吉野輝雄
今、山や森は深い緑につつまれています。自然が瑞々しさに溢れ、生命の躍動が感じられる今が私の一番好きな季節であります。友人に「これはすべて水のなせる業ですよ」と言ったところ、「それこそ我田引水というものですよ」と言い返されてしまいました。
最近、ちょっとした水ブームが起きているようです。例えば、おいしい水とかミネラルウオーターが大々的に宣伝され、実際よく売れている ようです。六甲の水とかエビアンといった水です。また、今年の4月からNHK・TVで「にっぽん水紀行」という新番組が始まりました。若者も水に関心を持 ち始めているようです。若者向けの雑誌「TARZAN」が最近の号で「からだがほしがる水の研究」という特集をしています。水のファンである私もさっそく 買って読んでみました。すると、shape & style --- 水によるお手入れとかミネラルウオーターのある部屋といった記事が並んでいるではありませんか。どうも、水がファッションとして飲まれる時代になったよう です。もっとも、スタイルに自信をなくしている中年族が「おいしい水」を買い求めるのはファッションよりも「水道水がまずい」からだと思いますが---。
ところで、これらのおいしい水の値段をご存知でしょうか? 150ml 一缶で120円、1リットルびんで250円近くの値段です。つまり、水道水の約2000倍の値段です。もしも水道水が昔の井戸水のようにおいしければこんなお金を払わなくてもよいはずです。ここに今の時代の一面が写し出されていると私には思えます。
ここ5、6年来、私たちの飲み水があぶないと各方面から指摘されています。にごりがあるとか、カルキ臭いとか、ばい菌が入っているとい うわけではなく、一見透明度の良い水であっても、その中にトリハロメタンという弱い発ガン性をもつ有機物が含まれているというのです。トリハロメタンがど こから入って来るのかとご存知ですか?水道水の殺菌のために浄水場で吹き込んでいる塩素ガスと貯水池の原水中に落ちた枯れ木や枯れ草から生じるフミンとい う有機物が反応して生じるのです。つまり、浄水過程でトリハロメタン造り出されるのです。これは、水道関係者ならずともかなりショックな事実です。今や、 水道水はまずいだけでなく危険な状態にあると言えましょう。
では、どうすればよいのでしょうか?「飲む前に煮沸すればトリハロメタンが取り除かれる」と言われていますので、それを励行している人がいますが、そんな対象療法で根本的な問題解決が望めるのでしょうか?今こそ人間は、水との関わりを根本から見直す時です。
私たちは,水との関わりなしには,一日も、いや一時たりとも生きて行けません。今日はその意味をさまざまな面から考えてみたいと思います。
まず,水の持ついくつかの自然科学的特性に目を向けてみましょう。皆さんよくご存知のように水が液体一固体一気体の三つの状態間を変化 する様子を日常生活の中で見ることができます。そのような物質は、化学の実験室は別として、他にはほとんど見あたりません。また,水は氷になると水面に浮 きます。これは水が液体から固体となって比重が小さくなったことを意味します。一般には物質は固体になると重くなるのが普通ですから,これは“異常な”性 質といえます。このような性質をもつ物質は水以外ではアンチモン位しかありません。
もしも水が普通の物質と同様に固体の方の比重が大きいとするとどんなことが起こるでしょう。真冬に湖が氷った場合を考えると,氷は湖の 底の方に沈み水温全体が0℃となって,恐らく湖にすむ魚や植物は全滅することでしょう。仮に生きのびたとしても,春になっても太陽の光は湖底まで届かず, 長い期間氷が湖底に残るに違いありません。
しかし,実際にはどうでしょう。氷は表面に張るだけで水中に沈むことはありません。また,水には冷えにくく凍りにくいという性質があり ます。そのため水を氷に変えるには氷点下の状態に長時間おく必要があり,余程の寒波に襲われなければ氷の厚さが1m以上になることはありません。湖面に 張った氷は厚みが増しても氷の温度は0℃のままです。一方、水には4℃で比重が最大になるという特異な性質があります。つまり,どんな寒波がやって来て も,湖の底の方の水温は4℃近くになっていますので魚はこごえ死ぬことがないのです。
今お話ししたことは,私達の目にはあたりまえに見えることで普段あまり気に留めてないかもしれませんが,実は水の不思議な性質と自然環境との関わりを示す例の一つなのです。
水に対してさらに自然科学の光を当ててゆくと,水は自然界に存在する物質の中でもかなり”常識はずれ”の物質であることがわかって来ます。”常識はずれ”であればあるほど科学者の興味をひきます。実際,水についての研究が今も盛んに行なわれています。
私自身は水を直接研究対象としているわけではありませんが,水のもつ尽きることのない味に魅せられ,大学で担当している一般教育科目で これまで10年以上「水」という主題の講義を行なって来ました。私の講義タイトルを見て,ある学生さんが「水だけについて1学期(27回)間話すだけの種 があるのだろうか」と心配してくれていましたが,私にとっては,27回のクラスでもまだ話し足りないと,思っています。しかし、水がいくらおもしろい物質 だからと言っても水の自然科学だけで一学期を費やすわけではありません。水について考えてゆくと,そこに我々人間の姿と,我々のすむ地球・自然の特徴と実 態が浮かび上がって来ます。つまり,講義の副題に掲げているように「水を通して人間を考える」、これが私の一般教育のねらいなのです。
これだけでは抽象的な説明で分かり難いと思いますので,以下、水と人間とのかかわりをもう少し具体的にお話しましょう。
人間は歴史の中で,「万物の根源は何か」といった究極への関心を持ち続けてきました。これは自然科学の基本的な問いと言えますが、昔か ら人間を捉えて離さない問いであったのです。例えば,古代ギリシャの哲人ターレスは紀元前600年に「万物の根源は水である」と唱えました。水が自在に姿 かたちを変えることができ、水なしでは草木は枯れ、動物は命生きて行けないという事に注目し、議論と考察の末にたどりついた結論なのです。また,アリスト テレスは「水は空気,土,火と並ぶ四元素の一つである」という有名な四元素説によって森羅万象を説明しょうとしました。アリストテレスの考えは、17世紀 に「帰納法」(事実に基づいて法則・理論を組み立てる考え方)という自然科学の方法論が確立するまで1700年以上の間、真実として受け入れられていまし た。水が元素ではなく化合物であることを実証したのはフランスの天才化学者ラボアジェです。さらに1800年代になって定量実験に基づき、「水はH2O (水素と酸素から成る化合物)」という今では中学生でも知っている結論に到達しました。それはまた,物質の基礎概念が確立した時であり、近代化学の出発の 時でもありました。
水はH2Oという実に単純な構造で,しかも無味無臭無色透明という性質であることを考えると,たいした特徴もない物質のように思えますが,実はその働きは偉大としか言い表せない程です。
その例として,水が人間の身体にとってどのような働きを担っているかを見てみましょう。人間の身体の60%は水で,たった1%減っただ けでものどの渇きを訴え水不足の危険信号を発っします。体内の栄養物はすべて水を媒体として身体の隅々まで運ばれてゆき,水でつつまれた細胞の中で分解・ 合成されて生命活動を支えるエネルギー物質あるいは生理機能をもった物質へと変えられてゆきます。これを代謝(メタボリズム)と呼びます。
人間の身体から1日に2リットルの水が出て行きますから,同じ量の水が食事や飲料水として体内にとり入れられる必要があります。しか し,実はその8倍以上の水が腎臓によってたえず浄化再生され,また体内に戻されています。身体の中で水を含まない部分は一つもありません。骨の中にも 22%含まれます。髪の毛も水分が不足するとうるおいを失います。つまり,一言でいえば,身体は水の部屋(細胞、組織)と水の流れる輸送管(血管)で結ば れた一大生命維持装置ということができます。
次に目をもっと大きく見開いて地球レベルで考えてみましょう。
地球上の水の総量(1350兆t)の97%は海水で,地球の全表面の70%をおおっています。海水は陸地の水と共に太陽エネルギーに よって蒸発し、水蒸気となり雲となり、やがて雨や雪となって再び地上に戻ります。陸地に降った雨は河川となって陸地を流れ,湖として一時的に貯まります が、最後は海へとそそぎます。雨の一部は地下水となって地中を流れてゆきます。これを「水の大循環」と呼びます。水の大循環の意味するところを考えたこと があるでしょうか?
(a)水は蒸発する時に周りから大きな熱をうばいますので,広大な海におおわれた地球の気温変化を和らげる働きがあります。その結果,地 球の年間平均気温は15℃に保たれ、水が液体として存在し、動物・植物の生存に適した環境をもたらしてくれのです。因みに、中近東の夏は最高温度が40℃ 位となり、グリーンランドでは冬の最低温度が-50℃となります。しかし、宇宙全体の平均温度は-270℃付近と言われ,逆に恒星の中は数千万度という超 高温であることを考えると,地球の気温は非常に狭い温度範囲に保たれていることが分かります。
(b)水の大循環は,海水という塩水を真水に変えて地上に戻す巨大な蒸留装置と見なすことができます。陸地には年間100兆tの雨が降り ますが,その約1/3は海面から蒸発して陸地に移動した後に降ったものです。改めて言うまでもなく,陸上の動植物をはじめ,生活用水,農業用水,工業用水 として真水が不可欠ですが,それが,水の大循環によって無料で供給されるしくみが,地球に備わっていることになります。
(c)雨は自然の浄化装置です。なぜならば,大気中のほこりやチリを洗い浄め,また,地上の岩も屋根も車もすべての物を洗い,その汚れを 川へ海へと流し出してくれるからです。かつて人間は,川や海をゴミ捨て場のように考えていました。確かにある限度内の量の食べ物カスや自然の枯れ葉など は,この水の大循環の過程で,微生物によって完全に分解され,再びクリ-ンな水循環に戻ります。また,地中にしみ込んだ水は,砂や土によってろ過され,お いしい水とされます。
しかしなから,最近このような自然の浄化装置に異常が発生し始めています。
その1つが酸性雨です。工場の煙突から大気中にはき出されたイオウ酸化物や車の排気ガスとして散らされた窒素酸化物が,雨にとけて酸性 雨となって地上に降るようになったことです。ヨ-ロッパでは,酸性雨が国境を越えて広がり,ドイツのシュワルツバルト(黒い森)のような豊かな森林が破壊 され始めており,北欧では湖に棲む生物が全滅したところも出ています。また,チェリノブイリの上空からは放射性物質が雨にとけて降って来ています。川や地 下水についても,人間の使った農薬や工場からの廃棄物,生活排水が川に流れこみ,その一部は地下水にまでしみ込んでいるといった事態が生じています。ハイ テク産業で多量に使われるトリクレン(肝臓障害、変異性を引き起こすと言われている)といった有機塩素系溶剤が地下水から検出されたというニュースがあり ました。
ここで忘れてならないのは,我々人間も水の大循環の一部に組み込まれているという事実です。人間が生活、産業に水を使い、排水すると いった人間活動の結果が水の大循環を通して広がって行きます。安全でない水、おいしくない水の原因は人間にあります。まずい水をなげき,ミネラルウオ-タ -を飲んでいたとしても,それは一時逃れにすぎず,水の循環系が汚染されている以上その影響から逃れることはできないのです。そのことをはっきりと示すデ -タがここにあります。
DDTという農薬は現在使用禁止となっていますが,かっては大量に使われていたために,今や南極の海水からも検出される程で全地球上にひろがってしまいました。その濃度を見て薄いから大丈夫だといって安心してはいられません。
海にすむプランクトンの体内では,海水中のDDT濃度の800倍になっており,そのプランクトンが小魚に食べられ,さらに小魚が大きな魚 に食べられるという具合いに伝わって行く過程でDDTがどんどん濃縮され,人間が魚を食べる時には海水中の濃度の数万倍にもなっていきます。つまり,水の 大循環という本来,人間生活に豊かな恵みをもたらしてくれる装置を,人間は汚染拡散装置としてしまっているのです。このように水をみてくると,人間が水を 奴隷のように扱っているおろかな姿が写し出されて来ますが,そのような人間も水なしでは生きてゆけない存在であることには変わりありません。
ここで少し観点をかえ,水と我々の心との関係について考えてみたいと思います。そこで,芥川竜之介の「大川の水」という随筆の一部を引用します(大川とは今の隅田川のことで,芥川は大川端近くの町で生まれました)。
「自分はどうしてかうもあの川を愛するのか。あのどちらかといえば,泥 濁りのした大川の生暖かい水に限りない床しさを感じるのか。自分ながらも,少しく,その説明に苦しまずにはいられない。唯,自分は昔からあの水を見る毎 に,何となく,涙を落としたいような,いい難い慰安と寂寥とを感じた。完く,自分の住んでいる世界から遠ざかって,なつかしい思慕と追憶との国に入るやう な心もちがした。この心もちのために,この慰安と寂寥とを味ひ得るがために自分は何よりも大川の水を愛するのである。 (中略)この3年間,自分は山の手の郊外に,雑木林のかげになっている書斎で,静かな読書三味に耽っていたが,それでも猶,月に2、3度はあの大川の水を眺めにゆ くことを忘れなかった。動くともなく動き,流るるともなく流れる大川の水の色は、静寂な書斎の空気が休みなく与える刺激と緊張とに,切ない程あわただし く,動いている自分の心をも,丁度,長旅に出た巡礼が、漸くまた故郷の土を踏んだ時のやうな,さびしい,自由な、なつかしさにとかくしてくれる。大川の水 があって,始めて自分は再び,純なる本来の感情に生きることができるのである。」
芥川と同じような思いを体験としてお持ちの方が皆さんの中におられることと思います。また,例えば,山歩きをしていてふと小川のせせら ぎに出会った時、何とも言えない安らぎを感じたことがないでしょうか。水には,人の心をひきつけ,心を和ませる不思議な力があると私も思うのです。
地球上の水は一体どこから来たのでしょうか?そして,海はどのようにできたのでしょうか?
この問に答えるには,宇宙の起源,地球の誕生の経緯にまでさかのぼらなければなりません。しかし、ここでは詳しく立ち入る余裕がありま せんので結論的なことだけをお話しします。宇宙に存在する元素の99%は水素で,この豊富に存在する水素が酸素と出会って安定な分子をつくった結果が H2O,つまり水であります。とは言っても,高温状態では水は水蒸気となり,冷えれば氷となるか岩石の中にとじ込められて存在することになります。
この事を太陽糸の惑星にあてはめてみますと,太陽に近い水星,金星では、太陽熱のために表面温度が300℃以上で,水はすべて水蒸気に なっています。一方,地球のすぐ外側の火星では表面温度が-50℃といった低温のために水は完全に氷結しています。皆さんよくご存知のように、地球には海 という大量の水が存在していますが,これは,地球と太陽との距離がちょうど水が液体として存在しうる条件を満たしているためなのです。
しかし,それでは,太陽からの距離が同じ月になぜ水が存在しないのでしょうか。月の大きさが問題なのです。月は地球と比べて半径,密 度とも小さいために,重力は地球の1/6です。そのために水は月の引力圏にとどまっていることができず,蒸発し宇宙空間に飛散してしまったと考えられま す。水のない月では、昼間は110℃, 夜は-180℃まで下がるといった過酷な条件にあります。そうなのです,地球は太陽から距離と適度な大きさという 2つの条件が奇跡的に満たされているために,水が液体として存在できるのです。
このように考えてみますと,地球の海の存在そのものが奇跡と言えないでしょうか?実はそこにもう1つの奇跡が起こりました。生命の誕生 です。原始地球の大気を覆っていたアンモニアやメタンガスが雲(水蒸気)の中で強力な雷放電を受けてアミノ酸や核酸塩基などを生じ、それが雨と共に落ちて 海に溶け、さらに岩石を溶かして種々の無機塩を含む巨大なスープを形成しました。やがて海の中で複雑な有機化合物が合成され,自己複製能力をもつ原始生命 体が発生したのです。これは,今から34億年前の出来事と言われています。地球誕生が45億年前と言われていますので,それから10億年近くすぎた頃とい えます。もちろん,はじめは単細胞生物であったわけですが,その後長い長い時間をかけて進化(複雑化)をし続け,多細胞生物となり、ついに高等植物,動物 へと変化していったと考えられています。これは,すべての生物が核酸(DNA)という共通の遺伝分子とタンパク質合成装置をもっている事が証拠となってい ます。
人間の血液の成分が海水の成分とよく似ていることはよく知られている事実です。いわば海から生まれ,海を内にかかえて生きているのが人間であると言うこともできます。人間が水にひかれ,水に言い知られぬなつかしさ,心の安らきを感じるのはそのためなのかも知れません。
このように,水は地球上のどこにでも存在するごくありふれた物質でありながら様々な味を持ち合わせています。
そこで,「水の味」を私なりに整理させて頂きますと,
(1)水の性質そのものに,自然科学的に興味のつきない味がある。(2)人間のつかれた心,あわただしく動いている心を鎮める不思議な味がある。
(3)環境の汚染,とりわけ海や川の汚染が人間の甘えと傲慢の跡(結果)であることを見せてくれるといった意味では苦い味も持っている。
(4)さらに,水を通して地球を見つめ直してみると,奇跡的な条件下に置かれているこの地球という存在と生物の存在に改めて驚かされ,その味わいの深さに触れて地球という特異な惑星に一種の愛着のようなものを感じるようになる。
私自身は,こうした「水の味」を味わって来る中で,自然と神の創造の業へと目を向けさせられて来ました。神を信じる者の立場から水をな がめますと,「水はまさに奇跡の物質であり,神から最大の物質的賜物である」と思わされ,畏敬と感謝の思いに満たされます。と同時に地球上の水の汚染を身 近な所からくい止めて行かねばという自覚と責任を感じます。つまり,「水には神の恵みの味,信仰の味もある」と言えるのです。
ところで,今日選びました聖書個所はイエス・キリストがスカルという村の井戸に水をくみに来たマリヤという女に語った言葉です。
イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:13-14)
「つきることのない永遠のいのちの水」とは何でしょうか?私たちの魂が必要としているこの「いのちの水」について考察する時間的余裕が 残念ながら今日はありません。イエス・キリストが与えようとされている水には,今まで取りあげて来た水の味,水の力とは全く違った味と力があるようです。 私たちの身体に必要な水だけではなく,「いのちの水の味」を味う機会に出会えることを祈り願いながら今日の私の話をとじさせて頂きます。 (おわり)
(1988.5.12 大学礼拝での話に加/減筆)
これまで水について7節に分けて書いて来ました。身近にある水が,自然科学的におもしろいだけでなく人間の心のあり方,人間の生活・生産活動が残している爪跡を写し出す力までも持っていることがおわかりいただけたでしょうか?
もしも,水についてもっと知りたい,川や湖の汚染をどうしたらくい止めることができるのか,水と親しめるような自然環境をどうしたら取り戻すことができるのかを考えて行きたい,できれば同じ関心をもっている人達とつながりをもちたいとお思いの方もおられることでしょう。
そこで今回は私自身が自分の興味として,また講義の際に参考書として使っている水についての本を何冊か紹介したいと思う。どれも自然科学の専門知識をほとんど必要としないものを選びました。
*どうぞ読後感想文をお寄せ下さい。● e-mail: yoshino@icu.ac.jp