「水と日本文化」

011332 落合美雪

 

●序

問.( )に入る言葉を答えなさい。

 ・( )に流す

 ・( )かけ論

 ・我伝引( )

 ・( )入らず

 ・( )を差す

 ・魚心あれば( )心

 答えは水である。今さらそんなこと、というくらい簡単な問題であろう。しかしこれを簡単だと思うということは、これらのことわざや言いまわしがとても身近で誰でも知っているようなものだ、ということである。ことわざだけではない。日本語には水の状態を表す擬音語も、数え上げたらきりがないくらいたくさんある。ちゃぷちゃぷ、しとしと、びしょびしょ、なみなみ…。少し考えただけでもかなりの数が思い浮かぶはずだ。  

 もし水がとるにたらないものだとしたら、水に関することわざや水を表現する言葉がこれほどたくさんあるのはなぜなのか。ここでは、水と日本文化との関わりを検証する。

●水と日本語

 先に上げたことわざの中には、日本人と水の関わりが由来となっているものがある。例えば我田引水は、もともと自分の田んぼにだけ水を引こうとすることを戒めた言葉であるし、水かけ論は雨乞いの儀式からきている。山の神の山からくんできた水を樽の中に入れ、青年達が二手に分かれて水をかけあうと、空気の移動がおこって雨が降ると信じられていたのだが、この決して勝負をつけてはいけない争いが水かけ論争と呼ばれていた。ことわざの他にも、日本語には擬音語が数多くあることを指摘した。これらの言葉は、ぷくぷくとぶくぶく、ぽたぽたとぼたぼたのように濁点で違った意味になったり、ぼこぼこは“水中の空気が水面に続けて浮き上がる時出る音”、ごぼごぼは“空気と液体が混ざり合って出る音”、ぶくぶくなら“泡が出る音”、というように細かい区別がなされている。それだけ水を細かくする表現する必要があった、またはそれほど水は身近なものであった、ということができるのではないだろうか。

●水と生活習慣

日本は世界の中でも湿潤な気候を持つ国である。しかし日本人は湿気の多い気候を拒否するのではなく、水気を生活にとりいれてきた。例えば湿気が多くて困ることといったらカビがあげられるが、日本人は逆にこれを利用して多くの発酵食品を考え出した。味噌、醤油、漬物、納豆など、身近なものばかりである。また、日本の住宅が木や土や紙で作られてきたのも、湿気を防ぐためと考えられる。加えて、日本独特の和装も、湿気との付き合いから生まれたものである。和服は体にぴったりするのではなく、服と体の間に余裕を持たせて通気性をよくすることができる。履き物も、下駄や草履が主流で靴がなかなか定着しなかったのは通気性がよかったからだ。現代では靴を履くようになったが、そのことで日本人は水虫という、一種のカビの悩まされることになってしまうのである。これらの例は、日本人が水に合わせて生活習慣をつくってきた印なのだ。

●水と美的感覚

水は日本人独特の美に対する感受性も育てた。水が形を変えた自然現象である雲、霞、露などは、日本の絵画や歌、文学にとって欠かせない主題となってきた。また、庭にも水の演出として池や川をつくることが多い。この点は、鮮やかな緑の芝生のある西洋的な庭とは大きく異なる。枯れている、ということに風情を感じるのも、水に対して美しさを感じる裏返しととることができる。庭園方式のうち、水を使わずに石や砂で流水や池を表現する「枯山水」というものがある。水なしで水を表そうとして、水の形を追究した結果、枯れの文化が生まれたのであろう。

色に対しても、日本人は淡い色を好むという傾向がある。例えば、海外で好まれるのはもっぱら濃い色の八重桜であるのに対し、日本人に人気があるのは山桜で、こちらはほとんど白に近いようなピンク色である。

また、美しさを表現する日本語のひとつとして「みずみずしい」がある。美しさを表現するのに「水分をたくさん含んでいる状態」を指すことからも、日本人の水のイメージがみてとれる。「烏の濡れ羽色」という言いまわしなどはこのよい例である。このように、水は日本人の美的感覚をも養ってきたのである。

●水と自然観

 農耕民族、特に稲作がさかんであった日本人の生活は、水との共存生活と言っても過言ではない。日本人は昔から川のそばで生活してきた。日本の川は、地形的な理由から流れが速いため、たとえばゴミを捨ててもあっという間に流してくれる。すぐに目の前から消えてしまうので、すぐに忘れることができる。この川の役割という連想から、汚いものや悪いことは川に捨ててしまって忘れましょう、「水に流しましょう」という考え方が生まれたと考えられる。

 また、稲作にはたくさんの水が必要である。しかし日本の地形は斜面が多く、斜面の中で水を思い通りに利用することは大変困難なことであった。水はどんなに望んでも斜面を上っていってはくれないし、水が上から下に流れることはどうしても変えられない。しかも、収穫を目前にしてもひとたび嵐がきてしまえば努力が無になる、あきらめるしかない、という経験も何度もあった。これらによって、「自然には逆らえない、順応するのがよいのだ」という日本人独特の自然観や順応性、立ち直りの早さが形成されていったのである。

●水と日本人の性格

 水との共存生活はまた、日本人同士の共同生活にも影響を与えた。農耕に必要な灌漑施設を作るのは、とても一人でできることではない。そこで、水を使う人が集まって共同体をつくることになる。共同体には水長がいて、水の分配を管理していた。水の共同使用を通して一つの農村がまとまっており、個人が勝手に水をひいたりすることはできないという掟があった。つまり個人よりも農村共同体を維持していくことの方が重要視されていたのである。

 このような共同体重視の生活と、日本人の正確との結びつきは強い。日本人がよく使う言葉に「済みません」があるが、この「済む」は「澄む」と同義であったという指摘がある。そうだとすると、「済みません」はお詫びしてもしきれないから「済んでいない」という意味に加え、きれいな川の流れを邪魔したりきたなくして「澄まない」という含みがあるとも考えられる。つまり、「済みません」という謝罪の仕方には、罪を意識して反省するというよりは、流れに従わなかった私がいけなかった、という気持ちが現われているのではないだろうか。この言葉には、トラブルが発生したときとりあえずあやまっておいてその場をおさめ、水に流して次に進みましょうという空気がある。日本人は人間関係の上で対立を好まない。心でどう思っていようと、すくなくとも表面上はスムーズに事が運ぶような対応をする。なぜなら、わだかまりは「水に流」して次に進んだ方が、共同体の仕事はスムーズに進むからである。このように、水は日本人の性格にも根ざしているのだ。

●まとめ

日本人にとって、自然とつきあうということは水とつきあうことであった。水を治め、使用していく過程から、生活習慣や美的感覚、自然観や人との関わり方までがつくられたのである。当たり前に口にしている言葉や食べ物も、もとをたどれば水に行き着くことがわかった。水は日本人にとってとるにたらないものなどでは決してなく、切っても切れない関係にある、大切なものなのではないだろうか。

 

●参考文献

朝野鶴子、金田一春彦(1978) 擬音語・擬態語辞典 角川書店

樋口清之(1990) 水と日本人_日本人はなぜ水に流したがるのか ガイア

ひろさちや他(1994) 川と文化 朝日カルチャーセンター


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