まず課題のプリントを見たときに、列挙されている危険性の多さに驚いた。そしてDHMOという謎めいた名称にも危険な感じを覚えた。はじめに軽く流して読んだときにはそうした記述に圧倒されて「さてあなたならこの規制に賛成し、呼びかけに応じて署名をするでしょうか?」という問いをなぜわざわざ聞くのだろうと不思議に思うくらいだった。こうして危険が明らかになっているのなら、すぐサインをするべきだとも思った。しかし、あえて設問になっているからには何かあるのだろうと、もう一度じっくり読んでみることにした。
@ 署名に直ちに応じるか
よくよく読んでいくと、1〜15までの項目にいくつもの不審な点を見つけた。まず、DHMOとは何なのかが明示されていないのである。普通ならHcl(塩酸)やDNA(Deoxyribonucleic acid)などというように、化学式や略称のあとにはその物質の説明が付くはずであるが、文中にはそれらしきものが一切ない。あえて正体を明かすことを避けているようで怪しい。危険性を訴えている(かに思われる)各項目もあまりにも端的で、危険であるという結果ばかりが強調され、なぜそういう事が起きるのか具体的なことはわからない。また7,8、10をはじめ多くの項目は、このDHMOという物質でなくとも当てはまるので、DHMOが危険な物質だと思わせるために無理やり設けた記述という印象を受ける。1の「毎年多くの人を死に至らしめている」というのも漠然としすぎている。きちんと考えながら目を通していくと、こうしたさまざまな疑問が出てきた。この文章だけではDHMOという物質の姿が見えてこないので、私はすぐには署名できないと思った。
A DHMOとは一体何か
ではDHMOとは何なのか。手がかりを探すために、項目を1から順にみていくことにした。これだけ危険と言われている物質が無味無臭、無色というのは不気味さが増す。もし身近にあっても気づかないということだ。また水酸の一種ということだが、水酸という名称を私は聞いたことがない。何か別のものの言い換えなのだろうか?項目3で「酸とアルカリを中和した際などに生じる副産物にも大量に含まれている」とある。まず思い浮かぶのは小中学校でやった塩酸と水酸化ナトリウムの中和実験である。そのときに生じるのは塩と水と習った。1つ前の項目2において「酸性雨の主成分」とあるので、塩と水のうち当てはまるとしたら水である。しかし私は化学の知識に乏しいので、どの酸やアルカリを中和しても必ず塩と水が生じるのかどうかがわからず、物質によっては違う結果になるのかもしれないと思い、DHMO=水とは断定せず、候補のひとつにとどめておくことにした。改めて最後まで読んでいくと、確かに水ならあてはまるが、水ではない何か他の物質があるのではないかとも思い最後までDHMOが何かはよくわからなかった。
B 謎が打ち明けられてどう思ったか
プリント記載のリンク先(http://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO)で事実を知ったときの感想は「なんだ、水か」だった。ある程度予想はしていたものの、まさか水なんて単純な結果ではないだろうと思って頭をひねっていたので、やはり水だと言われるとなんだか気が抜けたというのが正直なところだった。しかし水とわかった上で各項目を確認していくと、たしかにどれも嘘は言っていないのだ。逆に水があらゆるところに存在し、様々に使われているということに驚く。もしも1つ1つの事実を別のトピックの中の一部分として話されたら何とも思わなかっただろう。たとえば項目11にあるように、あるバイオテクノロジーの作業の説明を聞いて水を使うと言われても何の不思議も感じないだろうし、自転車を屋根のない場所で保管すると早く錆びると聞いてもあたりまえだと思うだけだ。しかしそれらすべてを一遍に見せられると、そのあまりの性質や用途の多さに戸惑ってしまい、DHMOという名前までつけられるとますますそれが水とはわからなくなってしまうのである。実際、この授業の別のレポートで身近な水の問題を考えたときも、ここまで色々な事は思いつかなかった。最初の設問で私はDHMOの使用規制に署名しないと言ったが、今回のように論理的に考える時間が与えられ場合はともかく、街頭アンケートのような形式でなどですぐに返事を求められた場合、果たして同じような考えにたどり着くかは自信がない。
このDHMOの例では、プロパガンダや詐欺の手法を見せつけられただけでなく私たちが普段いかに水の存在を意識していないかがわかった。普段つかう機械類を作る過程にも、食物自身に含まれているのはもちろんそれを育てるまでにも大量に使われている。細胞の中から地球、宇宙規模までありとあらゆるところに欠かせない水。水が関わるすべてのものに反応していたらそれこそ切りがなくなるが、もっと水の特異性とそれによっていかに恩恵を受けているのかを考える機会があってもいいのではないか?
『星の王子さま』で知られるサン=テグジュペリは「水はこころにもおいしいものなのかもしれない…」という言葉を作品中に残している(註1)。これは決して物語のつなぎなどではなく、現実の私たちにも言えることだと思う。そこにせせらぎがあれば、人は落ち着いた気分になれるし、多くの人が滝や川、湖を観光に訪れる。私たちは物理的にも精神的にも水を必要としているのだ。
DHMOは幸いにも危険な有害物質ではなく水であったが、しかし最初に読んだときに水とは知らなかったとはいえ恐ろしさを覚えたのは事実だ。このことで水に対しての認識の甘さを知った。DHMOの危険さを訴えるために並べられた項目ひとつひとつを考えると、逆に水がこれらのすべてを担っているということに驚く。この課題を通じて改めて授業で繰り返し教わった「水はありふれたものではない、特徴がないものでもない、驚異の物質」ということをかみしめた。
註1:出典は『夢を見る言葉』サン=テグジュペリ 山口昌弘 著 イーストプレス 2006。
参考