@:結論から言ってしまえばおそらく私は署名をしないと思います。
そもそもDHMOという化学物質を私は聞いたことがありませんし、しかもこの署名を行っているのは14歳の少年です。これがもし有名な研究者が呼びかけているというのならまた話しは変わってきますが、果たして14歳の少年がそれほどの知識を持っているのでしょうか?さらに私の不信感をあおっているのが彼が挙げたこの物質の危険性についてです。項目11ではジャンクフードに大量に含まれると書いてあり、項目13では農薬散布に使われているとあり、14では金属を腐食される、さらに9では発電にさえ使われるとあります。私は科学的な知識は正直あまりありませんが、ハンバーガーに入っている物質が発電に使われるとはとてもじゃありませんが考えられません。金属を腐食させるのになぜハンバーガーには影響がないのでしょうか?これ以外にも書き方が大げさといいますか、このDHMOが全ての害の源のような描写をしていて、仮にこれが科学的に立証されているのであれば国際的な問題になっているはずであり、すでに述べましたがこれを14歳の少年に渡されて署名してくれといわれても、あまり信用できないというのが私の本音です。実際には50名に求めて43名のサインを得ているわけですが、おそらくそれを考慮しても私は署名しないと思います。少なくとも自分でリサーチをした上で署名することはあっても、その場で直ちに署名するということはないと思います。問題が問題なだけにあまり安易な同意は自分にも責任が出てきてしまうので。
A:@でも述べましたが、私はDHMOなる物質が存在するとは考えられません(もちろん科学的根拠があるわけではないですが)。
なので、おそらくこれは何かの暗喩ではないかと思います。つまりDHMOとは特定の物質を表している言葉ではなく、現在(と言ってもこの少年がこれを発表したのは1997年ですが)の環境問題全般における暗示のようなものではないでしょうか?それでは具体的にはなにを暗示しているのか、何の比喩なのか、というと私は「我々一人ひとりの精神、心」であると思います。世界、特に先進国における生活水準は現在非常に高い水準にあると言えます。日本においても戦後から高度経済成長を経て現在ではとても豊かな生活を営むことが可能となりました。そんな中で資本主義が浸透し、何よりもまず経済が最優先になってしまい自己の利益の追求ばかりを追い求めてしまい歯止めが利かなくなっていると私は思います。「この物質の使用規制を求めて」というのはまさにこういった自我、私欲と言ったものの規制を求めているのではないでしょうか?
このような考えを基にもう一度彼が列挙した項目群に目を通すとまた違った可能性、意味が見えてきます。例えば項目1、無色、無臭、透明ながら無数の人々をしに至らしめているとありますが、人間の心、精神はもちろん目には見えませんし、匂いもしません。ですがそれが生み出す戦争や争いにより多くの人々が死に至らしめられています。ジャンクフードに多量に混在していると言いますが、おそらくこれは狂牛病、つまりBSE問題のことではないでしょうか。利益のためや、面倒くさいと言った理由できちんと牛を管理せずに平気で販売している業者の比喩であると考えられます。11のバイオテクノロジー分野における動物実験で用いられている、というのも人間のエゴではないでしょうか。この危険な物質はアメリカ中の工場で冷却、洗浄、溶解などとして何の規制もなく使用、排出され結果として全米の川、湖、果ては母乳や南極の氷まで検出されるとネイサン少年は訴えたと書いてありますが、これは彼が人間の私利私欲が地球の果てとも言える南極や、逆に母乳、つまり人間自身にまで悪影響を及ぼすことを危惧しているということだと思います。14歳のネイサン少年なりの社会、そしてそこに住む人間の精神に対する警告、それがDHMOの署名を訴えた本当の意味ではないかと私は思います。
B:まさかDHMOが水のことでジョークの一種とはまったく思いつきませんでした。
正直、まずがっかりしました。自分の推理がまったく違ったので(水の授業なのでもっと水に注目していれば...)、答えを見た後自分の@やAの文を見ると少し恥ずかしくなります。ただ、50人中43人がだまされて署名してしまったのに見抜けないまでも署名しなかった(実際にそうなったときどうなるかわかりませんが)のは誇れるのかも(!?)しれません。それはさておき、Wikipediaによれば、これは一般的にいかに人間が騙されやすいかを調査した、いわゆるジョーク、あるいはいじわる問題としてみなされているらしいですが、私にはこれがただのジョークと受け取りそれで片付けてしまうのはいささか安易であると思います。注目しなければいけないのはここには嘘は一つも書かれていないということです。つまり(もちろんレトリックは使われていますが)これらの項目にかかれている性質は水が持っている性質であるということです。
私はここにただただ感動、感激しました。なぜなら、私は@において「ハンバーガーに入っている物質が発電に使われるとはとてもじゃありませんが考えられません。金属を腐食させるのになぜハンバーガーには影響がないのでしょうか?」と書いています。答えを知る前の「私の常識」の中にはこのような性質を兼ね備えた物質(=水)は存在していなかったわけです。つまり私のこれだけ毎日の生活に関係している、おそらく目にしない、あるいは飲まない日は一日だってない水は、同時に私にとって全く存在するとは考えられないものなのです。そのように考えると、水の性質というものがどれだけ特異なものかがよくわかります。ある意味では、まさに「ジョークのような物質」なのかもしれません。
Wikipediaに類似のジョークとしてパンの例が載っていましたが、おそらくパンに関して同じような規制を促すキャンペーンを行っても水のときほど署名は集まらないのではないでしょうか。これは私の個人的な考えなのですがなぜパンの場合はそれほど引っかからないかというと、それはパン自体に水のような特別な性質がないからだと思います。パンのジョークの項目を見てみると、実はパン自体の特性による項目は一つもないのがわかります。なのでパンをご飯に変えようと、同じジョークは作れると思われます。しかしながら、水の方はおそらく替えのきく物質はないと思います。どちらもジョークにかわりはないのかもしれませんが、これら二つのジョークで決定的に違うのは「パンは危険ではない」のに対して、「水は危険物質となりうる」というところだと私は考えます。考えてみれば、我々の日常生活において水は大きな脅威であります。毎年洪水により多くの被害が出ているのをニュースで見ますし、水害によって多くの命が奪われているのも事実です。雨季などには我々の精神までどんよりとさせます。実際に今回の調査においても50人中43人が水という物質の性質に対して恐怖を感じ規制に同意したわけです。
その一方で我々は常に水の恩恵も同時に受けており、水なしでは一週間と生きることは出来ないでしょう。人類は誕生してから、それどころか地球上の全ての生命はたんじょうしてからこれらの恩恵と脅威を同時に受け続けているのだと思います。これまで述べてきたように、DHMOについて考察して、最初にまず感じたのが水という物質は当然のように私の周りにありますがその性質は当然どころか信じられない、常識的に考えられないものであるいうことです。そしてそのあと感じたのは水は人間にとって絶対必要不可欠なものである一方で、同時に恐ろしい物質であるということです。水がなければ死なずに済んだ人もいるのに誰一人として水なしでは生きていけないという点に矛盾ともどかしさ、そして感動を覚えます。そしておそらくネイサン少年は意図していないと思われますが、規制を訴えているところにまさに矛盾点が表れており皮肉を感じずにいられません。