くの種類が存在している。また、いろいろな化合物が混ざり合ってあらたな働もつようになる“カクテル現象”も考慮に入れなければならない。生殖活動という生物にとって根本的な活動に危機を与えるという性格上、危機を回避する努力が必要とされている。そのためには学問的には内分泌系の解明、日常的にはすでに内分泌撹乱物質として特定されている物質はなるべく使わないという努力が必要である。そしてなによりも、様々な化学物質によって多くの悲劇を生んできた歴史に目を向け、深く考えることが必要だろう。

参考文献

*「メス化する自然」デボラ・キャバドリー 古草秀子 訳  集英社
*「奪われし未来」シーア・コルボーン 他 長尾力 訳 翔泳社
*「沈黙の春」レイチェル・カーソン 青木梁一 訳 新潮文庫*朝日新聞 「しのびよる危険 環境ホルモン 1〜10」
*環境庁ホームページ 化学物質対策の動向http://www.eic.or.jp/eanet/seisaku/ehs_idx.html(環境中に存在する化学物質の対策についていくつか例を挙げて紹介している)
*国立水俣病研究センター ホームページ http://www.nimd.go.jp(国立水俣病研究センターの紹介)
*「Hormone Impostors」http://www.sierraclub.org./sierra/199701/jfclo1.html(シーア・コルボーンが行った研究についての記述)


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