「宗教とは何か?」  SIS のオリエンテーションで語ったことーー         

 
                            吉野輝雄


 ゴーギャンの最高傑作といわれる作品が、今年の夏、日本に来た。絵のタイトルは、「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか?」。つまり、「われわれ人間が存在し、生きる意味は何なのか」という問いだ。この作品は、今から100 年前に描かれたものだが、20 世紀の試練を経た今も、問いかけている意味は全く色あせていない。


ここには二重の問いがある。科学の問い(S)と人生(L)(今を生きる人間への問い)だ。第一の問いは『過去』について:宇宙/この自然はいつどこで始まったのか?(S)。一体私は何のために生まれて来たのか? (L)。


第二の問いは『現在』について:この自然のしくみ、生命の営み、多様な生物、人間社会はどんなメカニズム(法則性)で動いているのか?(S)。この変化する自然、社会、人間と、私はどんな関係をもって生きていけばよいのか?(L)。


第三の問いは『未来』について:この宇宙は永遠に不滅なのか?いつか超新星の爆発のようになって消滅するのか?(S)。死はすべての人に必ずやってくる。果たして死後の世界があるのか?死の力に勝てない人間(私)の人生に何の意味があるのか?(L)。本当に生は死に勝てないのか?人間/人生の究極の問いがここに描かれている。


「科学とは何か?」:科学を学び、科学的思考に信頼をおいて学問をして来た私たちは、科学からこの大きな命題に対する答えを得ることができるのか?あなたは、できると考えているのか?あるいは、答えを与えてくれないと考えているのか?自然科学をICU で4 年間学び、今を生き、やがて死んで行く人間としてこの大きな問題に向かい合わないで卒業してよいのか?


 さて、 SIS のもう一つの柱である「宗教」とは何か?どこかにその答えが書いてあると思わないで(今までの先入感や浅い知識で決めつけないで)、一人ひとりが宗教とは何かを考えて頂きたい。私なりの見解があるが、それを隠すつもりも、皆さんに押しつけたり、同意を求めるつもりも、また教えるつもりもない。宗教についての議論は、一歩間違えると対立を生み、宗教の本来的な目的である平和から遠ざかってしまうことがあるので注意をしなければならない。私は、まず宗教についての主張、見解の違いを受け入れ合う姿勢を大事にしたい。なぜならば、一人ひとりの生き方の違いを尊重することと同じだから
だ。
 そこで、私は、既存の宗教に拘らず、人間が今生きる意味を、いずれ死ぬことの意味を問い、その答えを求める営みを「宗教」と定義しておきたい。つまり、ゴーギャンの問いの前に一人ひとりが立つことが宗教を考えることだと言いたい、と思う。
 SIS のクラスの目標とからめて言うならば、私たちが生きていることと科学することの意味を考え、それによって、まさに根本に根をおろした科学の営みを始めることが目的だ。その思考体験を経て、一人ひとりが自分らしい生き方を発見し、生きて行くことができるようになることが目標と言ってもよい。
(2009/11/4)

 戻る