都市化と自然の水循環

―東京の地下水脈の回復―

    尾国由実      

<要約>

 東京は、豊かな地下水脈によって発展や暮らしが支えられてきた町である。しかしながら、戦後の産業発展による工業用水の過剰なくみ上げは地盤を沈下させ、都市化による住宅開発やアスファルトの舗装道路は、雨水を地中へ浸透させる事を阻止して河川や湧水を枯渇させた。これは、本来自然が持っている水循環システムの崩壊を意味する。これに対し、東京都や市区町村は、緑地の拡大による雨水浸透域の拡大や、雨水浸透設備の推進を目指して様々な取り組みを行っている。このうち、個人が出来る取り組みとしては「雨水浸透ます」の設置が挙げられる。しかしながら、その様な施設工事を行う以前に、まずは私達が自然の水循環の大切さや、水資源の大切さに対する意識を高め、「節水」を心がけるなどの身近な行動から始めるべきではないだろうか。

 

<本文>

 「自然の水循環」とは一体どの様なものであろうか。平成11年4月に制定された「東京都水循環マスタープラン」によれば、それは「地上に降り注いだ雨が地中へ浸透し、土壌水や地下水となって保存され、地表に湧き出し川となって海へ注ぎ、蒸発して再び雨となる。」という自然の循環システムの事であると説明されている。

 東京は江戸時代から、豊かな地下水脈から生じる湧き水や井戸水に支えられて発達した町であった。秩父奥多摩川山系に降った雨水は武蔵野台地の下を流れて平野を下り、東京中を巡る巨大地下水源となる。これこそが、東京発展の命の源であったのだ。この命の源は戦前・戦後を通して井戸水として利用され、飲み水や洗濯水として庶民のくらしを支えて来た。

 しかしながら、高度成長期における工業用水の過剰なくみ上げは地下水位減少させ、地盤沈下を引き起こす原因となった。また、急速な都市化と住宅地開発による農地・緑地の減少、そしてアスファルト舗装された道路の増加は、雨水が地下に吸収される事を防ぎ、結果雨水の多くが下水道へ捨てられる状況となった。結果、河川の水量が減少し、井戸水や湧水が枯渇するといった問題が生じてきた。「東京都水循環マスタープラン」によると、明治期以後に枯れてしまった湧水は、都心部で180箇所以上にのぼる。また、下の表は、昭和61年と平成3年における雨水浸透域を比較したものである。そこからは、区部・多摩地域、共にアスファルトの被覆率の増加に伴って、雨水浸透率が減少している事が読み取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表1. 「東京都水循環マスタープランの概要」より抜粋

 

 こうした都市化による水循環システムの崩壊を受けて、現在、東京都や各市区町村は、地下水脈を取り戻すための様々な取り組みを行っている。都の政策計画として挙げられるのが、前から述べている「東京都水循環マスタープラン」である。ここでは、4つの基本理念(@環境に与える負荷が小さい水循環の創造 A人と自然との共生をはぐくむ水循環の形成 B都市における効率的な水循環の構築 C平常時の豊かで快適な水循環と異常・災害時の安全な水循環の実現)を設定し、2015年を目安とした7つの基本目標(@水の利用 A普段の水の流れ B水の潤い Cきれいな水 D水の持つ熱エネルギー E浸水被害の防止 F大規模災害時の水)を掲げた。その内の「普段の水の流れ」に対する具体的目標として挙げられたのが、「地下水涵養量の増大」である。都はその施策として、以下の三点を明記している。

 

1. 森林や緑地、農地の保全による雨水浸透・保全機能の保全

2. 公園緑地の整備による雨水浸透域の確保・拡大

3. 雨水浸透施設の整備を促進

 

 3番目の「雨水浸透施設の設置」に関しては、東京都土木技術研究所が開発している「透水性アスファルト」を例に挙げたい。これは、通常のアスファルトに20%隙間を与えた事で雨水が地中まで浸透する事の出来る道路舗装である。現在はこの他にも様々な透水性の舗装道路が開発され、東京都が管轄する歩道の三分の―は浸透性の舗装が成されている。しかしながら、車道においてはその様な舗装が変形しやすく、破損しやすいという課題も残されており、透水性の舗装についてはさらなる研究開発が必要であると言える。

 さらに、「雨水浸透施設の設置」に対して私達市民が参加出来る取り組みを紹介したい。それは「雨水浸透ます」の個人宅への設置である。「雨水浸透ます」とは、コンクリートで出来た内径25〜30センチメートル、高さ50センチメートルのますで、雨水が地中に浸透しやすくなる様に側面に多数の穴が空いている。屋根から雨どいを通じて降り落ちる雨水は「雨水浸透ます」へと集められ、徐々に地中へと浸透していって再び大地へ戻る。雨水浸透ますの設置によっては、1基で1時間に294リットル(およそお風呂の水の1.5倍)もの水を地中に浸透させることが出来る。

 写真1. 雨水浸透ます(小平市ホームページ「暮らしの情報」より抜粋)

雨水浸透ますの効果としては、

1. 地盤沈下の抑制
2. 地下水、湧水の回復
3. 河川・井戸水などの水循環の保全
4. 水質改善(雨水が空気と共に地中に浸透し、微生物の活動が活発化)
5. 下水道への雨水流入の軽減河川氾濫や浸水被害の防止

などが挙げられる。

 「雨水浸透ます」設置に積極的に取り組んでいる市として、東京都小金井市を例に挙げたい。武蔵野台地の中央に位置する小金井市は、住宅開発、緑地の減少などによる湧水減少から、野川の水量が激減し、所によっては悪臭を放つという事態が生まれていた。そこで市は、雨水を少しでも大地に戻そうと、個人住宅への「雨水浸透ます」の設置を推進する取り組みを始めた。市は設備費用の一部補助(1軒あたり上限40万円)を制定し、その結果小金井市では計5万基の「雨水浸透ます」が設置された。それは小金井市全住宅の40%にあたり、ドイツ、オランダを抜いて世界一の記録である。これにより、一年間に上下水道に捨てられていた7億mm3の雨水を大地に還す事の出来る様になった。結果、一度枯れた市内3か所の湧き水で水量が戻り、野川の水量も回復するといった効果が見られた。この様な取り組みは、現在周辺の小平市や武蔵野市や、東京の25自治体にも広がりつつある。

 「雨水浸透ます」の個人住宅への設置は、私達市民が水循環システム改善のために行える効果的な取り組みである。しかしながら、一基最低4万円の費用がかかり、また時間や様々な労力を費やす設備の取り付けは、すぐに始められるものでもない。私は、「雨水浸透ます」を設置する以前に、もっと身近に私達が出来る事があるのではないかと思う。

 それは第一に、水資源の大切さ、水循環の大切さ、地下水脈の大切さ、などについて私達が理解を深める事ではないだろうか。そしてその大切な水資源に感謝し、日頃から「節水」を心がける事が大切である。例えば、家族全員がそれぞれシャワーを浴びる代わりにお風呂を沸かす。水を出しっぱなしにして食器を洗わずにこまめに水を止め、桶に水を溜めて食器を洗う、といった事である。水資源の節約は、この様に私達の身近なところから実践出来るであろう。私達一人一人の意識と行動が、私達の暮らしを支えてくれている地下水脈を維持し、将来の東京の水循環システムを保全する事へと繋がっていくのではないだろうか。

 

<参考資料>

 


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