NS-III 自然の化学的基礎レポート 2000,5,22
匿名希望
地球の水不足問題について
b)今、地球上に何が起こっているか?
「20世紀は領土紛争の時代だったが、21世紀は水紛争の時代になる」ということがいわれている。領土や石油の利権をめぐる争いの時代から、水をめぐる争いの時代が始まろうとしているのである。地球上における「水」というものの重要さを考えると、この水不足問題は大変深刻な問題であると考え、今回のレポートのテーマとしました。水不足の深刻化の主原因は人口増加や貧困である。世界の人口はまもなく80億人にも達しようとしている。それだけの人数の食糧確保、農地と用水の確保も必要であり、更には地球環境の悪化による水質の悪化という問題も伴う。現在、水質汚染により、「水関係の病気で、世界の子どもたちが8秒に1人ずつ死亡している」という報告もなされている。1999年末に「21世紀の水に関する世界委員会」では、次のようなレポートがなされている。
穀物1トンの生産のために水は1000トン必要であるという。地域の水不足は、国際的な穀物価格の高騰となるであろう。地下水もくみ上げすぎで多くが枯渇してきている。
1997年3月20日の朝日新聞には、国連は「世界の1/3が水不足である」ことを忠告しているという記事が掲載されている。記事には、発展途上国を中心に現人口の1/5が安全な飲み水を欠いており、将来も大きな改善は見込めない、さらに、膨大な水使用が地域の生態系を危険な状態にしているということが書かれている。この地球上の水の内で、人間が利用できる淡水は、地球上の全水量のうちわずか0.0001%程度である。そのような淡水は、地域によって明らかにかたよりがあるのである。そして人間に限らず地球上の命あるものすべてが水を必要としているのである。
生命は水から生まれ、あらゆる生命は水なしで生きて行くことはできない。様々な地球上の環境問題、社会問題と絡まっての水問題であるが、この問題に対する危機意識は思いのほか低いのではないだろうか。特に淡水に恵まれている日本で生活している私などには確かに想像しにくいところがある。次に、この問題に対して人間はどのようなことができるのかについて考えてみたい。
c)人間は何をすべきか?
これらの水問題に対して、人間が何をすべきか、実際今どんなことが行われているかについて考えたい。深刻な環境問題に対して、国連、国境を越えたNGOなどがグローバルな問題解決策を試みている。1992年に行われた地球環境サミットをはじめ、1996年には国際機関や学会が中心となり世界水会議(WWC)が設立され、その後も世界水フォーラムなどが行われてきた。これらの会議を通して、世界の水関係機関の産、官、学にまたがる協力のもと、世界水ビジョンという指針が作られたりもしている。
人間がこのような地球規模の問題に対処する際に、このような各国の集まる会議は重要であろう。これらの会議にはNGOなども参加するが、NGOの役割はより大きくなりつつある。地雷禁止条約は、NGOが世論の喚起を起こすなどして、国家に対しても条約を結ばせることを可能とした。国家の繁栄や利益尊重の考えと、地球環境保護の考えとは相容れないことも多いと思う。ボーダレスな地球上の問題に対処するにあたって、国家の利益から自由な、国境を越えたミッション、役割を持ったNGOというのは、これから大きな存在になってゆくのではないか。このようなボーダレスなつながりから成る人たちがボーダレスでムーブメントを起こし、地球規模での、環境を守ってゆくための規範を作ってゆくべきなのだと思う。
もっと実際的な対策としては、雨水の利用や地下ダムの利用といったものがあり、そのような研究も進められている。しかし根本的な解決になるものではないため、これらに頼り切ってしまうわけにはいかないだろう。
d)私たちは何ができるか?
地球上の自然界のバランスが大きく崩れているのは確かである。地球上の環境問題を考えると、そうそう容易に解決策が立てられないジレンマがとても多いと思う。医療が発達し、戦争も減ってゆく。それに伴い人口は急激に増加するが、資源には限りがある。人類の長年の夢が、平和が、実現してゆこうとするのに、あまりにも深刻な問題が伴ってきてしまうのである。しかし現在特別な不便もなく生きる人々は、臭いものには蓋をして、素知らぬ振りをしがちである。私たちにできることは、意識の改革であり、行動の変革であろう。例えば洗濯後の洗濯機の水の利用や、水資源の重宝など。水に限らず環境問題全体への意識の高さ、社会性などが必要なのではないか。
例えば滋賀県では、「環境自治」という考え方が環境政策の基本概念とされている。この考え方は、「地域の環境と深いかかわりをもつ住民が中心となって事業者や行政との協調により、地域に根ざした環境の保全、創造の取り組みを進めてゆくべきである」というものであり、住民が、自らが環境を守り育ててゆく主体であることを認識することにより責任を持って、行政との協議を重ねることにより地域の環境のあり方を決定し、事業者と一緒に環境の保全、創造のために積極的に行動していくという、環境へ対する姿勢である。国連やNGOによる世界会議規模の指針の重要性もさることながら、実際に地域地域での「意識」のあり方というものはとても大きな力になるだろう。しかしこのようなものが実際に大きな効力を発揮するためには、ほぼ強制に近いような、環境に対するモラルのようなものが必要であると思う。モラルの多様化の進む今の時代に、わがままでいようと思えばそのようにいれてしまう。地球の存亡がかかっている、水問題、環境問題の深刻さ、スケールの大きさからいったら、法の強制力などを駆使してでも強制的にルールを作り、ゆずれない規範、のようなものを確立してゆくことが早急に必要なのではないか。水不足の問題も、あらゆる地球環境問題も、実際そのくらい切羽詰ったものであり、そのようにとらえてゆくべきものであると考える。
---------------------------------------------------------------------