水からの報告

小山 剛

 

Abstract

  2006年9月物理学会にて九州大学の助手高尾正治が言葉の意味が水の中の元素の核変換を起こすと発表して、多くの批判を浴びた。彼の共同研究者である江本勝は「水からの伝言」などの書を著し、「水」には言葉がわかると主張して一部教育界に影響を与えている。水とのふれあいの現象や水への極度の期待が水に感情を持たせていることがわかる。そして、批判的思考を持ち科学と触れ合うことで疑わしい情報に惑わされることは少なくなる。

 

 2006年9月九州大学の助手高尾正治が「ばかやろう」などの紙を水の入ったビーカーに入れると7日間でカルシウムができると発表して、「科学ではない」と多くの批判を浴びた。このような学説は、自然科学の研究者の間ではほとんどまともに相手にされていないが、彼の共同研究者である江本勝が著した水には言葉が理解できると主張する「水からの伝言」という本は出版冊数が19万冊を超え、一部の教育の場でも使用され問題となった。「科学的」と言われながら「科学的」に疑わしいと言われるものに水にかかわるものが多い。例えば、浄水器、「マイナスイオン」を発する滝。その理由として考えられるのが、人間と水との距離関係と自分の価値観を自然科学の論理は説明してくれるだろうという科学技術への過度の期待がある。

 

 人々は、書籍や雑誌、広告やテレビ番組でなにかに効く水の話がされるとすぐ飛びつく。そのために、「水からの伝言」はベストセラーになり外国語に翻訳までされたし、「マイナスイオン」を発する浄水器は今でも人気商品である。人々は、水に過剰な期待をかけている。水がまるで救世主であるかのように。理由は人間と水の距離にある。平成15年に国土交通省の行った河川の利用実態をはかる「河川水辺の国勢調査」によれば、河川の利用の半数を水の中に入らない「散歩」が占め、「水遊び」「釣り」はあわせて一割を超えるぐらいである。このことから、水と触れ合う機会が少ないということが言える。統計が始まった平成5.6年に比べて三分の一ほど減っており、長期的に見ないとなんともいえないが徐々に水と触れ合う機会は減っている可能性がある。水と触れ合うことで水の性質・特質などに出会い、もちろん水に驚きを感じることも多いだろうけれども、過剰なほどまでに水に魔力を感じることはなくなるだろう。水の存在を知りながら、水の実体験があまり多くない状態では、水がなんとなく良さそうという抽象的なイメージができやすい。そして、メディアが助長することがある。例えば、2003年3月2日の読売新聞西部版にはマイナスイオンが含まれる病院の温泉施設についての記事がある。もちろん、この記事自身意図して誤った情報をばら撒いて何らかの利益を得ようとするものではないがメディアに不確かな情報が流れる可能性を示している。

「水からの伝言」の影響は、とうとう学校教育までにも達した。毎日新聞は、自由研究に植物にきれいな言葉と汚い言葉をかけるという実験をして提出した生徒がいると報道した。「教育技術法則化運動」という学校教育のマニュアルを作ろうとしている団体のウェブサイトに載せられ、いくつかの学校でこれに基づいた道徳の授業がなされたという。つまり、「『ばかやろう』という言葉を使ってはならない」という「正しい価値」を肯定化するために科学が使われているということを意味している。これは、果たしていいことだろうか。かつて、ナチス・ドイツは「アーリア人種の素晴らしさ」を説明するために「優生学」という科学をゆがめたものを使用し、その結果ユダヤ人、ロマなどに対して差別的政策が採られたことは歴史上の事実であり、「水からの伝言」はその再来にも見える。科学とは、ある思想や価値観を正当化する目的の道具ではなくただ知ることの喜びの探求である。そして、「美しい言葉」というものは、別に物理学や化学が証明したから美しいのではなくまして「水」の結晶がきれいだからなどではなく、ちゃんと相手への適切な感情がこめられているからその価値があるのである。

私達が、「水からの伝言」などの疑わしい話を信じないためにはどうしたらいいだろうか。残念ながら、高価な実験器具は普通一般家庭にはないし、理系の大学を出た人ならまわりにいるかもしれないが相談できる研究者はそうそういないそれに、常にだれかの意見を仰ぐということはその人の意見に盲目的に服従することを意味しており、従う対象が不確かな情報から研究者に変わっただけである。ならば、自分で気をつけるしかない。ここでは三つ提案する。まず、テレビ番組などで紹介される「体に良さそうな」話は、鵜呑みにするのではなく関係するような雑誌、書籍などを読んでみて比較する。少なくとも、番組を見てすぐスーパーに駆け込んだりはしない。次に、上と重複する話になるが、当たり前だと思われていることでも何でだろうと考える癖をつける。日常生活では難しいかもしれないが、暇のとき、ふと思いついたときにやってみるといいだろう。最後に、科学と触れ合うということである。簡単にできることは科学館にいくことである。科学館では誰でもわかるような言葉で原理が説明されている。もっと身近に科学技術を感じる方法には実験してみるという方法がある。例えば、「水からの伝言」に関したことで言うならば中谷宇吉郎が作ったような立派な人工雪を作る装置は家にはないがペットボトルとドライアイスで人工雪を作る方法がある。科学技術が実は身近にあることを知ることで、魔法のような方法ですべてが解決するという発想はなくなるのではないだろうか。

 

参考文献

 


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