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日本に限らず世界中で、ダムをめぐる問題は熱く議論されている。しかし振り返ってみると私はこれまでダムについて調べたり、それが抱える問題について真剣に考えたことがほとんどなかった。これはおそらく私が河川の側に住んだ経験がなく、川と言えばごくたまに遊びにいく非日常的存在であること、つまり川が身近な存在でなかったことが大きな原因だと思われる。このレポートでは事例として中国の三峡ダムを用いる。これを機に、ダム、そして水問題について客観的かつ多角的な視点をもって考えてみたいと思う。
現在建設中の三峡ダムは、全長6000Hにおよぶ中国最長の河「長江」の洪水を防止するために、1919年に孫文が計画を始めた。「長江には龍が住んでいるから水害が起こる」という言い伝えが示すとおり、長江では頻繁に洪水が発生し、近年では10年に一度という高い頻度で洪水が起こっている。1998年にも死者3000人、被災者2億3000万人を出す大洪水が発生した。その洪水を食い止めるべく中国有数の史跡「三峡」に建設が進む三峡ダムは、完成すれば高さ185mの外壁が2H以上続く、総貯水量400億G(日本の全てのダムの貯水量の2倍)という巨大なダムとなる(テレビ朝日 2002)。ダムにはその用途に応じて様々な種類があるが、三峡ダムは複数の用途を持つ「多目的ダム」に分類される。第一義的役割は洪水防止だが、世界最大の発電タービン26機を有しており、その最大発電能力は1820万ワット(日本の水力発電の全発電量に匹敵)で、発電所としての働きも注目されている(岸利 2002)。
しかし三峡ダムをめぐる見解は真二つに分かれているのが現状だ。ダム建設推進派は三峡ダムを作ることによって、長江流域(中国国民の1/3が住むとされる)に洪水がなくなり、1500万人の生活と750万ヘクタールの耕地が守られることで、住民が安定した生活を送ることができるようになると主張する。またダムで生み出された電力によって国民一人あたりの電力使用量が上がれば、経済効果も期待できるとする。ダム建設の最大の要因とも言える洪水については、長江の上流にあたる四川省における森林乱伐がその原因であるという。調査によるとひどい場所では、長江流域の産地1Iあたり1年で3万トンの土砂が流出していた。木の根は土中の水を蓄えたり遮断することで雨水が地表からすぐに川に流れにくくする。上流部での乱伐をやめ、植林に励めばいずれは大雨が降っても長江の水位は氾濫しなくなるのではないか。だからこそ洪水に対して即効性のあるダム建設と、長期的視野を持った植林計画を並行して進めるべき、というのが推進派の見解である。
建設反対派も森林乱伐の影響は認めている。しかし彼らは長江の洪水には他の要因もあるとする。彼らは明時代まではそれほど大きな洪水が起こらなかったことに着目した。明以前は長江のそれぞれ北岸・南岸に自然の貯水地「湖」が存在していた。川の水かさがある程度増すと、水が湖に流れ込み洪水の被害を抑えるしくみになっていたわけである。しかし明時代、北岸出身の宰相がそこに堤防を築き、かつ北岸の貯水地に水を導く穴をふさいでしまったことから、行き場を失った水が全て低い土地、すなわち南岸へと溢れ出ることとなった。この洪水を防ぐために南岸も堤防を築き始めたが、洪水によって流れ込む土砂を取り除かなかったため、川底がますます上がる結果になった。さらなる洪水を防止するため堤防をかさ上げする、いわゆるいたちごっこが現在までも続いている。三峡ダム建設反対派は、ダム建設に飛びつくことは安直であると主張する。以前ふさいだ湖への誘水路を再び開ければ、以前のように比較的穏やかな長江を取り戻すことができるというのだ(鷲見 1999)。加えて彼らは、ダムを作ることは長江の水質の変化や、生態系への悪影響につながるのではないかと懸念する。長江には1986年に絶滅危惧種に指定されたカワイルカが生息している。淡水に住むイルカは非常に珍しいとされるが、1998年の調査では100頭ほどしか生息が確認されなかった。ダムを建設することによってカワイルカも含め、長江流域に生息する貴重な生物・植物が失われる危険があると反対派は主張する。
それでは互いに意見が衝突するこの問題をどのように考えていけばよいのだろうか。三峡ダム建設推進派の意見も、反対派の意見もそれぞれ納得できる部分はある。しかしそれぞれの計画の影には、現在の生活を維持できなくなる人々の存在があることを忘れてはならない。推進派の見解では三峡ダムを建設することによって、長江流域に住む1500万人の生活が守られることになっている。しかしダムを作ることによってその上流部600H(東京-神戸間に匹敵)が全てダム湖となり、それによって水没する、268の町・1680の村の住民150万人の存在はあまり顧みられていない。反対派のアイディアも同じである。明時代に長江北岸・南岸に建設された堤防のために水がなくなった湖は現在、農耕地となっているからだ。貯水湖を元通りにすれば当然立ち退かなければならない人々が出るだろう。洪水時には湖で漁業を、それ以外の時にはこれまでどおり農作を、という意見もあるが、それはこの地域に住む人々の生活を現実的に捉えていない、全くの机上の空論である。多くの人の利益のためには、少数の人々の犠牲は仕方がないという考え方は一世代前のものであり、これまでそのやり方で失敗をしてきた経験を私たちは生かすべきなのではないだろうか。また、どうしても立ち退き以外にありえないという結論に達したとしても、当然のこととして住民に対するフォロー、フィードバックを最重要課題として扱う必要性がある。移転地のインフラだけでなく、生活向上を含めた計画を提示すること、また徹底した情報公開が重要だ。その他に過去の日本のダム問題からも学んだ経験として、国内の不均衡是正も大きな意味がある。ダムは山地に建設されることが多いが、そこで作られた電力の多くは人口の集中する都市部で使用されるのが現状だ。三峡ダム建設推進派はダム建設は経済効果につながると述べていたが、それは都心の住民にとってである。ダムの恩恵は、ダム周辺に住む人々に最も多く与えられるものでなければならない。過去に(現在も)ダム問題で紛糾した経験を持つ国として、日本はただ傍観しているだけでは許されない。
国家レベルで三峡ダムについて考えてみると、三峡ダムをめぐる問題は決して中国国内だけのものではないことがわかる。たとえば日本は、ODA援助という形で三峡ダム建設に資金提供をしている。三峡ダムの建設には日本の企業が多く関わっており、ODAが援助した資金は結局日本の元に戻ってくる。先進国が次々とダム建設から撤退しつつある現代において、世界の流れに逆行するかのような三峡ダム建設は、中国の意思以外の国家レベルの力(とりわけ経済の力)が働いているような気がしてならない。孫文が三峡ダム建設を提唱した当時の目的「洪水被害から住民を守るため」がぼやけつつある。このような現状を打破するため1998年2年半に活動を限定した「世界ダム委員会(WCD)」が設立された。これはダム建設推進派、反対派双方の合意のもとで設立された中立的委員会で、反対派・推進派が一同に会し、専門家を交えて議論を行い、グローバルスタンダードを提言した。このようにチェック機能を果たす中立的機関の存在意義は大きい。またダム推進派・反対派双方が互いの意見に耳をかさなかった過去を振り返ると、WCDの活動は非常に建設的であるように感じる。いがみ合うだけでは何も生まれない。残念ながらWCDは活動期間を終え、現在は解散してしまったが、定期的に復活させて世界のダム問題に一石を投じ続けてほしい。
個人レベルでダム問題について考えることが無意味だとは決して思わない。しかし三峡ダムについては、ひとつのケーススタディとして捉えることが重要である。「三峡ダム」という事例に目を奪われて、その背後にあるものを見失ってはならないからだ。私が今できること・しなければならないことは、自分の頭でこれらの問題について考えることである。自分の目で、耳で情報を収集し、結論が出なくても考えることが大切である。自分には関係ないと無関心でいることは、同じ地球に住む者として許されない。