“水” 福田君の一日体験授業

                

キーン コーン カーン コーン...授業開始の鐘が鳴る。

生徒達はまるで何も聞こえないかのように教室を走り回ったり、大声を上げて笑っている。一人の若い青年が熟練の教師に付き添われて生徒の騒がしさに驚いたようにびくびくした面持ちで廊下を歩いてきた。廊下で遊んでいた生徒達がそれを見つけてすかさず叫ぶ。

「オイ、来たぞ!」

教室の廊下側の窓から他の生徒達がいっぺんに顔を出すと慌しく席についた。

 

1C組、ここか...青年は深呼吸をすると教師の後について教室に入る。

しん ...水を打ったように教室が静まり返る。

動物園のパンダになった気分だナ、と青年は心の中でつぶやいた。

ゴホン 熟練の教師が咳払いをすると生徒のうち一人が思い出したように起立の号令をかけた。再び生徒達が席につくと、教師が話し始めた。

「今日は皆さんの先輩である福田雅之君にお話を伺います。皆さんちゃんと聞くように。」

教師は福田に目で合図を送ると教室の一番後ろの席に向かった。教師を追いかけていきたいような心細さを押さえつつ、福田は教壇に立った。

「皆さん、 こんにちわ。」 

しん...

「え、え_と、先程紹介されたように僕はこの高校の卒業生の福田雅之と言います。吉野先生は僕の恩師です。僕は今ICUに通っていましてですね...その...」

福田は相変わらず静かすぎる生徒達に不安を覚えつつ話をつずける。

吉野先生から授業を一度担当してみないか、と言う電話が来たのは3日前。

高校受験を終え、入学して、全く気が抜けてしまっている生徒達に大学生という立場から何か話して欲しいと言う。題材は先生が教えている科学についてなら何でも可。普段から教育に興味があった福田は興味半分で気軽に引き受けた。しかし まさかこんなに緊張するものだとは思っていなかった。

_せっかく来たんだし...福田は発想の転換を試みる。

福田は生徒達に背中を向けると黒板に何やら書き始めた。

_ _

振り返ると生徒達は怪訝そうな顔をしている。

「さて皆、水についてどう思いますか?」

突然の問に驚いたように生徒達がお互いに顔を見合わせる。

「隣の席の人と話し合ってもても構わないから、何かないかな。」

ガヤガヤと教室の中が賑やかになって来た。生徒達の発言が飛び交い始めた。

風呂 プール トイレ(皆がドッと笑う)...... 

福田は忙しくそれらを黒板に板書していく。

「でもさー」

数人の生徒が発言する。

「水って今更言われてもねー」「何か、有るのが当たり前ってかんじだもんね」

やっと反応を示した生徒達にほっとしつつも福田は待っていましたとばかりにその言葉に飛びついた。

「うん、そうだね。でも今日は水の不思議さについて話をしようと思うんだ。」

水の不思議さ?生徒達は興味を失った様子だった。福田は構わずにすすめる。

「さて質問、地球がいつ誕生したか知ってる?」 

45億年前 教室の何処からともなく答えが返ってきた。

「そう、45億年前だね。さて皆、ここで簡単な計算をして下さい。45億年を2000年の11日、今を同年の12月31日24時00分とします。

福田はいくつかの数字を黒板に板書した。 

_4億年前、50万年前、2千年前、200年前_ 

「これらは一体何月何日の何時何分に当たるでしょうか?計算してみて下さい」

生徒達がしぶしぶ計算を始めるのを見届けると、福田は吉野先生に目をむける。目が合うと福田はいたずらっぽく笑ってみせた。実はこの計算は福田が高校生の時に先生が教えた内容をもじっているのだ。

「皆、出来たかな?」

数人の反応からそう判断すると、福田は先程書いた数字の下に今度は文字を書いた。4億年前の下には植物・恐竜、50万年の下には人類、2千年前には紀元元年、200年前の下には産業革命。教室に軽いどよめき始める。

「もう皆分かったと思うけど、これは地球の歴史が分かりやすいように1年にまとめたカレンダーだね。」

「じゃあ人間は2001年が始まるほんの1時間前に地球に現れたの?」

一人の生徒が目を丸くしてたずねた。福田が肯くともう一人が言う。

「人間ってすごいんだね。1時間の間にこんなに成長したんだから。」

「でも、環境破壊とかを引き起こしているし、人間は自分が偉くって他の生き物も支配できると思っているんじゃないかな。」

何人かの生徒達が反論する。

「ウム、どちらにしても人類の歴史が地球の歴史に比べてどれだけ短いかは分かってもらえたね」

「でも、この事と水は関係が有るんですか?」

生徒達がたずねる。福田は驚いた風だった。

「もちろんさ。水が無かったら生命は誕生しなかったんだから。」

教室が再びどよめく。

福田は黒板に原始大気の再現実験の図を黒板に書くとその説明をした。

「このように当時の水の大循環を再現する事で有機物が発生することが分かっているんだ。」

「じゃあ、人間にも、作ろうと思えば生き物が作れるんじゃん。」

この質問には福田もたじろいでしまった。

「でもそれは人間が原始の大気を再現しただけであって人間が直接に“作った”わけじゃないよ」

福田は他の生徒が変わりに答えてくれてほっとすると話を元に戻す。

「さて、この水の大循環が45億年前からつずいてる事、そしてこの循環の中で生命が誕生したと言う事が分かったね。」

ここで少し内気そうな生徒が手を挙げた。

「あの、水の循環って何ですか?」

福田は説明不足を詫びると説明を始めた。実は水の大循環が今日話したい事の最も重要なテーマだったのだ。

「海の水が蒸発して大気中に昇って雲になって雨が降る...こういう一連の流れの事を言うんだ。ここで注目してもらいたいのが地球上で同じ水が同じ分だけたえず循環しているってこと。」

「じゃあ、45億年前と同じ水が今も地球上で循環されてるってことですか?」

生徒達は口々に尋ねた。

「そう。美しい海の水も、蛇口をひねって出てくる水も、すべて45億年前から地球の中を循環してきた水なんだよ。量も全く変わらない。」

へーえ...生徒達が歓喜の声を上げる。

「でもね、今日水はとても危険な状況に置かれているんだ。」

「それって環境破壊の事?」

「うん。地球カレンダーの時も何人かがそういう事を話してくれたね。水の汚染で一番やっかいなのはさっき言った“循環”が有るからなんだ。」

「分かった!汚染物質が循環と一緒にいろんな所に運ばれちゃうんでしょ!!」

「そう。なんだ、皆結構理解が早いじゃないか。」

福田がそう言うと生徒達は少し得意げに笑った。

「でもね、それ以外にも大きな問題がもう1つあるんだ」

生徒達が意外そうな顔をする。

「国連では大きく取り上げられていることなんだけど、21世紀は20世紀に石油をかけた戦争があったのと同じように水をかけた戦争が起こるだろうと言われているんだ。」

_ ウソー。そんなことある分けないじゃん! _ 福田の言葉を疑うような発言がクラス中から起こる。

「さっき45億年前から地球を循環している水の量は変わっていないって言っただろう?世界の人口は確実に増えているんだ。このまま行くと2006年には水危機が訪れるだろうと言われているんだ。」

教室が静まり返ってしまった。

吉野先生が時計を指差して合図をしている。もうすぐこの授業も終わりだ。

「さて、皆に最後にお願いがあります。」

福田は生徒達がしっかり聞いてくれている事を実感していた。

「環境破壊や人口爆発を食い止める確実な道は今の所ありません。だけどだからと言って何もしないわけには行かない、今我々に出来る事をやっていかなくていけない、そうでしょう?地球カレンダーをやってみて皆分かったと思うけど地球は人間をこの地に迎えるまですごい長い時間をかけたんだ。皆も小さな所からどうしたら汚染が食い止められるか考えてみて下さい。」

「小さな所から...そうですね。一番小さく見える部分にこそ環境破壊を食い止める手立てがあるのかもしれないですね。」

そう言いながら吉野先生が教壇へ歩いてきた。

「水の無駄使いを止める、リサイクルを心がける、一人一人が何をしたら良いか、考えてみて下さい。それを明日までの宿題にします。」

「えー!!」先生の最後の一言がクラス中にブーイングを巻き起こす。

キーン コーン カーン コーン...授業終了の鐘が鳴る。

「ハイ、終わりまーす。」

吉野先生は前言撤回しないまま教室を出る。

福田は苦笑いを浮かべつつ吉野先生について教室を後にした。生徒達は再び短い休み時間をフルに使うようだ。

校舎から出るとそらは青く澄んでいた。

建物の中から生徒達の元気に笑う声が聞こえる。

冷たい風が充実感にあふれた頬をくすぐった。

おわり 


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