「水ってなんなんだろう。」

011325 野元 陽

 

 僕は最初、うまく聞き取れずにいた。そしていきなりそう発した彼の顔を興味深そうにのぞき込んでいた。
「今、なんて言ったの?」
 僕はそう聞き返した。空には大きな白い雲が夕日に染められ、彼らは自らの体から細く紅い数本の筋を紡ぎだしている。
「いや、水ってさ。身の回りにはいっぱいあるでしょ。大切なのはわかるんだけど本当に特徴のないものだなぁって今思って。だって、色も匂いもないし。普段はそのありがたみを特に感じることもないじゃない。」
「水か...。」
僕は考え込んでしまった。水に関してじっくり考えるなんて大学の一般教養の授業以来だ。そもそも科学の苦手な僕は大学では哲学を専攻し、無難に卒業して今では広告会社の小さな下請け会社に勤めている。
 彼の家族はかつて神戸に住んでいた。あの十二年前の阪神大震災で東京の親戚の家にやってきた。彼は僕の甥っ子に当たる。あの震災の時には生活用水も極端に不足していたことを覚えている。僕は彼の幼心に痛手を与えたその出来事には直接触れないように話を進めた。
「水には色がない。」
 僕はそのフレーズをつぶやいた。
「涼一の着ているそのシャツは何色?」
 僕は彼の_そう、彼の名前は涼一という_ロングスリーブのシャツを見ながらそう聞いた。
「これは水色だよ。今は夕焼けで少し朱く見えるけど。」
「じゃぁ、今のそのシャツの色は朱なんだね。」
「まぁね。」
 僕らの間には少しの間、沈黙が流れた。彼は僕との会話の意味が一瞬わからずに、僕の深い眼球の奥底までその大きな瞳でのぞき込んでいた。しばらくして、
「今、見えているものってなんなんだろうね。」
と、彼はつぶやいた。
「色って言うのは光だよね。ぼくらは物体に反射している光を見ている。」
「光が反射してものの形だとか、色とか存在を僕らは見ることができる・・・ってことか。ある意味で僕らは偽物を認識しているわけだ。」
 なにが本物でなにが偽物なのかはわからなかった。でもきっとわかる必要はない。僕らにとって、見ている映像が現実であり、見えないものはわからない。いま目の前にある草の本当の色が緑だろうが、赤だろうが、青だろうが、「僕ら」にとって緑ならそれでいいのだ。
 僕はこんな説明をして彼にわかるかどうかは疑問だったが可能な限りで続けた。僕らは草のうえに寝ころんで空を見上げた。彼は遠くを見ながら、
「ねぇ、あの雲。」
「ん?」
「あの曇って、あれも水だよね。」
 彼は紅く染まった空に浮かぶ無数の線を指さして言った。雲は先ほどと同じような表情をしつつも、少し困ったような形に変わっていた。
「あぁ。雲は水蒸気だね。水蒸気は冷えると“白く”見えるんだ。それに太陽の光が反射して“紅く”僕らの目に映っているんだ。」
 彼は相づちを打った。
 僕は昔、川でおぼれたことがある。夏の暑い日にボートで遊んでいたときに転覆した。それ以来、水に対してはどことなく恐怖を抱えていたぼくが、いま、年下のいとこに対して水について説明している。不思議なものだ。
 思えば、僕も水が大切なものであることはわかっていた。でも、その存在の偉大さを認めるわけにはいかなかった。夏の暑い日に少し砂で濁った水が僕の体中のありとあらゆる穴から入り込んでくる。今まで清涼感を与えていた水は僕の体をまるで腕でもあるかのようにしっかりと握って話さなかった。そして、僕は水の中に沈んでゆく。彼らは僕の胃と肺の中に入りこんでくる。口や鼻や目や毛穴から、全身を取り囲み、全身から入り込んでくるのだ。苦しんだ末に僕は意識がなくなるある種の気持ちよさを感じていた。
「あぁ、僕はこうして沈んでゆくんだ。そして、その先にはなにがあるんだろう。」
 気がついたときには病院のベッドのうえだった。 
「普段、水は光を反射しないと言うこと?」
 僕は彼のその言葉ではっと我に返った。
「反射しないから水の向こう側が見えるし、水自体は見えないんだ。当たりでしょ。」
「うん。そういうことに、なるかな。たぶん。」
 僕はよく喫茶店で出されるグラスに注がれた水を思い浮かべた。少し白っぽい、透明でない氷が入っているやつだ。考えてみれば僕らは水を通してグラスの向こう側を見ることができる。でも、確実にそこに水があることも知っている。本当に水が光を反射しないなら、空気のようになにも見えないはずだ。
「でも、そこに水はある。僕も君もそれを知っている。」
「うん。」
 僕らは考え込んでしまった。秋の夕日は沈みかけている。いつの間にか「あか」が朱からフルボディーの赤ワインのような深い色に変わっている。僕らはどちらが言い出すわけでもなく立ち上がり、家路へと向かった。
 僕はここから二駅離れたところに住んでいる。彼は家族と一緒にこのあたりに住んでいる。僕らは並んで歩いていた。彼は僕を駅まで見送ってくれている途中にこう言った。
「昔ね。かき氷を作ったことがあるんだ。僕、かき氷が大好きだったんだけど、かき氷ってシロップをかけて食べていると最後は溶けてびちゃびちゃになっちゃうんだ。」
 彼はかき氷をいっぱい食べたときに抱える頭痛にしかめたような顔をして続けた。
「だから最初から水にイチゴのシロップを混ぜて凍らしたことがあったの。そうしたらピンクの
氷ができると思わない?」
 僕は彼の顔を見ずに前を向いたままだったが、素直にそう思い頷いた。
「でもね。実際に作ってみたらピンクじゃないんだよ。作った氷の外側は透明なの。真ん中に少し濃いピンク色がかたまっているんだ。それはそれできれいだったんだけど、結局、最初から味のついたかき氷を作ることはできなかった。」
 僕は特に驚きもしなかったが、水にそんな性質があるなんて知らなかった。でも、言われてみると牛乳が冷えすぎた冷蔵庫の中で半分凍ったとき、最初は濃い牛乳がでてきてそのあとで薄い水っぽい牛乳がでてきた気がする。
 そうしている間に僕らは駅に着いた。切符を買い僕が改札をくぐったあとで改札の向こうの世界から彼は僕の方へ向かって言った。
「無色なことって本当はすごいことなのかな。」
「わからないな。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」
 実際、わからなかった。なにも溶かしていないときに無色で、凍らせたときにも無色なのはわかったがそれが僕らの生活にとってすごいことなのかどうかはわからない。
「また、近いうちに遊んでよ。」
 向こうからそういって手を振る彼に対して僕は無言で、しかし笑顔で、手を振り返した。

 帰宅して、僕はサンペレグリーノが冷蔵庫に入っていないことを確認し、手にしたグラスに浄水器をとおした水道水を満たした。水はこうこうと蛇口からあふれてくる。僕は蛇口を閉め、グラスを手にソファに身を沈めた。一人暮らしには少し大きい革張りのソファで、僕はたまにその上で寝てしまう。天井には秋になり行き場を失った一匹の蚊が張り付いている。僕は手を伸ばしてその蚊をつぶすのも面倒なのでグラス越しに眺めていた。水は相変わらず沈黙を続けている。彼には僕にその偉大さを伝える気はないのだろうか。

 彼がその長い沈黙を破ったのは深夜に降り始めた雨としてだった。僕はそれまで眠れずにずっとソファのうえで、ただ暴力的に流れるTVコマーシャルを見ていた。音もなく降る雨に気づいた僕はバルコニーにでて外の景色を眺めた。遠くに湾岸のビル群がかすんで赤い光を発している。あのビルの向こう側になにがあるのか、僕は知らない。そんな遠くのことを考えながら、ただ降りゆく雨を見ていた。バルコニーに残ったのは数種類の観葉植物とサンペレグリーノの空き瓶とエアコンの室外機だけだ。この雨はやがて河川に吸い込まれて海へと流れゆく。そして乾き、また雨となって僕らを湿らす。彼らは廻り続ける。僕はどうだ。僕の命は何処へゆくのか。僕の意志は何処へゆくのだろうか。僕らも廻り続けるのだろうか。そして水は地上を潤し、僕らを潤している。僕はその潤された生命を食べ、潤された自然を壊してゆく。僕はなんのために存在しているのか。僕は誰も、なにも潤すことができない。人間が今作り上げた世界は神が望んだ世界なのか。

 ぼくは部屋へ戻り、再びグラスを手に取った。グラス越しに見る世界は_つまり世界として見える光は_ゆがんでいる。水は光を屈折させその存在を僕に見せている。水はそこにある。僕はここにいる。それ以上のものはない。

 翌朝も静かな雨は降り続いていた。僕は友人からもらいうけたアルファロメオに乗り込み、古くなったエンジンが暖まるのを待って仕事場へと向かった。仕事場は便宜上、青山にある。このあたりが広告業界のオフィスとしては都合がいい。僕とアルファロメオは246号線を青山一丁目方面に向かっていた。雨の日の都心は車が多く、朝から渋滞していた。_8時45分_、時計はそう刻み、刻々と時間は過ぎていく。道路は両車線ともなかなか動かない。僕は動かすたびにきしむワイパーを止め、たばこに火をつけた。

「いっそのこと、車を道路脇に停めて歩いてしまおうか。」

 そう考えていたが駐車違反をとられても面倒なので、もう少し待つことにした。フロントガラスのうえに水滴がついている。きれいな珠の形をした水玉だ。最初のうちはある程度たまった水滴をワイパーで一掃していたが、僕はだんだんとその水をまじまじと眺めていた。

「普段、形もなく流れてしまう水はこんなにも丸い形になれるのか。」

 やっと僕は仕事場に着くことができた。たかだか2kmの道のりに30分もかけてしまった。歩くのと同じ速さだ。やれやれ。僕はビルの前の駐車スペースに車を停め、小走りでデスクについた。そして、今日も淡々と広告を作り続けている。自分ではクリエイティヴな仕事はしていない。ただ、電通やらなんやらから回ってくる仕事の下請けなのだ。たまに社会に向けて発信したくなる。

「俺があの広告を作ったんだ。」

 そんな仕事がしたい。でも、実際は広告のコンテや道具の調達が主な仕事だ。毎日毎日、同じようなことの繰り返し。まさに降っては空に帰る水のようだ。唯一の違いは僕は水と違って人のためにならないこと。僕が生活するためのお金にしか役立っていない。僕の代わりなんていくらでもいる。僕がいなくても経済はおろか社会にはなんの損失もない。

 そして、今日も生きるという単純作業を繰り返していく。

 考えてみればたいていの生物は自分が生きるための単純作業しかしていないのではないか。みんな子孫を残すために生き、生きるために食べ、食べるために活動している。活動が生きることと同義なら、食べるために生きているのだ。人間はいつから変わったのか。生きるうえで人間に必要になったことは多すぎる。テレビも本も教育も金も趣味も。社会のなにもかもがそうだ。そして人間は空気を汚し、水を汚し、自然を壊した。挙げ句の果てにきれいな空気、おいしい水、鉢植えの植物を求め、自分の身の回りだけ改善してそのほかを犠牲にしている。都市冷房はビルの中を冷やしビルの外を灼熱に包み込む。ペットボトルの水を製品にするにはほかのエネルギーや資源が必要になる。そしてこれらはさらに環境を破壊する。この悪循環が人間が生きること以上を求めた代償であろう。そして、その代償を被るのは時には洪水やカルキ臭い水にさいなまれる人間であるが、大半は自然とその自然に生きる者達である。

「神が絶対ならこの事態も予測していただろう。神はこうなることを望んだのか。それとも、人間が神を越えてしまったのか。それとも・・・。」

 また、今年も例年の通り、一年が終わろうとしていた。二〇〇七年は大きな事件もなかった。地球の人口は前年に六〇億人を突破し、いまや中国はEUを抜いて世界第二位のGDPを誇る。日本は結局、景気が回復せずに今ではバブル期とその後一〇年間の負債に悩まされている。そもそも日本という国はマーケットとしては小さく、中国やインドの生活水準が上がるに従って、相対的に日本の国際的立場は低くなっている。広告業界だって各国の広告代理店と提携してグローバルな広告というものを創らないとならない。そのうち日本で流通する広告のほとんどは外国で制作され、日本版としての手直しを受けて入ってくるだろう。日本は再び物価が下がらないとかつてのような繁栄を手に入れることはできないだろうが、既に物価はインターナショナルなものとなり、物価はなかなか下がらない。物価に限らず、世界の思想や文化、国民性までもが今や画一化へと向かっている。

 明るいニュースは_もちろん中には手放しに喜べないものもあるが_人類の科学の発達であろう。発電は発電された電気で約一〇倍もの発電をする事ができるようになった。よって原子力発電所の問題などないし、発電用の新エネルギーを開発する必要がなくなった。化学反応により人工的に酸素を作り出すことに成功し地球上の酸素量、及びオゾン層を修復することができた。おかげで軽い気体は地球外に飛んでいってしまい、生態系に変化が生じたが、海面を下げることはできたし、人間の健康には良かったようだ。生態系はまず植物が減り、それに伴い動植物の減少・絶滅などの影響が出た。また、奇形の動植物も何種類か発見された。幸いにも、人間に必要な食料となるような動植物は遺伝子操作によって味も品質も向上している。飲料水も現在では海から底なしに浄水できるので数年前に国連が予想していたような「水戦争」にはならなかった。

「野元君。このコピーの字体を変えておいて。七時までね。」

 そういって僕に書類とそのデータの入ったチップと渡して上司は僕を見下ろしていた。まるで、ぼーとしているのなら僕をクビにして派遣会社から人を雇うわよ、といわんばかりの目つきで。僕はコーヒーでのどを潤して仕事に取りかかった。

 二〇〇八年の夏、僕は再び涼一に会った。あれからもう八ヶ月も経ってしまった。彼は一八歳になり大学生になっていた。僕が大学生だった頃は某私立のW大学とK大学がメジャーだったが、いまでは大学のネームヴァリューのプライオリティーは下がり、それよりも社会では具体的なスキルが問われるようになった。ただもちろんW大なりK大は頭の良い人達が集まるのでそういう点では評価されていたし、むしろ一番の被害を被ったのは昔からある中堅的な大学である。少子化によって大学も生き残りに向けて奮闘している。涼一は偶然にも僕と同じ大学に入学しリベラルアーツの思想のもと勉学に勤しんでいる。現在は夏休みらしく、彼は大学生活の報告をしてくれた。英語教育プログラムが大変だとか、いまだに校舎がきたないだとか、学校が維持のために敷地の一〇%を売ってしまったとか、云々。

「以前に水の話をしたことを覚えている?」
 彼は昨年のことを僕に聞いてきた。
「ああ。」
 僕は言葉少なげに返事をした。
「この前、一般教養の授業で習ったんだ。水の特徴についてね。」
 そうか、あの授業はまだやっているのか。
「水っておもしろいんだよ。毛細管現象で高い木のてっぺんまで登っちゃうし、凍ると体積が増えるし、・・・」
 僕の時にあの授業を担当していた教授はまだいるのだろうか。
「昔はね。水について一通り考えて、そのあとで人間の役割とか自分たちにできることを考えたんだって。」
 そうだ。あのときに僕は地球の一生と一年と考えるアクティビティーをして人間がこの短い歴史の中でいかにして水につきあい、汚してきたかを考えた。
 空には入道雲が出ている。夏の暑い日差しが真上から降り注いでくる。僕は自分の大学生活を思いだし空の白いキャンバスに映し出していた。
「なつかしいな。」
 そう僕は答えた。
「おじさんもとってたんだ。あの授業。じゃあ、最後にさ。『科学者になるための秘訣』ってやった?」
 (科学者になるための秘訣)?そんなものはやっていない。僕らは自分たちになにができるかをやったんだ。
「いや。それは先生がみんなに科学者になれって言っていたのか?」
「別にそういう訳じゃないけど、今は水の使用能率も上がったし、下水設備とかもしっかり整備されたし。僕らが何かしなくてもいいからね。」
 僕は唖然とした。確かに一人一人のアクションよりも科学の進歩は人間を助けてきたかもしれない。だが、人間は今や自然と共生できなくなってしまった。かつてアインシュタインは宇宙式なるものを用いて科学で説明できない領域を神の領域とした。別に限界を設定することを望んでいるわけではないが人間は何処まで行けばいいのだろう。
 ぼくらはそれ以上、話をしなかった。別にどちらからも話したい内容がなかったからだ。日が暮れはじめて僕はこう言った。
「僕らは自然の一部なのかな。自然は神の一部なんだろうか。僕らは自然に還るのか。神のもとに還るのか。誰が知っているんだろう。」
 彼の顔はいつしかのように紅く染められていた。僕らにはまだ赤い血が流れている。泣ける涙もある。めまぐるしく社会や科学が変わってもそれらはまるで手や身体を貫く杭のように僕らを二〇〇〇余年の時を越え十字架にはりつけている。

                                 平成11年11月26日 


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